松田の初恋は俺のねーちゃんだ。
俺より十も歳上のねーちゃん。垂れた瞳に少し細いつり眉。母さんの友人からも「そっくりだね。女の子みたいでかわいいわねぇ」と、ずっと言われてきたくらい俺似ている。違うのは髪の長さくらい。
小学生の頃、初めて松田を家に呼んだ時に出迎えてくれたねーちゃんを見て頬を赤く染める松田の表情に目を奪われた。ねーちゃんを見つめる鮮やかな群青の瞳が太陽の光を反射する海面のように輝いて、日に焼けた肌をりんごのように真っ赤に染める松田がかわいいと思った。友人の松田が、同じ男の松田が、かわいいと思ったのだ。
それから、松田は毎週末遊びに来るようになった。あの真夏の海のような瞳で土曜授業から帰ってくるねーちゃんを見つめる。俺でさえ気づくのだ。きっと、俺より聡いねーちゃんはとっくに気づいている。気づいていて何も言わないということはつまりそういうことだ。今の松田はねーちゃんの恋愛対象に入らないということ。
松田には悪いが、少し、いや、かなり安心する。同時に安堵した自分が嫌なやつだと感じて、チクリと胸に棘が刺さった。
大好きなねーちゃんと大好きな松田が幸せなら、俺だって幸せなのに……
チクリ、チクリ、小さな棘が刺さって抜けない。
松田がいじらしいくらい真剣な瞳をするものだから一度だけ聞いたことがある。
「松田はねーちゃんのこと好きなの?」
あくまで聞いてみただけ、という風を装って、重くならないように軽く、軽く尋ねた。
その瞬間、ぶわりと真っ赤になって狼狽える松田に再び棘が刺さる。視線を彷徨わせて、諦めたようにむくれた顔で松田は頷く。真夏の海だ。輝く海面だ。見たこともないくらい綺麗で瞬きすら惜しく思える瞳だが、この人瞳は俺に向けられたものではない。映っているのは俺のねーちゃんなんだ。
ずるい。俺だってねーちゃんと変わらないはずなのに……
それなのに松田の瞳に映されるのはいつだってねーちゃんなんだ。
伸ばした髪はねーちゃんより少しだけ短いけどたいして変わらない。垂れた目だって、クセのあるつり眉だって。身長はまだ追いつけてないけど、すぐに追いつくはずだ。
ドロリ、とどす黒い何かが溶け出してくるのを感じながらも、ねーちゃんみたいな柔らかい笑顔を貼り付ける。
「ねーちゃんと松田が結婚したら、松田と俺、家族だね!」
「けっ……ば、ばっかじゃねーの!!」
これ以上ないほど頬も、耳も、首元まで真っ赤に染めて否定する松田に「えー?」と茶化すように笑った。
ずるい、ずるい。“結婚”というたった一言でこんなにも松田の表情を変えてしまう。羨ましい。ねーちゃんが羨ましい。
大好きなねーちゃんと大好きな松田が幸せなら幸せ二乗じゃん、なんて考えることはできなかった。それほどまでに松田が好きで、俺だけの松田でいてほしいと思うくらいには松田のことを好きになってしまったのだ。
中学。新しい学ランに着られる時期がすぎ、着こなす時期に差し掛かった頃、ねーちゃんが結婚した。ねーちゃんは大学に入ってすぐに付き合った彼氏がいたらしい。その人と五年付き合ったのちの結婚。遊びに来ていた松田にも当然のように伝えられた。しかもねーちゃんの口から、直接。
「そっすか。おめでとーございます」
どことなくぶっきらぼうな言い方に疑問を覚えた。落ち込みとか悲しみとか、そんな感情が汲み取れなかったからだ。少し寂しそうだが、心から祝っている、言葉が荒いのは素直に祝うのが照れくさいから、って、そんな感じ。
松田がねーちゃんに恋してないのはありがたい。だけど、心から困る。だって、ねーちゃんのことが好きなら彼女をつくることもないだろうし、なんならねーちゃんに似ている俺のことを気にかけてくれるかもしれない。誰かも分からない奴に松田を取られるくらいならねーちゃんの方がまだマシだ。
…………嫌なのに変わりはないけど。
「なぁ松田、まだねーちゃんのこと好きなの?」
昔と同じように軽く尋ねたつもりだったが、どこかしら声が沈んでいたかもしれない。昔とは違い、松田が「違う」と言う可能性があったからだ。「違う」なんて言われたらどうしたらいいのか。ねーちゃんに似せて伸ばした髪も、ねーちゃんの真似をして覚えた優しい笑顔も、意味がなくなってしまう。
口を開いた松田の返事が聞きたくなくて、被せるように俺も口を開いた。
「ねーちゃんが好きなら……俺でも良くない?」
口をついて出たのは本音。驚いたように目を見開く松田の瞳は群青を濃く写している。
やばい、嫌われる、と思った時には「なぁんて、じょーだん!」と明るい声が俺の口から零れていた。
「俺、ねーちゃんと似てるって言われてたけど昔の話だからねぇ…… もう体格も良くなっちまったし身長も越しちまった。昔みたいにねーちゃんに似てるとこはなくなったわけだ」
肩をすくめて重くなりかけた空気を茶化すと、何か言いたげな松田がはくはくと空気を食む。そのうちに「俺はっ……」と意を決したような真剣な声が部屋に響いて無意識に身体をこわばらせた。
「っ、俺は…………いや、なんでも、ねぇ……」
続く言葉が「萩の姉貴じゃなくてお前が好きなんだ」だったらどんなによかったか。流石に夢を見過ぎだった、と反省して俺は小さく「そか」と返した。シンと静まる空気が、いつもと違って、居心地が悪くて、この話題はもう避けようとズキズキと痛む心に誓う。
