旅をするならこんな風に
「一人旅がしたいんだろう」
そうやってカリムに言われた俺は、顔を上げて彼に問い返した。
「なんでお前がそれを知っているんだ」
そう言うと、カリムは一瞬だけ驚いた顔をして。それから、少し困ったように微笑んで、
「聞いたんだ、昔。ジャミルの願い事、」
と、答えた。しどろもどろ、と表現するにふさわしい途切れ途切れの言葉を向けられた俺は、彼を責めるに責められなくて。その上、今日という日は特別な日であることは間違いなかったから。
「ああ、その通りさ。そして、今日俺の夢が叶うんだ」
と言ってやった。多分、俺は勝ち誇ったような顔をしていたのではないかと思う。それに、腹立ててくれるカラムであるのならばよかったのだが、もう長いと形容するのも馬鹿らしくなるくらい長い付き合いである俺は、彼が怒らないことをよく知っているから。俺の予想通りやっぱり彼は、彼がいつもそうであるように薄く笑って、
「よかったな、ジャミル」
と。言うのであった。その喜びが、自分の喜びでもあるかのように。
式典を前に、カリムの姿は完成されていた。先週から時間をかけて俺が、肌と爪を磨き髪を整え衣装だって何回も何回も着せておかしいところがないか確認したのだ。化粧だって、朝から時間をかけて念入りに施した。言葉の通り、頭から爪先まで、今日のカリムは完璧だった。
それも、そのはずだ。今日は彼の人生の中で、一番大切な日になるはずの、そんな日だったのだから。
今日は、カリムがアジーム家の当主になる日だった。20歳の誕生日だ。彼が生まれた頃から決められていた大切な日を、彼は彼のまま、迎えることができた。それは一族にとっての喜びであり、もちろん俺個人にとっても嬉しいことだった。なぜなら俺は、今日でカリムの従者という役目から解放されるのだから。
「よし、これでいいだろう」
純白の衣装を纏った彼を、鏡越しに確認して俺は呟く。なにもかもが、完璧だった。俺はこの日のために、ずっと準備をしていたのだ。彼との別れとなる日。彼の門出となる日を、完璧なものにするべく。二人が共に過ごした時間の集大成を飾るために、何年も何年も、きっと、準備してきた。
「ありがとうな、ジャミル」
カリムが言う。着飾り施され煌びやかな輝きの中にいても、彼は彼のままで。こんなに頼りないのに本当に当主になってしまっても、俺の元から離れてしまっていいものなのかと一瞬思い悩むが、それは俺が頭を悩ますことではないと雑念は振り払うことにした。
「今まで、ありがとう」
「そんな言葉じゃ足りないな」
「あはは。そうだよな。じゃあ、これから何かあったらいつでも頼ってくれ。オレの人生をかけて、恩返しするから」
「バカだな。もう、会ってやるもんか」
「そう言うなよ。たまには、ここに帰ってきて、話でも聞かせてくれ。今日から、旅に出るんだろ?」
「ああ」
俺の部屋は、すでに片付けられていた。残っているのはただ一つ、バックパックのみだった。俺はカリムを送り出したら、もうここを発つつもりだったのだ。当てもなく、それでもどこかへいくために。長らく俺の夢であった、一人旅を実現させるために。
「だったら、旅の話とか、聞けたら嬉しいな」
「……気が向いたらな」
「うん。気が向いたらでいいから、いつでも、来てくれ。あと、これを」
立ち上がった彼が俺を見る。そして、カリムは俺に手を伸ばした。その手の中には、石が握られていた。彼が学生時代によく身につけていた、髪飾りだった。手渡された石はずしりと重く、その価値を嫌でも主張している。
「思い出に、持っていってくれ。金に困ったら売ってもいいから」
「……わかった」
本当は、彼にまつわるものを全て置いていくつもりだったのに。最後の最後になって、直接手渡されてしまったら。どうしても、断ることができなくて。俺はそれを手にしたまま、式典へと赴く彼の背中を、見送ったのであった。
それが、彼を見る最後になることなんて、少しも知らないで。
その後、部屋に戻った俺が、式典の様子を見に行こうという気になったのは。突然、そういう気分になったからだった。理由なんてなかった。そうとしか、いえないのだ。ごく一部の人間を除いて、参加が許されないアジーム家の当主就任の式典を、彼が上りつめるところを眺めるのも乙であるような気がした。
だから俺は、アジーム家の敷地の隅にある式典会場に向かい、立ち入りが許されていない会場の中の様子を、そっと眺めることにした。他の人は気づいていないのだろうが、ほとんど使われていない式典会場の外壁にはかつての改修の名残なのか秘密の入り口があって。草をかき分け壁に走る亀裂をうまいこと探し当てると、その扉を開けることができるのだ。戸を開けた先は、式典会場とは繋がっていない。用途もわからない、懺悔室のような、人が一人入るのが精一杯と思える小部屋があるだけだが、部屋の高い位置にはガラスが嵌められており、そこから中の様子を見ることだけは出来るのだ。
