それはとても尊い行為のように思えた。
 ただ、生きているだけでいいと彼に言われたように。そう思えたから。
 昔から、容姿に恵まれていることを自覚して生きてきた。おそらく、夢ノ咲に入学するまで自分よりも可愛い女の子というものに出会ったことはなかったと思う。
 この世界にある可愛いものというものは、全て自分が身につけるために生み出されていると言っても過言ではないと思っていたし、もちろんテレビに出ているアイドルや女優も、実際見たら私と同じかそれよりも劣ると思っていた。
 中学の時に、エキストラとして、映画に出たことがある。ほとんど端役で、役名は女子高校生1。台詞は『これ、ください』だけ。母親が応募したオーディションだったから、合格するとも思ってなくて、そのときはそのひとことを言うだけで、小遣いを貰えるなんて楽じゃん、と考えていた。主役の女優は今をときめく実力派で、相手役はなんと現役男子高校生。自分がすでに推薦で入学が決まっている夢ノ咲の生徒ということだったから、どんなのが高校にいるのかいい下見になると、その時はぼうっと考えていた。
 そこには私の想像を絶する世界が広がっていた。
 誰も生半可な気持ちで立っている人なんていない。爪痕を残そうと必死になって生きている。
 何よりも飛び込んできたのは、その容姿を『綺麗』と評さずにどう表現しようか、という程の男。彼の名前は、朔間零と言った。彼はまさに私にとって稲妻だった。私の頭に降ってきたのだ。突然。
「これ、ください」
 カメラが回り、彼と対面する。たった、そのひとことだけで足ががくがく震えた。どうしようもなく心臓が大きく鳴って、顔が真っ赤になっているのが見なくてもわかった。
 
  最初は、放って置けない人だと思った。何事にも興味もやる気もない、海で佇んでいる姿はなんだか入水しそうで、彼のことを無視するなんてできなかった。きちんと話してみたら価値観も合うし、ありきたりな言葉だけど誠実で、何事にも真面目だった。ただ、彼が真剣になりたいと思うものが近くになかっただけで、それを見つけたらもうすぐだった。
 アイドル。それを見つけて彼と、ユニットとして活動していくのになんの障害もないと思っていた。
「晃牙ちゃんのことが好きみたいなんだよね」彼は私のことを抱きしめながらそう言った。
「だから付き合ってほしい」
 私は二つ返事で彼の言葉に頷き、そのままキスをした。
 自然な流れだった。彼は何度も私の家に遊びにきていたし、その間にこの言葉を言うタイミングを一生懸命見計らっていたのだろう。私がオーケーをするタイミングをここだと定めて。それが今日だった。
 初めてだった。男の子にキスをするのも、好きなるのも。
「女の子の方、なんか服変じゃない?」
 地雷っていうの?あれ。
 耳に届く前に、それがどういう意味なのか、頭の中で理解しようとした。けれど、何度考えても、それは私のことを否定していて、それは肯定し難いことで、受け入れることがどうしてもできなかった。
 家に帰ると、すぐにきていた服を脱いだ。ずっと大事にしていたそれが、なんだかとても汚いものに見えてすぐにゴミ袋を広げると、その中に突っ込んだ。クローゼットの中を一瞥すると、端からハンガーごと床に放り投げる。1着ずつ買ったときの思い出や着た場所を思い出して辛くなったけど、そのまま一緒にゴミ袋に投げ捨てた。
 瞳からはポロポロと涙が溢れていた。多分、悲しかったのだと思う。それでも手を休めることはなかった。
 洋服の次は、コスメケースを取り出した。大好きな紫のリップや、彼がいつか似合うと言ってくれたバーガンジーのチーク。その全てを手に取ると、ケースごと乱暴に投げる。床にガン!と大きな音を立てて転がると、中身が広がった。
 隣の棚に丁寧に置かれていた指輪もネックレスも途端に私のことを馬鹿にしている気がした。なんだかとても嫌なものに見えて、棚ごとひっくり返した。
 ひどい有様だった。けれど、何も感じなかった。涙はずっと流れていたのに、心は壊れてしまったのか、どこかに置き忘れてしまったのか、何かを感じることは最後までなかった。
