随分とまぁ、必死なものだわ。と、B子はそのやり取りを横目に見ながら思わず眉根を寄せ、思った。
先にいるのはA弥とC太だ。彼らは、C太は、A弥に自分の顔の前でスラリと長い両の指先を合わせて謝罪をしていた。
「ごめんね、急に変わっちゃったらしくて」
人好きのする顔で、申し訳無さそうにC太はA弥に謝っていた。A弥がどう思っているかなどはB子には分からないが、傍から見れば異常なほどC太はA弥に対して必死であった。なにか弱みでも握られているのかしら、と何も知らない人間がそれを見れば思うほどの必死さだ。が、二人のやり取りを見慣れたB子は、ああ、またやっているわ、と、思うくらいである。C太がA弥に対して必死になっているのはいつもの光景なのだ。
「そんなに謝らないでよ、C太が悪いわけじゃないんだし。それより早く行かないと、じゃない?」
A弥はそう言って口元だけで微笑んでいる。長い前髪のせいで、B子からはその表情はちゃんと見えないけれど、彼にしては柔和で、言ってしまえば随分と可愛らしい顔をしているな、と少しB子はつまらなくなる。別にA弥が誰に対してどんな顔をしていようがB子には関係ないのだが。そこまででB子は意識的に二人から目を逸して、数時間前に出された数学の宿題の問題に意識を向けた。
放課後、他の生徒達が部活動や帰宅をする為向かう玄関とは反対方向にある、この古びた木造建築。一階の渡り廊下から裏庭を通り少し歩いたところにある旧校舎。そこは今は殆ど使われることなく、年に一度のイベントに使う、使っていて壊れて捨てそびれたガラクタ等が物置代わりに置かれているような二階建ての楽園、その旧音楽室こそがB子達の秘密の花園であった。
この教室を見つけたのはA弥だ。見つけた当時は随分と埃が積もり、息をするのも躊躇われる状態だったのだとB子はA弥から聞いた。そんな状態からA弥はせっせと掃除や換気をこまめにして、今では居心地が随分と良くなった。そんな静かなこの空間にA弥は自らが噂を流したB子を招待し、そしてついでのように、いや、当たり前のようにC太と今はいないD音という少女も、今では放課後にはよく集うようになった。
趣味も嗜好もてんでバラバラの四人が殆ど毎日のように集う理由といえば、それは1つきりなわけでもけれど、大きい理由としては噂話や怪談、都市伝説が好きという理由であった。そんなものは万人が好きなもので、けれど彼ら彼女らはそんな万人よりもほんの少しだけそれらに興味が強かった。行くのに少し手間がかかる辺鄙な教室に集う始めの理由としてはそんなところである。
噂話が好きなA弥は如何にもなこの木造建築を気に入っていたし、そんなA弥に変な噂を流される文句を人目を気にせず言うためにB子は今日も教室に来ていた。
とは言え、毎日毎日噂話ばかりしているかと言えばそういう事でもなく。学生らしく勉強をするために来ることもそれなりにあった。妙に難しい宿題などをするのに、得意科目が少しずつ違う四人にとってこの空間は、言ってしまえばとても便利であった。
ガタンと、大きく音がなったところでB子の意識は数学の問題から目の前に座ったA弥に向いた。チラリとB子がその顔を見れば、A弥はB子の手元にある問題を見て長い前髪の奥にある目を嫌そうに歪めた。A弥が得意な科目は歴史や国語の文系科目が多いのだ。因みにB子も何方かと言えば文系科目の方が得意である。
「明後日までだっけ、それ」
「うん。半分くらい終わったけど、結構時間かかるわよ」
「やだなぁ」
率直すぎる感想がA弥の口から出た。B子も同意するように頷く。難しい問題というわけではない。しかし、妙に時間がかかる問題だった。家に持ち帰ってしまうとどうなるか分からなかったので、ここに持ち込んだのだ。ただでさえB子は優等生であるので、サボって終わりませんでしたとはいかない。しかしそれはそれとして、一人でやるのが億劫で他の三人を頼るためにB子はこの教室に来たのである。しかし一番頼りの理系科目が得意なD音は今日は家の用事でここには来れないらしく、たった今C太も何処かに行ってしまった。残っているのはウンザリした顔で問題から目を逸したA弥と、半分終わらせたところですっかり集中力が切れてしまったB子だけだった。
