一枚の求人票:つい最近出されたばかりの求人だ。『メイドを募集している。年齢・性別・前歴は問わず。主人の生活に余計な詮索をしない、真面目で口の堅い人物を求む』とのことだ。
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一枚の手紙:封筒には「採否結果」と、赤い判子が押されている。
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貴方が新しい職場で働いてから、一ヶ月以上経ちました。街でも指折りの大貴族のお屋敷での仕事は、大変でもありましたが、毎日が楽しく過ぎていきます。それは、福利厚生・給料・休日と、どれをとっても、素晴らしく、やりがいのある仕事だったから……というのもありましたが。それ以上に、やる気の源になっていることがありました。それは、雇い主である大貴族の存在です。
御年六十歳以上、というのが信じられない。二十歳前後にしか見えない若々しさ。金色がかった髪、碧色の大きな瞳を縁取る長い眉毛。均等のとれた体つき。貴族的な振る舞い。雇い主のジョゼフ・デソルニエーズは、まさに、美々しさの権化のような男でした。
その輝かんばかりの存在が、仕事の折り、視界の隅を横切るのです。頑張り甲斐があるものでしょう! そして、それは、職場のお姉さま方も同じようで。
「今日もジョゼフ様は素敵だった」
「何をお召しになってもよくお似合い」
「あのお姿を見ただけで、元気が出てしまう」等々。
ひそひそ話が、あちらこちらから聞こえてきます。中には、伯爵夫人の座を狙っているメイドもいるらしいとか。確かに、あなたは、ジョゼフ様に色目を使っている(勤務中なのに!)先輩方の姿を見たことが何度もあります。しかし、伯爵は、女中の色仕掛けなんて、歯牙にもかけていませんでした。
プレイボーイである彼の関心は、舞台女優に向いているようなのです。市議会議員の仕事の暇を見つけては、頻繁に劇場に足を運んでいました。意中の女優に手紙や贈り物をするのが、彼の口説きスタイルなのとか。しかし、ジョゼフは本心から、恋愛をするつもりは、無いようです。ただただ、駆け引きを楽しむための……ゲームのような物なのでしょう。
なぜなら、この間までは、ゴールデンローズ劇場のレディ・ベラに夢中だったのに。彼女が事故死した後は、少しだけ間を置いて、他の舞台女優にあっさり関心が移ってしまったのです。
偶に伯爵の手紙を郵便局に出しに行くあなたは、この辺りの事情を……どうしても宛先は目に入ってしまいます……把握していました。今の女優に飽きが来たら、別の女優を探すのでしょう。きっと、伯爵様は、一途に誰かを愛する事は無いに違いない。と、貴方は、呆れ半分に思っていました。
そもそも、彼の恋愛ゲーム趣味には、困らされる事の方が多いのです。
錯乱した、どこぞかの女優が屋敷に飛び込んできて、ジョゼフに飛びかかろうとしたのを、数人がかりで止めたことがあります。(妄言と暴力を繰り返すその女は、精神病院に収容されたとのことです)
逆に、「伯爵様に取り次いで欲しい」と食い下がってくる女優を、玄関先で追い出さなくてはならない事も、ありました。(興奮した女に罵詈雑言を浴びせられても、笑顔で対応しなくてはならないのが、女中の辛い所です)
レディ・ベラが事故死した直後、警察や探偵や記者らが、入れ替わり立ち替わりやってきて、その対応に追われていたのも記憶に新しい。(一時期、伯爵が容疑者に挙がっていたらしく……しかし、その噂はいつの間に消えてしまい……きっと伯爵は噂ごとそれをもみ消して……)
なにやら、胡散臭さが漂う雇い主ですが、貴方は、この職場を辞そうとは、ちっとも思ってませんでした。
それは、冒頭に上げた、待遇の良さもありましたが。
一番の理由はというと。
