アンチ普通学のすゝめ
――20xx年4月。帝都圏内一菜州の全高等学校において、試験的に「普通学」という科目が強制導入される運びとなった。これは近年の若者に顕著となっている自己意思の希薄化、自己決定能力の低下、責任を背負う事への拒否的態度の増加、インターネットの過度な普及による誤った知識が世間に定着しつつある現状に対する危惧などを踏まえた上での発案だ。その大まかな内容は近年の統計データを元に一菜州教育委員会自らが制定した「普通」に対する指針を示すことで、より円滑かつ確実な自己意思の確立や自己決定への一助としてもらい、ゆくゆくは「普通学」で学んだ事を糧に的確な判断や自信、責任感を得た上で社会に貢献できる人材を育成するというものだ。しかしながらその施行や内容の是非に関しては教育関係者のみならず各学校に通う生徒や保護者、更には州内外から多くの意見が殺到した。筆者も本来「普通」というものは、各々の生まれ育った環境や現在置かれている状況によって変化するものだろうと考える。果たして、本施策は今後どのような影響を与えるのであろうか――。
「常識とは、18歳までに身に着けた偏見のコレクションである。――アルベルト・アインシュタイン」
高校3年に上がったばかりの4月の放課後。溜息交じりに旧校舎の窓から桜を眺める2人の男子学生が居た。
「今年の1年って可哀想だよな~。入学早々『普通学』とかいう新しい学問やらされるんだもん。」
「俺らだって3年なのに突然追加されただろうが。新入生の心配してる場合か?」
隣で呑気そうに呟く紫色の髪の同級生に対し、からかうように言い返してやった。
「……でも俺、あんなのが『普通』って定義される世界なんて嫌だなぁ。」
「だよなぁ。何が『普通学』だよ。あんなの教育委員会の連中の偏見集を押し付けているだけじゃねぇか。」
「それな?」
2人して顔を見合わせて笑う。
「普通学」というのはうちの州の頭が古臭くてカッチカチなお偉いさまたちが今年突然追加してきやがった新教科だ。曰く最近の子供は自分で自分のやりたい事を見つけられない。曰く自ら選択する事を放棄し、悪魔的な魔法の言葉「なんでもいい」を連呼するばかり。曰くそこここに大量に転がっている情報を精査する能力が著しく低い。なんてザ・若者軽視な御託をこれでもかとばかりに並べ立てて今年までに高校を卒業していない大人未満をお上の好み通りの若者に矯正しようという運びだ。……って、クラスの隅っこ族仲間のひねくれガリ勉が言ってた。
「はぁ……。しかも恋愛の項目なんかほんっと最悪。あれが世界的に認められようものならたまったもんじゃないよ。零の事、好きでいちゃいけないってことになっちゃうじゃんか。」
そう言って髪色と同じ紫の光を宿すその双眼を見つめる。すると彼は小さく笑い、視線の先にある両の目はきゅっと細くなってみせた。
俺と零は放課後になるといつも、この旧校舎内の第1理科室の角で秘密をする。旧校舎と言っても授業には全く使われず、もはやそこは名ばかりの建物だ。教員が言うには老朽化が進み耐震性が危ぶまれる為使わないらしいが、それは建前だという噂もある。なんでも実は過去に旧校舎内で自殺した教師の、あるいは生徒の幽霊が出るのだそうだ。とは言え不自然なことに、そんな話があっても肝試しをしようなどという馬鹿はこの学校には滅多に居ない様で、この場所には教員は勿論生徒すらもほぼ確実に近寄らない場所なのだ。だから基本的には俺と零と、あと何故か唯一この旧校舎内の準備室に在室している先生1人ぐらいしか居ない。けれどその先生も俺達の家の事情を慮ってか、特例で見逃してくれている。だからここは2人にとっていつもの秘密の場と化していた。
「そうだよなぁ。俺も京太と胸張って好き同士でいられなくなるのは嫌だな。っても、今だってあんまり皆の前で言える様な感じじゃねぇけどさ?」
「ま、まぁそうだけど……。」
そう。男同士で付き合っている、というのも勿論なのだがそもそも俺達は普段クラスでは中々見ない組み合わせなのだ。