今日はもう無理だな、とB子はシャープペンシルを乱雑に筆箱の中に投げ入れる。A弥も椅子に座ったとは言え、鞄からなにか取り出すという風でもないのでもう帰る気でいるのだろう。B子は背中を伸ばしながら教科書などを鞄に放り込んだ。
「もう終わり?」
「ん、集中力切れちゃった。アンタも帰るんでしょ?」
「そうだね。B子が最後までやるってんなら残ってたけど」
「写す気満々じゃない」
タダじゃ見せないわよ、と言うB子の言葉にA弥は悪戯っ子のように笑った。
窓を閉め、立て付けの悪いドアの側で待っていたA弥と共に教室を出た。別に完全に締める必要はないのだが、A弥は毎回律儀に立て付けの悪いドアと格闘して帰るのだ。B子もそんなA弥の姿を何回か見ているので、帰り際はドアを締めるようになった。
何とかドアを締め終わったA弥は、待っていたB子の側へ少し駆け寄って、おまたせ、と言って口角を持ち上げるだけの笑みを浮かべる。なんとも可愛らしいことこの上ない。B子はそんなA弥を訝しげに見る。なんだか今日はやけに機嫌が良いようだ。
B子としては、普段滅多に感情を表に出すことなくオカルト話にしか興味がないような男が、宿題に対して面倒だと目を伏せたり、ドアを締める間こうして待っていたB子に対して嬉しそうに笑うA弥なんて言うものは逆に気持ちが悪かった。この男が機嫌がいいときなんて言うのは、大抵B子に面倒なことや厄介なことが起こる前兆のようなものだったからだ。
並んで出口まで歩くA弥は既に普段の陰気な顔に戻っている。その表情からは何も読み取れない。何を考えているのか分からない顔をしている。
「何かあった?」
結局、二階から一階に降りるまでもなくB子はA弥に対してあれこれ考えるのが面倒になってしまったので、そのままA弥に何かあったのか聞いた。トントンとリズムよく階段を降りていたA弥はそこで一瞬B子の方を見た。不思議そうな顔をしている。思い当たる節もなさそうだ。
「機嫌が良さそうよ」
「・・・そう?」
「陰気な顔されるよりマシだけど、いつも陰気な顔してるから、またなにか企んでいるの?」
B子がそう言えば、A弥はちょっと心外そうに目を丸くした。いつも陰気な顔が心外だったのか、企んでいる事が心外だったのか。B子はきっと全部だろうと思いながら、A弥から視線を逸してそのまま階段を降りていく。A弥も、少し遅れてB子に続いた。何方もそれ以上何も言わなかったので、ズレた2つの足音が暫し階段に響くだけだった。
夕日が窓から差して、B子は思わず目を伏せた。いつもより早いとは言え、やはり放課後は放課後。季節も夏が過ぎ秋口に差し掛かった。もう随分と日が落ちるのが早くなっている。夕日が当たりじんわりと温かい廊下を歩きながらB子が考えていたのは、やはりA弥のことだった。
A弥にはいつも陰気な顔をしている、とは言ったが、実際のところ最近はそうでもない。夏休みを過ぎてから二学期が始まって、ふと気づいた時にはA弥はよく笑うようになっていたのだ。それとなく、夏休みの間に何かあったのか聞いてみたこともあったが、A弥には思い当たることはなにもないらしく不思議そうな顔をされていた。先程のように。
同級生が明るくなってよく笑うようになったことは悪いことではない。それはそうだ。どんな顔をしていようが何を考えていようが、B子は誰かに迷惑をかけない限りはなんだっていい。それがA弥でなければ、興味もないし理由もどうだって良かっただろう。
ただそれがA弥であるので、B子は胸のあたりがソワソワする感覚になるのだ。
何故だか分からないけれど、自分がそれと無関係ではない気がしている。
旧校舎から出てもA弥は何も言わない。それはそうだ。A弥はオカルト話以外はあまり喋らない無口の類の人間であった。あの旧音楽室ではよく喋るけれど、こうやって教室から出れば何方かと言えばA弥は聞き役になり、よく喋るのはC太の方だった。そのC太はここにはいない。
「そう言えば、C太はなんだったの」
「あぁ、なんかね、面談の予定がズレたらしいよ。今日やる奴がダメになったから、明日のC太がズレて今日になったんだって」
「へぇ」
そう言えばそんな季節か、とB子は自分の予定を思い出した。最後の方だったので若干忘れていた。