会場名はもちろんカリムが居た。そして、当主様と、奥様がいた。他には一人、屋敷に使える魔法士がいたが、それだけであった。カリムの門出だというのに、彼好みの華やかさはどこにもなく、式はただ粛々と執り行われているようだった。
魔法士がなにやら話をしたあと、当主様が被っていた冠を外された。そして彼はその冠をカリムに被せた。カリムは恭しく膝を折って目を伏せてそれを受け取った。それだけだった。俺がこんなにも気を使って送り出したのがバカらしくなるくらい、実に、あっけない式典だった。
そう、もしも。ここで全てが、終わっていたら。
つまらない時間だったと俺はため息をついて、熱が籠る部屋を出て。あとは気ままに旅に出かけるつもりだったのに。
「ついに、やったぞ!」
ふと、そんな声を聞いたから。俺はまた背伸びをして、汚れたガラスを覗き込んでしまったのだった。
そこには、先ほどと同じようにカリムと、奥様と、当主様と、魔法士がいた。しかし先ほどまでと様子が違うのは、当主様が床に倒れられているということだった。俺は反射で息を呑んでしまった。もしもこの場所がもう少し彼らに近いところであれば気付かれていたかもしれないが、この距離が幸いして、目を向けられることもなかった。
「成功だ」
カリムが言う。しかし、それは彼の声で、言葉であるのに。なにかが、彼らしくなかったのだ。
「成功だ」
もう一度カリムの声が聞こえた。その声は先ほどよりも大きい。そしてやはり、カリムらしくない話し方なのだ。
「おめでとうございます」
魔法士が言う。眼前で、手を揉みながら。
「さあ、報酬のほうは、」
「うるさい。払うと言ってるだろう、いつもと同じように」
「はっ、」
ぴしゃりと言葉を投げつけるカリムは、彼らしくなかった。そして何より。どうして彼は、目の前で倒れている自分の父親のことを少しも気にかけないのだろうと思って。
俺はそこで、ようやく。ある可能性に気が付いたのだ。
「これで、また、アジーム家も安泰だ」
「……そうね。あなた、」
あなた、と言ったのは、奥様だった。彼女はその言葉を、カリムに言ったのだった。小さな点と点が繋がって、線になる。歪で醜い、歪んだ線に。
「さあ、身体の方はいつもみたいに任せたぞ」
「はい、勿論です」
「これでまた、商売ができる。アジーム家も、もっと、大きくなるぞ」
カリムの笑い声がした。そして俺は、確信した。それがもう、彼の言葉ではないことを。
禁忌とされている魔法が、いくつかあることは教育を受けた魔法士なら知っていて然るべきことであった。禁じらている魔法の中で最も有名で罪が重く、成功に犠牲が伴うものは人を殺すことと、死んだ者を生き返らせることである、が。その他にもいくつか、禁じられた魔法は存在する。特に、各地域において、秘密裏に禁術として、脈々と受け継がれているものがあるとされていて。
その一つ、熱砂の国に伝わるとされている禁術について、俺は聞いたことがあった。
それは、転生と呼ばれる魔法だった。簡単にいうと、他の生物の肉体を他の魂が奪うという魔法だ。短期間だけ他者に乗り移る魔法とは訳が違うその魔法は、前提として肉親や家族など血の近しい人間同士でしか成立しないとされている。
そして、その成功には。乗り移るものの肉体と、乗り移られるものの魂を、犠牲にする必要があるのだ。
だとしたら、と俺は思う。俺が、今目にしたもの。秘密裏に行われていた儀式の正体。変わってしまったカリム。動かない当主様の身体。もしも、あの儀式が、禁術を行なっているものなのだとしたら。
カリムは、もう。
俺は慌てて小部屋を出て、式場の入り口へと回った。今なら、ちょうど会えると思った。俺の思惑は当たり、俺が息を切らして式典会場の入り口にたどり着いた頃、ちょうどカリムが会場の重い扉を開けて出てきた。
現れた彼が、俺に気づく。そして、彼は笑ったのだった。
「どうしたんだ、ジャミル? 顔色が、悪いみたいだけど」
「……別れを、言おうと思って」
咄嗟に、口からそんな言葉が出た。するとカリムは、目を丸くして、言うのだ。
「そうか、今までありがとうな、ジャミル。ところで、お前はこれから、どうするんだ?」
と。本当に、なにも知らない顔をして。
動揺を顔に出さないように別れを告げ、部屋に戻った俺は鞄を背負う。行き先は決まっていた。あてもなく旅するつもりが、進路はもう一つきりになっていた。
俺は、カリムを探さなくてはいけなかった。その魂が、犠牲になった彼の命がどこにあるのかはわからないが。奪う方法があるのならば、奪い返す方法も、きっとあるから。そのためなら、冥府でもどこでも、行ってやろうと思って。俺は、進むのだった。初めて、一人きりで。今度は、一人きりでなくなるために。ずっとそばに居た男を取り戻すための。俺の一人旅はこうして、始まったのである。