それきり、松田との会話にこの話題があがってくることはなかった。
高校生になっても松田は俺の家に遊びに来た。受験勉強という名目だが、二時間もすればゲームや漫画に逃げてしまう。それでも、全国模試では俺も松田も志望校でA判定を取るのだから、まあいっかと思ってしまうのだ。油断は
命取りだが休息は必要だろう、という甘えである。
この頃になると、既に家庭を持ったねーちゃんが家に帰ってくることが少なくなって、必然的に松田とねーちゃんが会うことも少なくなった。
だからだろうか。あの頃みたいに真夏の海のように群青が輝くことがなくなった。そのかわりに、群青の瞳が真冬の夜空みたいに深く底がない濃い色を見せることが多くなった気がする。それでもキラリと光ることが稀にあって、その瞳で見られると何も変わらないはずなのに身体がすくんでしまう。ねーちゃんに向けていた太陽のような光ではなく、雲間に垣間見える月のように、欲の混じった、純粋無垢とは正反対の薄ぼんやりとした鈍い光。
記憶の中のねーちゃんに向けているのかと思うと、流石にねーちゃんが可哀想な気がしてくる。
しかし、既に人のモノになったねーちゃんを襲うような奴じゃないことは分かっているから、特に何も言わない。
あぁ、でも、やっぱり、松田にそんな目で見られるのは……
「いいなぁ……」
「なにがだよ」
つい零れた本音にすかさず松田が反応する。
お前の欲がこもった目で見つめられるのが羨ましい、なんて口が裂けても言えない。
「んや、別にー? 松田、頭いいからいいなって」
「そんなの、お前もそう変わんねぇだろ」
机上に置かれた問題集には赤い丸がたくさんついていた。
ちらり。
頬づえをついた松田の瞳があの色を映す。なんだよ。目の前に俺がいるのに、お前は俺を通してねーちゃんを見ているのかよ。そう思うと、いてもたってもいられなかった。悔しい。悔しくて、悲しくて、寂しくて仕方ない。なぁ、松田、お前、どうしたら俺を見てくれんの?
もやもやと黒く陰っていく心が、傷つかないようにと押さえ込んでもう二度と出さないと誓った話題を引きずり出してきた。
「……なぁ、松田、お前まだねーちゃんが好きなの?」
ピタリ、と音が止まり、松田のペンが止まって息遣いすら聞こえなくなる。聞こえるのは窓を叩く風の音と暖房の無機質な音だけだった。
無機質なその音が暖かいはずなのに俺の心を冷やす。問いかけたのは俺だけど、冷静になると返答は聞きたくない。
松田がまだねーちゃんを好きだと言えば、俺は一生追いつかないねーちゃんの影を追い続けるしか道はない。一方で好きじゃないと言えば、松田の好きな奴は誰なのか、どんな奴なのか、気になって夜も眠れないだろう。
開きかけた松田の口から言葉が出ないように声を被せる。あの時と同じ言葉をかけないように、と注意して口を開いた……はずなのに。
「俺にすればいいじゃん……」
零れてしまったのはあの時と同じ言葉で、気づいた時には頭を押さえて倒れ込んでしまいたかった。俺はどれだけ松田に未練があるのか。おそらく一人では処理しきれないほどの未練なのだろう。心中で嘲笑しつつ松田の瞳を見つめる。じとり、と夜空を映す猫みたいな瞳。
あの時、関係を壊したくなくて続けた言葉は飲み込む。いや、出てすらこなかった。
松田はふざけるなと怒るだろうか、冗談だろと茶化すだろうかか、気持ち悪りぃと去っていくだろうか。居心地の悪い無言の時間も、松田の返答によっては一生味わえないかもしれないと思うとこの時間すら噛み締めてしまう。
静かな部屋に最初に響いたのは松田のため息だった。
「お前、それ本気で言ってんのか」
ため息に次いで聞こえた声は、呆れや怒りよりも諦めと悲しみが混ざった、木枯らしみたいな冷たい声だ。
「松田……?」
なぜか松田が悲しそうに、悔しそうに見えてしまって咄嗟に声をかける。
「お前の姉貴の代わりじゃ、嫌だ」
穴が開くほど見つめてくる瞳は、冬の夜空。まばらに煌めくいくつかの星と、雲間から垣間見える薄ぼんやりとした月。
ねーちゃんに向けていた瞳より、深くて暗い、欲が混ざった絡みつくような視線を投げてくる瞳だった。
熱い視線ともはや答えだと言わんばかりの言葉に自惚れてしまってもいいのだろうか、と心が騒ぐ。伺うように視線を絡めると松田の薄い唇が開く。
「けんじ」
はやく言え、と促すように普段は呼ばない名前を、一文字ずつ染み込ませて紡ぐように呼ばれて、心臓が大きく跳ねる。カラリと喉が渇いて、頭の中で警報のように心臓の音が響く。
「松田、俺と付き合って」
言い終わるや否や、しっかりと結んでいた松田の唇が緩んでにっと笑みが浮かべられる。じとりとしていた瞳は柔らかく弧を描いていて、その奥ではキラキラと鮮やかに群青が輝いていた。満天の星を浮かべた群青の夜空
「あァ、もちろん」
机ごしに緩く立ち上がった松田が俺の胸元を引っ掴む。急に引っ張られて、力に逆らわず前のめりになると同時に松田の顔が近づいて唇に柔らかいものが当たる。カチ、と歯があたり、痛いな、と思う頃には柔らかい温もりが離れていた。
「やっと俺のものになった」
嬉しそうに頬を緩ませる松田の瞳は今までに見たことがないくらい輝いている。眩しくて見てられないくらいに。
だけど、疑問がないわけではない。なんで……? 松田はねーちゃんが好きだったんだろ?