それにしても、とB子は思わず鼻で笑ってしまった。よくやるものだわ、と、申し訳無さそうに両手を合わせて謝るC太の顔に思ったことを、A弥に対してはそのままスルリと言葉に出していた。ほぼ無意識の行動であったので、少し咳払いをした。別にその真意を聞かれて困るようなことはないし、A弥にもC太にも隠すような事でもない。ただ、思ったことをそのまま口に出すという事に慣れていないだけだ。
「何が?」
だから、何も分からないと言うように首を傾げるA弥に、B子はなんだか少し苛立ちを感じた。それが余りにも、モノを知らない少女のような仕草だったからだ。
やはりA弥は少し変わった。その原因がついぞ分からないB子は、純粋なその表情をちょっと崩したくて、わざらしい嫌味な女の顔をして猫背気味のA弥に視線を合わせた。性格が悪いなぁ、と、B子は心のなかで自分に苦笑した。
「C太よ、C太。よくやるわよね。あれ」
「だから、」
「あんな連絡くらい、携帯でやればいいのに」
A弥の言葉を遮ってB子は続けた。だってわざとらしくって仕方がないのだ。
A弥とC太は同じクラスではない。隣のクラスというわけでもないので、示し合わせなければ直接会うことは少ないだろう。だからといって、今時直接あって短い用事を伝えるなんてこともあまりない。素晴らしき文明の利器、携帯電話があるのだ。この学校は特に携帯電話周りの校則もそこまで厳しいわけではない。精々が授業中は使用禁止、それくらいである。だから、急に面談が入ることになって一緒に帰れなくなった、なんて事はメールでもなんでもすれば済むことだ。それを、C太は態々旧校舎の教室にいるA弥に直接言いに来たのだ。しかも用事はそれだけだ。何か貸している借りているというわけでもない。只々、A弥に会うという為だけにC太は今日あの教室まで来た。
よくやるなぁ、とB子はなんだか呆れてしまった。そう、厄介な宿題を目の前にそんなやり取りをされたから、集中力も続かなかったのではないのかとさえ思っていた。
「きっとアイツ、好きなのよ。ちゃんと分かってんの?アンタ」
けれど、A弥のあんな純粋な顔を見てしまってから、どうにもこうにもB子はヤキモキしていた。だからついつい、お節介な女子のような事までしているのだ。別にB子としてはA弥がどう思っていようがC太がどうなろうが興味なんてなかったのだけれど、いい年をした女子なんてものは皆こんな衝動を身の内に抱えているのかしら、とB子は他人事のようにA弥にツラツラ説教臭い事を言いながら考えていた。
「うん、分かってるよ。ちゃんと、C太の事は」
だから、そんなA弥の言葉にB子はキレ気味に返してしまったのだ。
「はぁ?」
「え、コワ。どしたのB子」
無表情で分かっている、等と言われても信じられないだろう。照れか困惑か、嫌悪でもその顔の中に見れたのなら納得しただろうが、あまりにもいつも通りが過ぎる。
A弥は怯えたようにB子から一歩離れたので、B子はその距離をわざとらしく大きい一歩で詰めてやった。その時になってA弥は嫌そうに顔を歪めるのだから、B子は更にムカついた。美少女に詰められて嫌そうにする男が何処にいるのだ。喜べ。
「アンタ、分かっててそんな顔してるの?とんだ性悪よ?」
「え、性悪?・・・え?」
「だから、C太の」
「C太の気持ちでしょ?分かってるってば」
今度がA弥がB子の言葉を遮る。B子はそれに畳み掛けようと口を開けたが、A弥の顔を見てそんな気も失せてしまった。
軽薄気味の言葉とは裏腹にA弥は、最近感情が分かりやすく顔にでるようになったA弥の表情は、少しの諦念を笑みに浮かばせ夕日に照らされていた。B子は、やはり可愛い顔をしているな、と場違いにもそう思う。
「なんでそんな顔してんのよ」
まるで何年も何年も一緒にいて叶う見込みもなく、それでも想いを諦められない男のような顔だ。静かに、ただ静かに微笑むA弥は可愛くて可愛くて、そしてとても可哀想だった。B子は何故自分がそんな事がわかるのか、何故A弥に対してそう思うのか分からない。分からないけれど、先程とは別の苛立ちが心に湧き上がっていた。
やっと夏を越えたのに、と、そう思う理由がわからなかったから声には出さなかったけれど。
「B子は、C太の好きな人が僕だと思ってるんでしょ」
「思ってる、ていうか、どう見てもアンタしかいないじゃない」
「違うんだよ。僕じゃない」
