「試合で披露する舞うを見せろって? 突然何を言い出すんだか」
そう言いながらも一歩を踏み出すルカの足取りは確かなものだった。頭の中でどういうものだったか思い出そうとしているのか腕は組んだまま、だけど足は大きく一歩二歩、とステップと思うものを踏んで、そうしている内にああ、と小さな声を出した後に腕がきれいな形で空気を抱きしめる。そのままくるりと一回転して、満足そうにルカは頷いた。
「ああ、これだな。こう言うので良いんだろう?」
そう言ってナイチンゲールに話しかけているルカの姿を、僕は遠くから眺める。手の届かない世界にいたことを思い知りながら。
思ったより顔に出ていたのかもしれない、と分かったのは、ルカの部屋に招かれて、コーヒーの入ったカップの横にクッキーが添えられた時だった。ルカは食事をちゃんと取らない分、甘いものをよくかじっている。ルカが食べているのをいつも見ているだけだった僕は、それが僕に分けられたことにびっくりしてしまう。何でか聞こうと顔をあげれば、ルカがお見通しだと言うように僕を見て目を細める。
「アンタが考えることなんて私は簡単にわかるってことさ」
「……まだ何も言ってない」
「言ってなくても。気になったんだろう? さっきの私の踊り」
「……」
黙ったらルカがきひひ、といつもの変な笑い方をして、そしてクッキーの袋の紐をほどく。一枚取り出して僕の前に突き出すから、仕方ないけれど受け取った。クッキーはおいしい。ルカも何枚か口の中に放り込んでもぐもぐと頬を膨らませている。やがてコーヒーをごくりと飲んで、まあ話せることは全然ないんだけどね、と軽い声でそう言った。
「私は一応、記憶にある限りはちゃんとした天才発明家だったからね。お抱えのパトロンが――えっと、お金を支援してくれる人が居て、そう言う人の箔になるからと社交パーティに参加していたんだよ。そうすると当たり前だが踊らなくてはいけなかったから」
ルカにパトロンってなんだと聞く前に答えが返ってくる。妙に難しい言葉はルカが詳しく説明してくれるから少しは賢くなったつもりだけど、やっぱり難しい言葉が多い。僕はちょっと言い訳にも似たルカの返事を聞きながらカップを傾けた。コーヒーは苦くてあんまり好きじゃない。ルカは美味しそうに飲んでいるから、好きになるかもしれないと飲んでみるけれど。
「君と言う人が居ながら……って昔には出会っていないから仕方ないな、でもだからといって社交界に参加しているだけで、やましいことなんか」
「……なんの話をしているんだ?」
「君が私と踊った女性に嫉妬しているのを宥めているんだが?」
「は?」
コーヒーの苦さに真剣になっていたら、話が妙な方向にズレていた。何を言ってるんだ。思わずカップを置いてルカの顔を覗き込んでみるが、ルカは案外真剣にそう思っていたみたいで、本当に違うのかい? と僕に首を傾げてくる始末だ。
「僕は嫉妬なんかしてない」
「でも踊ってる時すごく私のこと見てただろう?」
「それは」
言っても良いかなとは思うが、なんとなく気恥ずかしさがあって僕は目を逸らす。ルカは僕の方に右手を伸ばして頬に触れる。こういう、突然意味もなく優しくされるのは苦手だ。
「教えてアンドルー? 私はエスパーではないから君の気持ちは分からなくてさ」
「……笑わないか」
「内容による」
「最悪だ」
思わず悪態を吐けばルカがにやりと笑って、今更だろう? と言われてしまう。残念だがその通りだ、僕は観念して小さくため息を吐いた。
「踊りがきれいだと思った」
「きれい?」
「ああいうの、ちゃんとした踊りなんだろう? 僕はよく知らないけど……だからきれいだって思ったし良いなって思った、ちょっと」
「……なるほど」
「笑わないんだな」
ずっと触れたままの右手が僕の頬を撫でている。ルカは結構誰かに触るのが好きみたいで、こうやって僕の顔も暇な時によく触れている。飽きないのかと思うけど、僕も気に入っているから内緒にしているのだ。ルカは僕の答えに真面目に頷いて、そして左手でコーヒーの入ったカップをぐいとあおった。
「君の踊りは? って言うか踊れるの?」
「踊れたと、は思う。僕だってステップくらいは踏めるからな」
「ほう、」
「ほら、1、2、3、ってあれ」
「ワルツだな」
リズムにも名前があるのか。そう感心してるとワルツは音楽のカテゴリのひとつだよと説明されてなるほどと思う。母さんがずっと前に口ずさんでたあのリズム、ワルツって言うのか。ひとりで納得していたら、ルカの右手が離れた。あ、と思う前にはルカはもう立ち上がっていて、そして僕の方へ向かって手を差し出してくる。一体なんなんだ? 差し出された手の意味がわからず見下ろしていれば、ルカが気取った声で笑う。
