覚えているのは肉と木が焼ける嫌な臭い。自分が見つめているその先には、かつてささやかな幸福と安寧のみしかない温かな場所であったはずだ。それが、今ではどうだ。
絶望と共に感じられるのは死臭が漂う死の光景だった。
そうだ。絶望だ。そしてあまりにも無力な己に対する失望感が少年を包み込んでいく。
それは毒のように全身に回り、温かいはずの体温も冷え込んでいくのを感じながら、バージルはいつのまにか泣いている自分に気がついた。目元からは大粒の熱い涙が堰を切ったかのように頬を流れる。しゃくりあげるように嗚咽を漏らしながら、ただ震えながら母と弟の名前を呼び続けた。
しかしーーーしかし。
いくら名前を呼び続けても返答はなく、ただ全てを包み込む業火がバージルの網膜に焼き付いていた。そして暗闇から躍り出る無数の悪魔達が、嘲笑を浮かべながら此方へにじり寄って来る。それを見た瞬間、バージルは怒りと絶望とーーー恐怖が入り混じった顔で絶叫しながら、ただ何も考えずに駆け出した。
* * *
結論から言えば、あまりにも無謀な特攻は大敗に喫した。
悪魔達に嬲り殺しにされかけていたバージルを救ったのは、何故か急に現れた父の遺産、閻魔刀である。
その力でもって、未熟ながらも自身の身を守ることができたのだがーー喪った代償も大きい。
母と弟は、恐らくは悪魔に殺されてしまった。
死と絶望で半狂乱になりつつある精神を、お守りのように閻魔刀を抱くことで何とか保とうとする。息が苦しい。吐き気がする。
「・・・母さん・・・!」
母を呼ぶ。炎に焼かれたであろう愛しい人。
そして、弟であるダンテもあの中で焼かれたのだろうか。バージルは震えた。
まさか、まさか、こんなことになるなんて。
「うっーーー!」
込み上げる吐き気に耐えられず、胃の中から食道を酸で焼ける不快感と共に嘔吐した。苦しい。涙を流しながら地面に吐き出した吐瀉物の中には僅かに血も混じっていた。
「・・・・・・」
ハァハァと呼吸を繰り返す。口の端から垂れ落ちる涎を乱暴に拭ったバージルは、茫然としながら天を見上げた。
いつも後を着いてくるあいつが嫌いだった。
いつも自分のものを横取りするあいつが大嫌いだった。
いつも、いつもくだらないことで喧嘩を吹っかけて来ては大切なものを壊すあいつが本当に、心から大嫌いで。
それなのに、バージルがどれだけダンテに迷惑されているのかを母に訴えても、母は真剣にダンテを怒らなかった。
それどころか、苦笑しながら言われた言葉を決してバージルは忘れないだろう。
『あなたは、ダンテのお兄ちゃんなんだから』
この瞬間、バージルの精神は歪んでしまった。
母は、母だった。
優しく穏やかで、誰もが認める理想の母。
それでも。
母は人間だったのだと、あの時ほど痛感したことはない。
そうだ。バージルは思い出した。
母は、いつもこっそり自分達に知られない家の隅で泣いていたではないか。そのことをダンテは知らない。能天気な弟は、いっそ残酷なほどの無邪気さでのびのびと幸せだと信じていた生活を満喫していたではないか。
幸せな世界の片隅で泣いている者がいるなど、露程にも想像しなかった哀れで愚かなダンテが、バージルは憎い。
いなくなればいい。あいつこそ人の気持ちが分からない奴だ。初めから双子として生まれていなければ、こんなに苦しい思いをしなくて済んだものを。
そして二つに分かれた力を、偉大な父の力を自分が最初から手にしていたならば。母も自分もこんなに苦しい思いをせずに済んだものをーーー
母は死なずに済んだのかも知れぬものを。
力さえあれば、力さえ。その存在意義すらも、最初から全てがこの手にあったなら!