 それから人に見られることがなんだか怖いと感じるようになった。正確には、人の視線の先にある私についてより深く考えるようになった。
 どうして私のことを見ているのか、私が変な行動をしているからなのか、変な服を着ているからなのか、それとも私自身が変なのか。
 ついには街中の人が私を見ているかのような錯覚に陥って、外に出るのが怖くなった。馴染みのライブハウスにももうずっと顔を出してしない。誰かにショッピングの誘いがきても、断ってしまう。もちろん、デートがしたいと言う先輩のメッセージも無視してしまう日もあった。そして、学校で会った時に「ごめん、見てなかった」とわざとらしい言い訳をしてしまう。
 それでも彼は許してくれた。いつも笑って許しくれた。それがとても苦しかった。
 いつか彼とまた笑って手を繋いで街を歩ける日が来るのだろうか。
 彼を失うことがこんなに怖いと思うなんて。
 後から溢れる涙を乱暴に拭いて、ぺち、と頬を叩くと、そのままステージの上に上がった。
 ついにステージに立つことすら、苦痛と感じてしまうようになった。
「わんこ、ライブに出るのを少し制限したらどうじゃ?」
 リーダーの朔間先輩から告げられた言葉は私をひどく傷つけた。誰かに守って欲しくてアイドルをしていたわけではなかったから。
 だからと言って、気力でステージにいられる程神経が図太くもなかった。私は体調を壊し、ステージに上がることも学校に行くことも困難になった。
 神様からの罰だと思った。アイドルとして自分の力を試したくてこの世界に飛び込んだのに、恋愛なんてしているからだ、と。
 そんな状態では、生き物と一緒に生活するのを難しくて、愛犬は実家に預けた。家にいてもすることもなくて、ずっとギターを鳴らした。これ以上ないくらいに練習をして、それでも学校にもライブハウスにも行く気がしなかった。毎日のように羽風先輩からメッセージが来るのを無視するのにも慣れてしまった。
 苦しい、苦しい、苦しい。
「ウゥ…っ!」
 さっきまで何も変わらない風に振る舞っていたのに、急に呼吸の仕方が分からなくなった。どうやって、今まで過ごしてたっけ?息ってどうやって吸って、吐くんだっけ?
「先輩…」
 目の前が急に真っ暗になる。自分が体を支えられなくて、椅子から転げ落ちる気がした。重力が無くなって、そのまま私だけ世界に取り残される、みたいな。
「晃牙ちゃん!」
 羽風先輩の声がどんどん遠のくのがわかる。必死に私の名前を呼ぶ声だ。だけど、海の底にいるみたいに彼の声が私の意識の元に届くことはなかった。
 目が覚めると、自分の部屋の天井が見えた。とても綺麗な夕焼けを彼と眺めていたはずだったのに、カーテンの隙間からは真っ暗な月の光が漏れているだけで、自分がどうしてここにいるのか、どうやってここまで来たのか全くわからなかった。
 彼と一緒にいたはず。いつも通り彼と一緒にいて、カフェでお茶をしていて。それから、それから…。
「起きた?」
 キッチンの向こうから聞こえた声は、落ち着いていた。足音とともに姿が見えると、手に持っていたコップを私に差し出す。温かいココアの香りに混乱していた心が少しだけ静かになった気がした。
「わたし…」
 状況がわかっていない私のことをすぐに察して、倒れちゃったんだよ、と笑いかける。
「カフェで倒れたの、覚えてない?」
 ゆっくりと自分の記憶を掘り起こす。
 彼と会っていた。幸せな時間だったはずなのに、全てが黒くなって、座っていられなくてその後は、覚えてない。
 どんどん覚醒してく頭の中でふと自分の家の状況を思い出した。床に広がるゴミ袋、転がった
「これが一番かわいくて、晃牙ちゃんに似合うよ」
 
「私もこれが1番すき…」
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サンタマリア
初公開日: 2020年09月22日
最終更新日: 2020年09月22日
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