零は誰にでも人懐っこく天真爛漫な性格からか、いつもクラスの中心に居る人気者。少しお馬鹿っぽいところもあるが、そうは言っても赤点を取ることが稀な程度には成績が良く、また運動に関しても学年上位の結果を叩き出す事が多い。その割には俺と同じく部活動に属していない事は、零に関する不思議の1つになっている。しかしその文武両道なところを鼻にかける事も無く勉強然り、運動然り、日常生活然り、クラスメイトが困っていれば嫌な顔1つせず喜んで手を貸してやる。そういう奴だからだろう、悪口や嫌味な噂も滅多に聞いた事が無い。
一方の俺はと言えば、本来ならばそんな日向から離れた場所で零の事を眺めるのが関の山な日陰側の住人。物心ついた頃からの人見知りと小学生時代に発症した赤面症やそれに伴う吃音と過呼吸で、多くの人前で話すのがてんでダメなのだ。だから今までの俺の友達は本や漫画、ネット掲示板の住民などの文字越しの存在ばかり。今でこそ同じクラスの隅に居る理解ある数人の奴らとグダグダ話す時や、今みたいに零と2人きりの時ならば落ち着いて言葉を整理しつつ会話をする事が出来るが、授業中に指名されて前で話せなぞとなればやはりどうしても言葉が詰まってなかなか上手く話せないままでいる。
なのに。こんな俺だというのにこいつと来たら、入学式翌日の放課後に突然教室に居残って読んでいたハリー・クレッシンングの「料理人」を邪魔したうえ、この旧校舎に連れ込んで告白してきたのだ。
「……あのさ、俺、その、福原に一目惚れ、しちゃって……。ええっと、あの、好き? に、なっちゃった……みたい。なんだよね。」
「……は?」
まぁそんなことを頬を赤らめた野郎に言われてもさっぱりついて行けず。俺は小説の続きを早く見たい、という苛立ちも相まってただ怪訝な顔で一言返す程の余裕しかなかった。すると零は一転、あたふたしだし
「あっ、福原が男だっていうのは分かってるよ!? 俺も男装してる女の子とかじゃないから! でっ、でも、その、それでも俺好きだって、付き合いたいって、思ってん、だけ……ど……。だっ、ダメ、かなぁ……。」
……た、と思ったら段々シュンとした顔になってしまった。まるで元気の無くなった犬かのようで、彼に垂れ下がった犬耳や犬尻尾が生えている様が容易に想像できた。
「…………あ、あの、あのなぁ……。」
何故だかちょっぴりだけ可哀想に思えてきたので小さく咳ばらいをし、例によって上手く話せないなりに声を出してやった。
「な……な、なら、どこ……が、い、いい、のか言って……みろ、よ。」
って言っても睨みつけた顔が台無しなぐらい結構なぼそぼそ声だったはずだけど。
すると零はその様子を見て馬鹿にして笑うでもなく俺の吃音を聞いて引くでもなく、ただちょっと照れながらこう返した。
「あの……さ、福原って笑う時凄く柔らかく笑うよな。ほら俺、自己紹介中ふざけたじゃん。そん時に福原も隣の席で笑ってたろ? それ見てなんかその、可愛いなって……思って……。」
俺の笑う顔が柔らかい? 可愛い??
高校に上がるまでの俺が笑っている様を見た人から言われたことがあるのは、「気味が悪い」とか「何ヘラヘラしてるんだ」とかせいぜいそんなもので。そんなもんだったから、それまでの俺は人前で笑わないように努めていたぐらいだ。だけどこいつはその笑顔を見て好きになった、だなんて言ってきたのだ。
勿論最初はそんな零の言葉を信じられなかったし、今以上にひねくれきっていた当時の俺はからかわれているのかとすら思い拒絶する様な態度をとったものだ。なのに、次の日も次の日も彼は隣の席からニコニコ笑顔で話しかけてくるのだ。あんな馬鹿げた事を言っていたが男が男を好きになるなんて事はないんだし、そのうち俺に構うのにも飽きるだろうと俺は毎度小説の続きに戻っては無視し続けていた。けれど週が明けても、特に気にした様子も無く声をかけられ続けたのには流石に折れた。
「……む、村雨……さぁ。なん、でお、俺に、構、う、うの……?」
呆れ気味の顔をして
そう言葉を零した唇は、俺の耳にそっと触れた。秘密を始めたがっている時の合図だ。
「んっ……。いっつもこうするよな。零のえっち……。」