その本を買ったのは気まぐれだった。
本屋の軒先に大量に平積みされていたその本、ポップやポスターなんかが周囲に飾られ、有名人の推薦文なんてのもあったり。表紙には何だか辛気臭いような表情の男女が、なんとも言えないような顔をして見つめあっている。
"今世紀最大のラブストーリー"
"2人の人生に誰もが涙する"
そんな売り文句を見るに、本の内容としては悲恋なんだろう。普段であれば、そんな本の山には一瞥をくれてやるだけだが、本のタイトルに見覚えがあった。
ただいまソーは絶賛帰宅中である。先程まではアベンジャーズと、その他関係者と、その友人知人家族たちとの集まりが、端的に言えばパーティがあったのだ。そんなパーティで、お酒も飲んで会話も弾んでいた時、度々話題に上がっていたのが、この本の名前であった。
ソーは知らなかったのだが、世間ではこの本がなかなかブームになっているらしく、パーティに来ていた人たちの中にも、その本読んだことある、ラストは本当に泣けたよね、などと盛り上がったのだ。
もちろんソーはその本自体を知らないので、そこまで言うほど面白い本なのか?なんて懐疑的な気持ちを抱いたが、その気持ちが態度に現れていたらしく、読者の面々に、ソー、今疑ったよね?本当に面白いんだから読んでみてよ!と熱く布教されてしまった。ソーが、そうかわかったとその場を流そうとしても、まだ本の魅力を語っていない、もっと素晴らしい所があの本のストーリーにはあって、としばらく愛読者たちから離してもらえなかった。
そんな記憶も新しいソーは、帰り道に本屋で見かけたその本を手に取ると、ぱらりぱらりと中身を見た、もちもん文字が羅列されている。ソーはパタムとハードカバーの表紙を閉じると、本を片手にレジの所へ向かう。
「ただいま」
夜も遅い時刻に帰宅をしたソーは、小さな声でただいまをする。同居している弟は、まあ夜更かしをする方だけれども、流石に夜中に大声で帰宅の挨拶は近所迷惑だ。
軽く足音を消して、リビングへと向かうソー。水の1杯でも飲んで早く寝てしまおう、そう思っていると、リビングのTVが付けっぱなしなことに気がついた。深夜のよく分からない通販番組が流れているTV、その向かえのソファーをちらりと覗くとそこには、長い手足もぎゅっと縮めて、どこか狭そうにソファーの中に収まり眠っているロキの姿が。ソファーの足元にTVのリモコンが転がっているところを見るに、寝落ちしたみたいだ。
小さくなってふすふすと寝息を立てる弟に、ソーも苦笑いとため息が出る。
「ロキ、こんな所で寝るな、風邪をひくぞ」
「……んん〜〜〜」
「ロキィ……」
ぐっすり寝ているロキは、ソーが声をかけても身体を揺すってもむずがるばかりで一向に起きようとしない。
しょうがないなとソーは気合を入れて、寝ているロキを抱えあげる。ロキの重さはさほど気にならないのだが、やはり寝ているヒトを持ち上げるのは一苦労だ。ぐんにゃり、くったり、ロキの長い手足は重力に従い自由気ままに揺れている。
「よっ、と」
「んんん〜〜!!」
「おわっ!暴れるなって!」
急に持ち上げられたのが気に食わないのか、寝ているロキはうなりながら暴れ出す。どうどう、落ち着けと優しく叩いてなだめすかす。
なんとかロキをベッドまで運んで寝かせ、その隣にソーもどかりと横になる、シャワーは明日の朝浴びればいい。心地よい疲れと、適度な酔いが、ソーをあっという間に夢の世界へと誘って。
「……なんだ、この本?」
「あー……」
あっという間に朝が来る。
ソーが目覚めてリビングに行けば、昨日の夜はソファーで寝落ちした挙句に、寝ぼけて暴れたとは思えないくらいのすまし顔をしているロキ。その手にはソーが昨晩買ってきた本を持ち、ジロジロと眺めながら不審げな表情をしている。
そんなロキに、そういえば買っていたなとソーも思い出す。
「俺が買ってきたんだ、昨日の夜」
「アンタがこの本を?これはまた、隕石でも落ちてくるかな」
おおげさに驚いているロキは、その本の表を裏を、じっくりと眺めて、途端にケラケラと笑いだした。
「ははは、この本、恋愛小説じゃないか」
「……らしいな」
「恋愛小説!どんな顔して読むつもりだったんだ、あはは」