ある初夏の日の午後。貴方は、珈琲セットと菓子を乗せた盆を手に、伯爵の私室のドアをノックしました。すぐ「入れ」との声がかかります。短く返事をし、貴方は扉を開けました。途端、視界に広がるのは、屋敷の中で一番贅を凝らした室内。中央に置かれている、真っ白なグランドピアノ。これは、伯爵が『ある方』の為に特別に用意させたものであるのは、働いてから、日が浅い貴方も十分知っていました。
「だから、私は言ったんだ。世の男は獣ばかりだって……」
その『ある方』と伯爵は、ピアノのすぐ側にあるカウチにいました。貴方は、二人の傍らに来ると、軽く頭を下げます。
「また、そんな事を言って。あの人は、ジョゼフさんの序でに、僕に挨拶をしただけですよ」
彼らが取りやすい場所に、ソーサーを置き、その上にコーヒーカップを乗せました。コーヒースプーン、シュガーポット、ミルクピッチャー、菓子を、順々に設置します。貴方は、手が震えそうになっていました。それは、雇い主が傍らにいて、粗相が無いよう気をつけているから、というのもありましたけども……。
「いや、絶対に、あの俳優は、物欲しそうに見ていた。私がいなかったら、速攻お前を口説いていたろう」
「考えすぎですってば……」
伯爵は、『ある方』の膝を枕に、カウチに寝転がっていました。脚をぶらぶらさせ、上着を寝椅子の背に乱雑にかけています。随分とお行儀が悪い体勢です。しかし、元の顔立ちがとても良いおかげで、だらしなく見えず、寧ろ可愛らしいと形容してしまいたくなります。
社交界の花形と言われている美貌の大貴族の、ここまでリラックスした姿を見られる使用人は、きっと、役得でしょう。しかし、貴方が、口の裏側を噛み、色々噴出しそうなのを耐えている原因は、伯爵のプラチナブロンドの髪を撫でる『あの方』にもありました。
「ジョゼフさん」
「……」
「ジョーゼーフーさーん」
白いリボンで束ねられた灰銀の髪、同色の睫に縁取られた涼やかな目元。顔半分を覆い隠すマスクの下でも、はっきりとわかる整った顔立ち。レースと花の刺繍に彩られたペールブルーの宮廷服が、あつらえたかのように似合う、伯爵お気に入りの『あの方』。その喉元にはうっすらと、喉仏が浮いています。そう、プレイボーイとして、数々の女優の浮き名を流したジョゼフ・デソルニエーズが、現在夢中になっている相手は、とびきり、涼やかな容貌をした青年。男なのです。
「どうしたら、機嫌を直してくれますか?」
「……イソップの、ピアノが、聞きたい」
「それだけで、良いんですか?」
「それだけ、じゃない。それだから、良いんだ」
イソップは目を細めました。微笑しているのです。
「太股から退いて貰わないと、僕、立てませんけど」
「嫌だ。私はもう、ここから動かない」
「では、ピアノの演奏は今度ですね」
「それは……それも……嫌だな……」
いちゃいちゃ。
ラブラブ。
愛で溢れた擬音が聞こえてきそうです。全ての準備を終えた貴方は、一礼すると、音を立てないように、部屋を後にします。結局、二人は、コーヒーを運んできたメイドには、見向きもしませんでした。しかし、貴方は気に障る所か、私室から出た途端、ほうと、息をついたのです。それは、大好物をたくさん食べて、お腹も心もいっぱいで、満足いった時に出すのと同じ、暖かな呼気でした。
二人の美形が、睦みあっている姿に、限りない興奮と恍惚を覚えるようになったのは、一体いつの頃からでしょう。例え、どんなに仕事が忙しくても、ジョゼフにイソップが寄り添っているのをみただけで、心の底から、ふつふつと湧いてくる不思議な感情がありました。あの美しい人たちの間に割って入りたいとは思わない。けど、壁や床……宙に漂う塵となって、見守りたい、そんな何ともいえない気分になってしまいます。
気まぐれな雇い主に振り回される事が多い職場で、あなたが働き続ける理由は単純かつ明白。
それは、二人の絡みが見られるから──……!
貴方は、頬を軽く叩いて、緩みきったそこを引きします。そして、足取りも軽く、次の仕事へ向かったのでした。