暑さ寒さも彼岸まで、という言葉を教えてくれたのは審神者だった。この本丸が存在する空間には日本のような四季はなく、審神者の采配によって天候も季節も変えられる。しかし、本丸を拠点とし仏教を嗜むわけでもない刀剣男士たちにとっては縁遠いものだった。審神者に教えられた言葉でも「そんなものがあるんだな」と聞き流すだけに終わってしまっていた。
そうしてその言葉を歌うように唱えたこの本丸の主は、この空間をまるごと「秋」に変えて見せた。この本丸に顕現して一年にも満たない南泉一文字は、人間の身で秋という季節に触れたことがなかった。夏の猛暑を乗り越えた南泉が、この秋という季節の心地よさに身を委ねてしまうのも無理のない話だったのだ。
南泉は仕方がなかったと胸の内で言い訳を募らせる。畑当番が早めに切り上げられ、ささやかな昼食で腹を満たし、風呂で泥汚れを落としてしまえば身体はちょうど良い疲労感に満ちていた。午後の傾いた陽の光はぽかぽかと暖かく、廊下の床は固いけれど縁側で横になれば夢の世界へと急行するほかない。
そこで、冒頭に至るのである。
……だから、ここで寝てしまったのもしょうがない話なんだ、にゃ。
なんて内心で言ってみるも、実際に声に出せるわけではなかった。それが許される状況ならば、冷や汗をかきながらくどくどと言い訳を重ねることもない。聞き覚えのある床の軋み方や、肌で感じる少しだけ刺すようなぴりりとした空気を感じ取った時、とっさに目を開けるべきだったのだ。
「子猫よ、風邪をひくぞ」
う、と声を上げそうになったのを寸のところで堪える。
心までもを震わせる、威厳を孕んだ低い声が南泉の耳朶を打つ。厳かな声とは裏腹に、南泉を控えめに揺するその手つきは柔らかく優しいものだった。南泉はぴくりと動きそうになる瞼や眉間を必死になだめすかして、つとめて寝息を繰り返す。やってしまったと思ったところで遅かった。
子猫よ、子猫。幾度か同じように声を掛けられ揺すられたところで、山鳥毛がため息を漏らした。
「……まいったな、よく寝ているものだ」
諦観の混ざった声色。ずくりと痛む胸に密かに歯噛みする。一文字の長である彼を欺くことへの罪悪感と、情けない姿を見せた後悔と失望への恐れ。常日頃、猫の呪いで恥を晒し、合わせる顔がないと敬遠していた憧れの人に、無防備な姿を見られてしまったのだ。
昼寝にちょうど良い気候にした審神者のせいだ、と思考を逃がして、固く閉ざした瞼の裏側に感じるわずかな水気をやり過ごす。
はやく、はやく。立ち去ってくれたら良い。背中に滲む冷や汗がただただ不快だった。
「……よく眠っているのも、仕方のない話なのかもしれないな。お前の武威は聞き及んでいるよ」
ふと降ってきた言葉に、南泉は耳を疑った。
「お前はどうやら、俺を苦手としているようだからな。長としての威厳を保ちながら子猫らと関わるのも、うまいようにはいかないな……。怯えさせる趣味もなし、直接褒めてやれないのがなんとももどかしいが」
独り言のようにぽつぽつと落とされる呟きに、南泉は目を閉じたままひたすら呆然としていた。息を吸って吐くという簡単な動作すら、どうしたら良いのかわからなくなる。息が、詰まりそうになる。
正直なところ、山鳥毛を避けていることはもしかしたら気づかれているかもしれないとは思っていた。しかし、この本丸に満ちる暖かな日差しのような穏やかな声で、その内心を吐露されるだなんて。そうやって思われていたことなんて、まったく──
「……今はよく休め。そしてこれからも、お前の働きに期待をしているぞ」
ふわりと遠ざかった気配と、遠ざかっていく足音を聞いて、南泉は身体を起こした。そして恐らく彼が向かったであろう縁側の突き当たりを見つめ、項垂れる。陽光は随分と傾いたらしく、橙色を滲ませ始めていた。
「お頭……」
緊張で水気を失い乾燥した舌が戦慄く。あれが一文字の長、山鳥毛だった。遠い遠い、在りし日々を手繰り寄せ南泉はよすがを思う。今の今まで忘れていた、山鳥毛という刀の在り方を。その刀の奥ゆかしさを。
慟哭したかった。この胸に沸き起こった想いを、どこに、何に向ければ良いのかわからなかった。
南泉は大きく息を吐いた。衝動のままに声を上げることなど、できるはずもない。唇を噛み締める。刀の柄を撫で、爪先を鍛錬場へと向ける。
その声に応えるには、己の武勲を立てるのみ。今は無性に、刀を握っていたかった。
おわり
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初公開日: 2020年09月22日
最終更新日: 2020年09月22日
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