俺の疑問が表情に出ていたようで、松田は居心地悪そうに頬を掻いた。素直で真っ直ぐな松田にしては珍しい仕草を見て、この状況にそぐわないが、かわいいと思った。
「確かに初めて好きになったのはお前の姉貴だけど……」
うろうろと視線が逃げて、怒られている子供のようだ。
「お前の姉貴の笑顔が、お前そっくりで…… 笑顔だけじゃない、喋り方も雰囲気も、好きだなって思うところ全部お前が基準だったんだよ」
「はぁ?」
つい頓狂な声が漏れる。いや声だけじゃなく顔も頓狂になっていることだろう。
だって、ねーちゃんと俺が似てるから好きだってことだろ?代わりじゃ嫌だなんて言っておきながら代わりじゃないか。
「お前姉貴にお前が似てるんじゃなくて、萩の姉貴の動作とか仕草とか、表情とか、一挙一動がお前を思い出させるんだよ」
そんな微妙なニュアンス、分かるわけがないだろう、と思う。しかし、目の前で頬を染めながら口を尖らせて拗ねる松田が、かわいくて仕方ない。俺のために恥ずかしいながらも好きになった経緯を説明して、うまく伝えられなくて拗ねる様は、言葉以外で俺が好きだと伝えてくれているようなもので、心が浮いてしまうくらい地に足つかない。だって、絶対に手に入らないと思っていた男が俺を好きだと言ってくれている。やっと手に入ったのは俺の方だ。
「松田は、ねーちゃんじゃなくて、俺が好きなの……?」
言われることがないと思って諦めていたたった一言が欲しくて、にやつく口元をおさえながら松田に尋ねる。
「萩原が、好きだ」
「そこは名前で呼んでよ」
気恥ずかしくてむずがる松田にそう言うと、数秒たじろいで口が開いた。
「研二……好きだ。研二だから好き」
「俺も陣平が好き」
もはや抑えきれない笑みを零して松田を見つめる。たった三十センチとちょっとしかない小さな机が邪魔で机を乱雑に避けて松田を抱きしめた。問題集もペンも音を立てて落ちていったが知ったこっちゃない。
腕の中で擦り寄ってくる熱が愛しくて、嬉しくて仕方がない。
「じんぺ」
幸せを噛み締めて名前を呼ぶと「なんだよ」とぶっきらぼうな声が飛んでくる。
「こっち見て、ちゅーしたい」
そう言うとゆっくりと視線を合わせてくれる。好きにしろよ、と明け渡してくれるが目は閉じない。「目、閉じてくれない?」と聞くと「やだ」と返ってきた。
「お前の目、雨上がりに反射する夕暮れみたいでキレーだから」
小さな声で「見てたい」と言われるともうだめだ。かわいい。俺の松田がかわいい。「そっか」と返事をするのが精一杯で、次の瞬間にはその尖らせたかわいい唇に噛み付いていた。
ずっと手に入れたかった松田陣平をやっと手に入れたんだ。事実を受け止めて噛み締める
もう、ねーちゃんが羨ましいとは感じない。
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向き
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ねーちゃんが羨ましい
初公開日: 2020年11月22日
最終更新日: 2020年11月23日
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コメント
DC萩松の小説です。
※萩原くんにお姉さんがいます。
萩原くんのお姉さんに初恋を奪われちゃった松田くんと、そんな松田くんが好きだけどずっと言葉にできない萩原くん、、を書く予定です!!!!構成ガバガバなんで主旨がずれていったらごめんなさい!!!!
途中で諦める可能性あり。
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