スターレスでの時間は嫌なことを忘れさせてくれる。
ステージはもちろん、素敵な食事や飲み物、そしてキャストの一人一人がお客様に対して優しい。
だから過去に付き合っていた男の影も思いだすことなく生きていける。
そう……思っていたのに……。
「……っ!?」
その姿を見た時、早希はまた夢でも見ているのではないかと願った。悪い夢なのだと、もう会うはずはないのだからと……。けれども今視界に入っているのは紛れもなく現実のもので、その男は確かにこちらを見て下卑た笑みを浮かべながら近づいてきた……。
「よぉ早希。久しぶりだな」
「……お、ひさしぶり……です……」
「なんだよ昔付き合ってた男が会いに来たってのに嬉しそうじゃねぇな」
「いえ、そんなことは……」
「まあいい。場所変えようぜここで話すのもなんだし」
人前で話せないような話ならお断りだ。
そう思っていても過去の記憶が早希の口から本心を紡がせないよう邪魔をする。
「はい……」
早希は、男に従うことしかできなかった……。
男に連れられたのはスターレスの裏手。ここなら人目にはつかないが、運が良ければゴミ出しに来た誰かが自分を助けてくれるかもしれない……。そのことが少しだけ心を落ち着かせた。
「話なんだけどよぉ……早希オレたちやり直さねぇ?」
「は……?」
やり直す? そんなこと、できるはずがない。やっとのことで逃げることができたのになぜまたあんな地獄に戻らないといけないのだ。
「いや~お前から離れてわかったわ。オレお前がいないと食事すらままならねぇし。早希もこんな店に来るくらいだから寂しかったんだろ? ならちょうどいいじゃねぇか。どうせ男もいねぇんだろ?」
何だその理屈は。人のことを散々玩具にしておいて、勝手にこっちの気持ちも決めつけて……! 仮にそうだったとしても誰が……!
理不尽な誘いにこみあげてきた怒りが、断るはずも逆らうはずもないだろうと思い込んでいる男の顔を変えるために早希を動かした……。
「お断り、します……!」
「あ?」
まさか自分が断るはずはないと思っていた男の顔が不愉快そうに歪む。怖い……けど、ここで従ってしまえばまた、あの地獄のような日々に逆戻りだ……。この店に、スターレスに来ることも叶わなくなるかもしれない……。
「早希……もういっぺん言ってくんね? オレちょっと聞こえなかったんだわ」
威圧感を出しながらもう一度、と男は言う。ここで「嘘です」「冗談です」と言えば許してやると暗に言っているのだ。けれど、早希の答えは変わらない。
「お断りします……と、言ったんです……! もう、あなたに私の人生を好き勝手にされるなんて嫌です……!」
「はぁ……そうかよっ!」
早希がはっきりと自分の意思を伝えると、男はため息をついたかと思えば握った拳を早希の腹に叩き込んでいた。
「う゛っ……ぐ……」
あまりの衝撃に立っていられずその場に座り込む早希。男はそんな姿を見ても態度を変えることなく「あーあ」と相手を威圧するように大きな声で話し始めた。
「なんだなんだぁ? 何調子乗ってんだお前? もういっぺん躾直しが必要かコラァッ!」
ガンッとおそらく近くのごみ箱でも蹴り飛ばしたんだろう。その音にさらに身体が縮こまる……。結局何も変わらないのだろうか。暴力に怯えて男の機嫌を伺いながら過ごすのが嫌で逃げ出したのに……結局逃げ切れずに私は、また……。
そう考えていると早希の視界が涙でぼやけていく……。泣いていることを気づかれてはダメだ……男がさらにつけあがってしまう……何か言わなくては、何か……。
「おい、なんとか言えやっ!」
男が再び早希に向かって拳を振り下ろそうとする。せめて衝撃を少しでも和らげようと手で頭を守らなければ……そう思っていた時だった。
「それ以上は許せないかな」
「なっ……!?」
驚いた男の声ともう一人の声……。いったい何が起こったのか……。確認するために顔を上げた早希の眼には自分を庇う様にして立っている鷹見の姿があった……。
「早希、遅れてごめんね。君がこの男に連れ出されるのは見えたんだけど、なかなかフロアを抜け出せなくて……」
「た、か゛み、さ……」
「無理して喋らなくていいよ。その様子だとお腹を殴られたんでしょう?」
「なんだ、テメェは……!」
思わぬ乱入者に焦った男が鷹見の手を振りほどこうとするも、手に込められた力が強く振りほどけない。むしろ振りほどこうとすればするほど鷹見の手がギリギリと男の手を締め上げる。
「イデデデッ!?」
「ああ、ごめんね? ちょっと腹が立ってて力加減ができそうにないんだ」
「はぁっ!? ああ、そうかよ……早希、お前純情そうな顔してもう新しい男を作ってたのか! この淫乱がっ!」