僕じゃあないのさ。とA弥が心底おかしそうに笑いながら言うもんだから、B子は困惑しながらも、気付かず力が入っていた肩を下ろした。A弥の柔らかく笑う顔に、B子も釣られてしまったのだろう。先程までの原因不明の苛立ちは何処かに消えたB子は、その大きな瞳でA弥を見た。続きを、と視線だけで促す。すっかり話を聞く態勢になったB子に、A弥は声を出さず笑った。そんなにも、恋バナがしたかったのだろうか。いや、勿論違うことは分かっている。
B子のそれは、いつだって変わらないのだ。
可愛らしく振る舞う仕草に、激情を出す口に騙されがちだけれど、B子の一番の武器はその大きな瞳だ。赤みの強い茶色の瞳とそれを囲う長いまつげ。タレ目に見えて、実はつり上がっている眦。自分に自身があるからなのか、それとも此方をよく観察しているからなのか、B子は人をジッと見つめる癖がある。ただでさえ可愛い顔をしているのに、そうやって見つめられてしまえば、ただの凡人は黙ってしまうしかない。いくら可愛かろうが、そんな見つめ方をされてしまえばB子が可愛いだけの女の子じゃあないことは誰にだって分かるのだ。どうにも今はその事をB子自身が理解していないようだけれど、きっと何年もせずにその事に気づき、そしてそれを武器にして更に自分を磨いていくのだろう。その頃にはきっと、B子は裏も表もない。たった一人の強く美しい女性として、そんな未来が待っている。
以前ならば、B子が美しい等とは露とも思わず、大きな瞳からは長い前髪で隠れていただろう。が、今はもう、真っ直ぐとB子の瞳を真正面から見て、あぁ美しい女だな、と思えるのだ。
「ねぇ、B子。君はもう裏とか表とか気にしなくなった?」
てっきり話の続きをするのかと思えば、A弥はそんな事を口にした。それにB子は思わず、また強めの語尾ではぁ?と返した。意味が分からない。いや、意味は分かるのだが、なんで急に話が此方に向くのかが分からない。
けれど、そんなB子の返事に対しても動じずにA弥はB子の返答を待っていた。真っ直ぐA弥はB子を見て待っていた。こんなにもちゃんと目があうのは珍しいな、と、B子は思った。だから目は逸らさず、肯定の意味を込めて頷いた。
「えぇ、なんだか馬鹿らしくなったのよ」
裏とか、表とか、本当の自分とか。思えば夏休みに入る前まではソレを日がな一日頭の何処かで考え続けていた。今思えば、なんて馬鹿だったのだろうと、恥ずかしくさえ思う。だってそうだろう、人には結局裏も表もあって、その裏表でさえも人によって見せる面はまた違ってくる。その何方かが本当の自分で、本当の自分では無い方は偽物の自分、そんなわけはないだろう。当たり前の事だ。それでも、そんな当たり前の答えだったとしてもきっと考える意味はあったのだろう。延々と考え続けるのは性に合わないと知っているけれども、ちゃんと考える時間が私には必要だったのだ。裏とか、表とか、そういう事を。
でも、そう言えば答えに辿り着いた切っ掛けは何だっただろうか。
A弥はB子の答えに嬉しそうに笑った。本当に嬉しそうに、可愛く笑った。そのせいでB子も脈絡のないA弥の質問に対して怒るに怒れなくなった。B子は、どうやら自分はA弥の笑った顔に弱いらしいと理解して、大きくため息をついた。なんだかA弥に負けたような気分なのである。
そんなB子に気付かず、A弥は今度こそB子の質問に答えた。
「C太は僕の事なんか、きっとこれっぽっちも好きじゃないね」
「・・・なんでそんな断言できるのよ。C太から何か言われた?」
「C太は僕には何も言わない。寂しいけどさ」
そういうA弥は全く寂しくなさそうだ。先程までの柔らかい表情は何だったのかというくらい、元通りの陰気な顔をしている。B子は素直になんだコイツ、と思った。
「じゃあ、C太が好きなのは誰なのよ」
「自分自身だよ」
A弥が何てことないように答えたソレに、B子は困惑するより先に納得してしまったので返す言葉がなくなった。そんな事ないだろう、とか、それはあの男に失礼だろう、とか。そんな事すら思わずに、A弥の言葉が心にストンと落ち着いてしまったのだ。あぁ、それで、と言う言葉が自然と口から出てしまうくらい。絡み合った糸がスルリと解けた。なるほど、やっとあの男の行動が理解できたわ、と。
B子だってそれなりにそれなりの女の子なので、恋などというものはまだよく知らなかったけれど、B子はなんにしろよく色々な人から好意を向けられていたから恋というものがなんなのか分からずとも、恋をしている人間のことはよく分かっていた。