ソーが恋愛小説を買ってきたのが愉快らしく、本とソーを見比べては声を上げて笑うロキ。ソーもここまで小馬鹿にされては気分も良くない。
「別に俺が読むつもりで買ってきたわけじゃない、ただ話題になってると聞いてな」
「読む気も無いのに話題だからって買ってきたのか?置物にするつもりか?」
「お前が読むかなと思ってだな」
「私が?」
"今世紀最大のラブストーリー"
本の帯に書いてある謳い文句を見たロキはひとこと。
「絶対読まない」
ソーが本を買うという珍事から数週間が経過した頃、リビングかどこかに放っていた例の本は、どこかへ消えた。まあ、ロキが捨てたんだろうなとソーはあまり気にしていなかった、ソーには本よりも気にかかることがあるからだ。
ロキは周知の通り、インドア派だ。時間があれば家にこもり部屋にこもり、ソーには理解のできない、得体の知れない、何だかもうなにがどうなってるのかわからないことをしたがる。ここ数日だって、部屋にこもって何かをしている。
ソーはロキが心配なのだ、ここ数百年は心配しっぱなしなのだ。ずーっと部屋にこもりきりだと、元々色白な肌が更に青白く不健康になるし、ずーっとひとりでなにか楽しくやっていると、友達の少ないロキはますますひとりぼっちになってしまうし。ソーはロキの兄だから、ロキのことをいつでも心配しているのだ。
「ロキィ!たまには部屋から出てこい!」
「ほぎゃっ!?」
だからノックをしないでロキの部屋に入るのも仕方の無いことなのだ。
ソーがロキの部屋に押入ると、ロキはベッドの上でシーツを被って丸くなっていた。なんでシーツなんかを被っているんだとソーがシーツを剥ぎ取れば。
「わっ!いきなり何するんだ!」
「ロキ、お前、泣いてたのか……?」
「ちがっ、兄上には関係ない!さっさと出てけよ!」
目を腫らして、鼻を赤くして、それでも泣いてないと言い張るロキがいる。
「何か嫌なことがあったか?誰かにいじめられたのか?」
「もう!違うったら!ソーには関係ないから早く出てって!」
「俺にも言えないことなのか……うん?お前が持ってるその本は……」
「だから関係ないって何度も言ってるだろ!」
ぐしゅぐしゅ鼻を鳴らすロキの手には、以前ソーが買ってきた話題の本が。ソーはロキのことに関しては誰よりも賢いので、すぐさまピーンときた。
「ははーん」
「なんだよ……」
「お前、絶対読まないとか言っておきながら、読んでみたら意外に面白かった、ってところか?」
「だったらなんだよ!」
「読んだんならどんな話か教えてくれよ」
ソーもにっこり笑って、その為に買ってきたんだとロキに言う。ロキは話すのが上手な上に、要約するのも得意だから、話題の作品はまずロキに読ませて、後で話を聞くのがソーの常である。
そんなソーに、ロキは嫌々ながらも本の内容をざっくばらんに話し出す。
端的に言えば、生き別れの兄妹がお互いを兄妹と知らずに恋に落ち、結ばれる直前に真実が明らかとなり、苦悩していく、といった話らしい。ただ作中の人間関係や、心理描写、すれ違う気持ち、ヒトのドロドロとした打算や、なにげない優しさなんかが詰まっていて、とにかく感情移入しっぱなしの泣きっぱなしな話らしい。その説明をしている間のロキも、始終目を潤ませて、何度も鼻をかんでいた。
その話を聞いていたソーは、ぼんやりと、自分たちとは真逆の話だと思っていた。ソーとロキは、お互いを血の繋がった兄弟だと信じていた頃から惹かれあい、真実が明らかになった後でも、お互いを唯一のきょうだいとして、伴侶として愛してきた。
だがロキにはソーとロキのこの関係に、思うところがあるのだろう、だからこんなにも感情移入をして、目がとけてしまうんじゃないかと思うほど泣いているのだ。
ぼたぼたと止まらぬ涙を落とすロキに、どうやって落ち着かせようと思案していたソーは、ふと、あることを思い出す。しばらく前から話題になってたこの本は、最近映画になるともっぱらの噂であった。
そっとスマートフォンを出して、タプタプと検索エンジンを操作すれば、映画化決定!の文字が躍り出る。
そっと、その画面をロキへ向けるソー。
「この本、映画になるらしいが……」
「絶対観る、その時はアンタも一緒だ」
はからずも、映画デートの予定が決まってしまった。