「ち、ちが……!」
この男は自分だけでなく鷹見まで馬鹿にしようと……! 早希が否定の言葉を紡ぐがなおも下品な言葉を発する男の耳には届かない。しかしそんな男を口を止めたのは鷹見だった。
「不愉快だね」
鷹見が男を投げたことにより、男は衝撃に口を止める。さらに何か言おうとした男を見下ろす鷹見の眼はゾッとするほど冷たかった……。
「仮に俺と早希が、君の想像する通りの関係だったとしてもそれが今の君に何の関係があるんだい? これ以上彼女を侮辱するというのなら容赦はしないよ」
「あ……」
ようやく自分が相手にしている男の恐ろしさがわかったようだがもう遅い。狙いを定めた鷹は決して獲物を逃がしはしない。
「わ、悪かった、もうこいつには関わらねぇから……!」
「それは当たり前だよね? ああ、でも早希に限らず女性に簡単に手を上げるような男は、男の風上にも置けないよね……」
言いながら鷹見はゆっくりと足を上げる。そこから想像できる行動はただ一つ……
「だから、ソレももういらないよね」
にこりと微笑んだ鷹見は、一切のためらいもなく力を込めて男の股間を踏みつぶした。
「ア゜ッ!?」
パキュンっと聞いたこともないような音が聞こえた後、およそ声にならないような声を出して男は動かなくなった。その様子は早希にも見えていて自分がされたわけでもないのに思わず短い悲鳴が漏れてしまった……。
男を放置して、鷹見は早希の方へ向き直ると「立てる?」と手を差し出した。鷹見の手を借り立ち上がろうとする早希だったが、腹部の痛みがそれを許さず再びしゃがみ込む。そんな彼女の様子を見て鷹見はスッとしゃがんだかと思うと、早希を抱き上げるのだった。
「た、鷹見さん! ダメです! 重いですよ!」
「まさか。羽のように軽いよ」
早希を抱き上げたまま鷹見は器用にスターレスへと通じる勝手口を開ける。と、そこにはケイが立っていた。公演衣装のまま来ていることから、彼もステージ上で早希の異変に気付き、駆けつけたんだろう。
「……何があった」
二人の様子を見たケイは、眉間にしわを寄せて説明を求める。そんなケイの様子に早希は思わず委縮してしまうが、鷹見は気にした風もなくさっきまでの出来事を説明した。
「早希の元恋人が強引に彼女に迫っていてね。……少し助けるのが遅れてしまって、早希はお腹を殴られたんだ」
「……その男は?」
「今路地裏で寝てもらってるよ。処理は任せる。ああ、それと念のため彼女を病院に連れて行った方がいいかも。車を用意してもらってもいい?」
「わかった」
ケイはそう言うとすぐにどこかへと電話を始めた。……これからその男がどうなったかは知る由もない……。
早希を事務室まで連れていきゆっくりとソファに寝かせると鷹見は安心したようにその場にしゃがみ込んだ。
「あ、あの、やっぱり重かったんじゃ……」
「……いや、違うんだ……少し、自分が情けなくてね……」
何故そんなことを思うんだろうと早希が首をかしげる素振りを見せると鷹見は困ったように笑いながら、早希の頭を撫でた。
「……もう少し早ければ、君が殴られることはなかった」
「だって、お仕事中でしたし……」
「それは言い訳だ……。本当に君を守りたいならなりふり構わず、あの男についていくの止めるべきだった……」
「でも、鷹見さんは助けてくれました……」
「まったく……俺を甘やかさないで」
鷹見は立ち上がり、どこかへ行こうとする。それを見た早希は急に、不安になり思わす鷹見の服の裾を掴んだ。
「何?
」
「あ、えっと……」
自分でもなぜそんなことをしたのかわからず、あたふたと視線をさまよわせていると鷹見はフッと笑って今度は先の近くにイスを寄せて傍に座った。
「いいよ。怖い思いをしたからね、不安になるのも仕方はないさ。迎えが来るまで一緒にいよう」
「でも、お仕事が……」
「君のご要望とあればみんな許してくれるさ」
「そう……ですか……?」
「そうだよ」
もう一度、鷹見は早希の頭を撫で始め、その心地よさに瞼が重くなり、段々と逆らえなくなる……。
「いいよ眠ってて。迎えが来たら起こすから……」
「はい……鷹見さん……」
「何?」
「ありがとう、ございます……」
「……どういたしまして」
早希が穏やかな寝息を立てはじめたころ、鷹見はスマホを取り出しどこかへと連絡を始めた。
「もしもし? あぁ、あの男ちょっとは役に立ってくれたみたいだよ。でも彼女を殴ったのは許せなかったからねちょっとしたオシオキをしちゃった……うん、そうだね。後はケイに任せてるよ。それじゃあ」
それだけ言うと、鷹見は再び早希を見つめて血のように赤い目を細めた……。
これで終わりです!