そう思ったのだ。
それは正しいことなのだと、バージルのまだ幼く未熟な精神はそう・・・考えてしまったのだ。
バージルもまた『少年』であったこその結論だった。
それに善悪などない。純粋にただそう思っただけだ。
『だからーーーーのか』
震えながら握り締める手の中で、閻魔刀は淡々と、至極機械的な声でバージルに語りかけた。
善悪もない、ただの呼びかけだった。その声を聞いた瞬間、バージルの体は時を止めた。世界から音が消える。大きな目は充血し、顔から表情が消えた。まるで少年の彫刻が立っているかのように、どこか不気味さすら漂わせて。
閻魔刀は魔具である。人と悪魔を分かつ力を秘めたもの。これをバージルに託したスパーダの真意をようやく理解した閻魔刀は、どこか哀れみすら含んだ言葉でさらに続けた。
「・・・・・あ、・・?」
『悪魔共を』
「・・・・・・」
『ーーーー本当は』
* * *
血の様にどす黒く淀んだ空は魔界独特の空だ。
どこか不気味で、しかし何故か懐かしさも感じられる矛盾に首を傾げるが、これも体の半分が悪魔の血が流れているからだろうかとバージルは独りごちた。
氷のように冷えた風が頬を撫でた。空気も重い。あまり居心地の良い空間ではないが、ダンテと殺し合うならここほどふさわしい場所はないだろう。
ここは魔界。
ここに至るまで払った犠牲は、もはや数えるのも馬鹿馬鹿しいほどだ。
そしてダンテの胸に何度閻魔刀を刺したのか。それもとっくに数えるのを止めてしまった。赤い血が刀身を伝って指を流れる度に感じる熱さが、まだ奴が生きていることを肌で感じさせてくれる。
奇妙な縁だ。糸と言ってもいいだろう。バージルとダンテは、何度別れても結局は再会する定めなのか。
そんな鬱屈した思いに駆られながら、バージルは諦めにも似た心境でダンテの胸から刀を引き抜く。くぐもった声を上げながら、ダンテは仰向けに地面へ倒れた。
魔界に来たのはこれで二度目だ。古の塔を復活させ、魔界への門を開くために多くの血を流した。自分はもう人ではない。悪魔であることを証明するために。人間はあまりにも弱く愚かだ。人間である以上、呪いのようにつきまとう全てを捨て去らなければ、父の力は手に入らないと信じて。
信じていたーーーと願いたい。本当は今でもそうだ。
捨て去らなければならない。目の前で苛立ちながら喚く愚かな弟も呪いだ。
人から分かつために。
そしてダンテという呪いから解き放たれるためには殺し合うしかないだろう。
そのはずだった。
それでも、何故か今こうしてお互いに対峙している不気味さにバージルは酷く可笑しくなった。
Vとやらが何をダンテに語ったのかは知らない。理解したくもない。
だが、何故か再び一つとなってしまった。わざわざ何故だ、と奴の首を締め上げながら問い詰めてやりたいがそれは叶わぬことだ。
何せ自分自身なのだから当然の話ではあるが。
Vとてダンテを魔剣スパーダで刺し殺そうとした癖に、バージルにはVの思考がまるで理解できない。その行動原理は本体と同じであるはずなのだ。本来ならば。
「愚かだな」
「ああ、そりゃあ言えてるな。俺達はいつも・・・そうだ」
「・・・俺の考えていることが何故分かる?お前は俺ではないのに」
「当たり前だ。俺は俺だ。アンタが考えていることなんざ知らんし、知りたくもないね。一つだけ言えるのは、アンタは昔から俺のことが大嫌いだったってことだけだ」
「・・・・・」
「違うか?」
皮肉るダンテの言葉に、バージルは沈黙を返すのみだった。
ハハッとダンテは笑う。
「哀れな兄貴。俺しか見えていなかったばっかりにこんな目に遭っちまうなんてな。最高に不幸な男だよ」
「どういう意味だ」
「本当に皮肉だな・・・どうしてアンタからネロみたいな息子が来たんだか。どうしてアンタは俺にできなかったことが簡単に出来ちまうんだ?」
肩が震えていた。顔を俯かせながらこの男が泣いているのはバージルの気のせいではないだろう。
「なぜ泣いている」
「悪魔は泣かない」
「話の腰を折るな。貴様は何を泣く」
「そんなもん俺こそ知りたいね。何で俺は泣いているんだ・・・?」
そう言って、ダンテは座り込みながらバージルへと手を伸ばすとコートの端を掴んで引き寄せる。
一瞬、無防備な頭を蹴るべきか迷ったが、何故か手に引かれるままにダンテの目の前に立っていた。身を屈めたのも気まぐれで特に意味はない。ダンテの馬鹿面を拝んで笑ってやるつもりだったのだが、意外にもダンテは泣きながら抱擁してきたのである。
予想外の行動にバージルは驚いた。驚きのあまり振り払うことすら忘れてしまった。
今の自分はたぶんーーー酷く間抜けな面をしている。
(終)
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コーヒーフロート漂流記
初公開日: 2020年10月24日
最終更新日: 2020年10月24日
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