恋をしている人間は、ほんの少しだけ可愛くなるのだ。B子は、それが女であろうが男であろうが関係なくそう思っている。事実、B子の前に現れるそういった人間たちは、B子にとって可愛らしいことこの上なかった。その気持には答えられなかったけれど。
さて、ではC太はどうだっただろうか。B子は、つい先程のC太の様子をもう一度思い出した。
実を言うとB子はC太の事があまり好きではない。かと言ってその他でB子に好きな人間がいるのかと言われると、まぁすぐには答えられないが。B子は基本的に他人に興味がない。
それを抜きにしても、やはりB子はC太のことが特別に苦手であった。それを表に出すような馬鹿な真似はしなかったけれど、C太もそんなB子の気持ちには気づいているだろう。C太もそれほど自分に対して好き嫌いの感情を抱いていないだろうと、B子は分かっていた。
C太に対する変な嫌悪感、とでも言ったらいいのか。B子はその複雑な感情にちゃんとした名前をつけることが出来なかった。が、A弥から聞いた話でようやく分かった気がした。C太が好意を向ける先にいるのが自分自身であるのならば、B子が感じる嫌悪感の正体は同族嫌悪だ。
C太はきっと、B子と同じように基本的に他人に興味がないのだろう。
他人に興味がない、即ち、A弥にだってC太は実は興味がない。B子としては少なからず思う所はあって欲しいと思うけれど、A弥はどうやらそうではないらしい。C太の歪な矢印に、A弥は謎の自信をもっている。捨てちまえそんな自信、と、B子は吐き捨てたかった。
今B子の頭に過るのは、A弥とC太、二人のやり取りだった。口下手、というか何かを言うのが面倒になったA弥の代わりにA弥としての意見を出すC太。A弥が何かを言う前に、それを察しているC太。忘れ物をしたA弥に、C太がものを貸したこともあった。A弥がそれを忘れたと口に出す前にだ。A弥がB子を煽るような事を言ってB子を怒らせたのを、C太が謝ってきたこともある。B子がC太を認識し、嫌いなタイプだと思ったのはその時だった。その他にも色々、数々の、C太の行動。あのほぼ全てが、A弥ではなくA弥の先にいるC太自身への自己愛なのだとしたら、そこまで考えてB子は鳥肌が立った二の腕を擦る。元々オカルト系の話はあまり得意ではないのだ。勘弁してくれ、とB子は意味もなく手を握ったり開いたりする。C太の、A弥の気持ちなんて全く考えていないようなそれらは、もうほぼホラーに分類されてもおかしくないだろう。
「C太とはずっと昔からの縁だけれどさ、その時からずっと変わらないんだよね」
「末恐ろしいわね。とんだナルシストじゃない」
「酷い」
A弥はそう言って笑った。一頻り笑って、内緒話をするみたいにB子の耳元に口を寄せた。
「僕、C太そういうところが好きなんだ」
A弥は、また、そう言って可愛く笑う。
B子はやはりその笑顔に弱かったから、何かを口に出そうとして、そのままグッと飲み込んだ。
けれどやっぱり、B子は我慢できずにA弥の頭を揉みくちゃに撫で回したあとで
「趣味が悪い!」
と叫んでしまった。誰もいない廊下にB子の声が響く。誰もいなくて良かった、と、B子は思う暇がなかった。
だってそうだろう。こんな美女が近くにいるのにも関わらず、なんでそんな趣味の悪い男を好きになってしまったのだ。男とか女とか関係なく、只々A弥の趣味が悪い。どうしようもない男を好きになってしまった女の友達の気分ってまさにこんな感じだろうか。そんな男やめて私にしときなさいと、B子はA弥の肩を揺さぶってしまいたくなる衝動を抑えるのに必死だった。
それでもA弥は、なんだか幸せそうにB子を見て笑うもんだから、B子はまた口を噤んでしまうのだ。理由は分からない。理由は、全く、分からない。なのに、A弥が笑って、こうして二人して似合わない恋バナなどをしているこの瞬間が、堪らなく幸せに感じてしまう。だからまたA弥につられて、B子も自然と口元が緩む。
なんだか変な空間だった。静かな校舎、遠くから聞こえる部活動をする生徒の声。誰かの足音。吹奏楽部の演奏の音も聞こえる。いつもの風景、いつもの光景。でもそんな空間に、ポツリとA弥だけが、何故か不自然に感じてしまう。