「私で良ければ教えようか? ダンス」
「ルカが?」
「もちろん。私の脳みそはもうポンコツだが、意外にも運動は身体が覚えていてくれたらしくてね、そこそこちゃんと踊れそうだ」
まあ君も足を踏まないようには気をつけてほしいけどね、と皮肉を付け加えられてむっとする。突っぱねてやろうかとも思ったけれど、先程のルカのあの動きを思い出す。大きな一歩。優雅にターンする姿、確かに誰かの居た記憶のある両腕。
「足は踏まないようにする」
「嬉しいよ」
差し出された手を取ると、しっかりした力で引っ張られて立ち上がる。自分よりも低い頭を見下ろして、ルカがあ、と少し間抜けな声を出した。
「そうか、ワルツはふたりで役割が違うをすっかり忘れていた」
「役割が違うとどうなるんだ?」
「私は片方の役しかやったことがないから君に教えられない」
それは大問題だ。そう思いながら僕は未だに離れない手を見下ろす。小さく握り返せばルカが思い出したように繋いだ手を見下ろした。そして困ったなぁ、とは呟くものの、僕にダンスについて教えてくれる。
「まあ基本形は変わらないから。こうやってアンドルーは私の右手に左手をこう……乗せて。そして反対の手は私の腕あたりを……そう、そんな感じで掴んでくれれば完成だ」
ルカの手が背中に回る。ルカは先程の踊りと同じポーズをしていた。その腕の中に自分がいることに訳もなく嬉しくなる。ぴったりな気がする。今のルカには、
「このままどう動くんだ」
「……良いのかい?」
「良い。それよりもルカと踊ってみたい」
「はは、最高の言葉だ。こんなことならもっと部屋を片付けとくべきだった!」
ルカはそう言いながら「はじめの一歩目は右足から、小さめに」と僕にアドバイスをしてくれる。
「大丈夫、この踊りは私がリードをするんだ」
ルカの言葉に神妙に頷いて、僕はさあ行くよ、と声をかけられると同時に右足を小さく一歩踏み出した。一歩、二歩、くるりと方向を変えて、一回転、はさすがに物が多すぎるこの部屋じゃできなかったけれど、繋がれた手が、回された手が僕を導いてくれるのを感じられてああと満足感の声が漏れる。ルカの部屋は狭すぎて全然動けなかったけど、どんなダンスホールよりも特別に見えた。リズムが分からなくて思わず呟いていたリズムを刻む僕の声に嬉しそうに笑って、今度はちゃんとターンをして、
「いてっ」
机に背中を強くぶつけた。勢いよくぶつけたらしく思わず手を離して背中をさすっている。さっきまでの特別な感じは全くなくなっていて、だけどそれが面白くて僕は笑いながらルカの背中を同じようにさすってやった。
「もう少し部屋の整理はすべきだな……」
「ずっと僕は言ってたぞ」
「全くだ。こんなんじゃ誰も舞踏会に呼べやしない」
ルカはそう言ったけれど、結局掃除はしないだろうな。いつもそうだと思いながら僕はソファに座るルカの隣に腰掛けた。そして先ほどまで踊っていた場所を見つめる。ルカの居た世界は僕には想像できないけれど、きっとこう華やかで、楽しい場所だったんだろう。ルカと踊るダンスは楽しかった。
「踊りは楽しかった」
「おや? あんなもので満足してくれるなんて光栄だよ。ダンスなんて結局、ただの手段だからね」
「そうなのか?」
「過去の私にとってはね、けれど今は違う」
ルカが僕の方に振り向く。気づかなかったけどルカの頬がちょっと赤くなっている。照れている? ルカが? 思わず見つめてしまえば、そんなにじろじろ見ないでくれよ、と困ったように笑われてしまった。
「好きな人と一緒にこんな近くで踊るなんて、ドキドキしない方がおかしいだろう?」
「……!」
改めて言葉にされた「好きな人」に僕の頬もカッと熱を持つ。絶対赤いに違いない。隠すように慌てて顔を背ければ、ほら、君だってそうだろう? とからかうようにルカに言われて何も返せない。
「ああ、でも、踊りが楽しかったのは私もだよ。そうだな……君が良かったらなんだけど」
ルカが立ち上がって僕の正面に立ったと思ったら膝をつく。見下ろしたルカは楽しそうに目を細めて、そして僕に向かって右手を差し出した。
「また一緒に踊ってほしいな。今度はもっと広いところで。どう?」
「……考えてやらないこともない」
キザったらしいセリフも仕草も妙に似合っているのが悔しくて、だけど僕はその右手に左手を乗せた。