B子は、捕まえるようにA弥の腕を握った。
「どしたの?」
やはり夏休みに入る前、初夏の頃のA弥とは全く違う。柔らかい笑顔。達観した眼差し。いつからそんな優しい口調になったのだと、聞き出したかった。A弥の肩を揺さぶって問い詰めてやりたかった。クラスメイトも、教師も、A弥を見てすらいないC太なんてもってのほかだ。A弥の変化は極僅かで、人の顔を観察しながら生きてきたB子だからこそ気づけた変化だった。
きっと、自分も知っていることだ。そうB子は直感した。
夏休みに入る前、初夏の頃。覚えていないだけで、きっと自分にも何かあったのだ、と。B子はなんの理由もなくそう直感したわけではない。B子にも思い当たる節があった。
自分の、ともすれば二重人格とさえ言われた裏と表の顔。A弥に一瞬ドッペルゲンガーの噂を流され、心臓が変な鼓動を打ったのを覚えている。それ程迄に思いつめていた時期があったはずなのに、今ではそれが遠い過去のような気分でいる。たった二ヶ月くらい前の事だった筈なのに。
D音だってなんだか変わった。
あの女。私を時々変な目で見ていたあの女。D音は、私の後ろに付いて回っていたあの子は、いつの間にか私の横に並んで歩くようになった。ちゃんと顔を見て話が出来るようになった。前は無理に私に合わせていると感じることもあった。けれど今は、彼女は可愛らしく笑って、嫌なら嫌だとはっきり口に出すようになった。存外性格も口も悪い彼女は、むしろ周りを振り回すタイプで、私は嫌いじゃない。
でも、それじゃあC太は?
彼はあの時から何か変わっただろうか。A弥に会いに態々あの旧校舎まで行き、急な用事が入ったと謝りながらA弥に向けていたあの必死な眼差しは、本当にA弥の事など全く考えていなかったのだろうか。
B子はA弥を見る。猫背気味で、前髪が長く、未だにろくに成長期がきていないのか制服はダボついている。姿勢が悪いから目線も下がって、長い前髪から覗く目はやけに不気味な印象を受ける。ダボついた服を萌え袖だと流行らせた人間もいるが、B子からしてみればただだらしがないだけに見える。
「でも制服は、しょうがないわね」
「え?」
A弥の前髪をかきあげて、B子は現れたA弥の顔を真正面から眺めた。A弥は突然のB子の行動に頬を赤く染める。あぁ、なんて可愛らしい。B子はそれで、A弥の趣味の悪さを許すことにした。
そして、やっぱりB子はA弥のことが許せなかった。男の趣味が最悪なのはもう仕方がない。こういうのは好きになってしまった方が負けなのだろう。そういう意味では、A弥はC太に対してもっと敗北者らしくしなければならない。敗北者らしく、必死になって相手を振り向かせるために自分を磨いていくのだ。B子はそういう人間だけはよく知っている。たとえ好きになったのが有り得ないほどのナルシストであろうと、頑張って結局叶わなかったとしても。A弥は自分の気持に必死にならないといけない。
B子は、A弥が自分に内緒話をした時の顔を、きっとずっと忘れないだろうと思った。同時に、この顔をあの男に見られたくないと思ったし、なんでその顔をあの男に見せてやらないのかとも思った。もしC太がその顔を見てもなお自分しか見えていないと言うならば、一発ぶん殴って正気に戻してやろう、とすらB子は考えていた。
可愛らしさで言えば、B子には勿論負けるがA弥だって存外可愛い顔をしているのだ。身長が低いうちは可愛らしくたって違和感は少ない。男は単純だ。普段触れないところに触れ、顔を近づければ頬を染める。それはやっているのがB子だから、という事に彼女は気付かないふりをして、あれやこれやとシュミレーションをし始めた。
理由は未だに分からない。しかしB子は、それならばそれで良いと思い出すのを止めにする。難しく考えるのはやはり性に合わない。
それからA弥は、B子の急な行動に混乱しながらもB子にされるがままになっていた。猫背を矯正されたり、もっと上手く笑えと頬を引っ張られたり。B子が何を目指しているのかA弥には分からなかったけれど、まぁいいかと流された。夏を越えた先にあるものならば、A弥はなんだって楽しかった。
こんな物語でも、いいんじゃないの
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