新しく奇妙な生活が始まってから一月たった。
 刀剣男士も増え、最初は必要以上に感じたこの本丸も、今では手狭に思うことが多くなった。本丸の増築を行う審神者も少なくないらしい。最初はなんて贅沢思考なのかと溜息が出たものだが、今では気持ちが良く分かる。このまま男士が増えつづけたら、ここも増築が必要になることだろう。
 歴史を守る戦いはと云うと、あの戦争よりは易しい、子供の思い描く絵空事のようにのんびりしたものだった。当然負傷することもあるが、男士たちの怪我は手入れでたちどころに完治する。私たちの戦争もこうであれば良かったのにと云ったら、余計に酷いことになるだろうと叱られた。
 男士たちはとても人間らしい。よく学び、泣き笑い、彼らと共にいると、なんだか昔に帰ったような気持ちになる。
「人というのは、いつから数多の感情を失って行くのだろうね」
「感情を失う、か。中々寂しい表現をするじゃないか」
「じゃあ君はどう考える、京極堂」
「――感情は失われてはいない、ただ、箱に仕舞われて埃を被っているだけだと思うがね。幼い頃の悲しい記憶を、大人になって思い出すと云うことがあるだろう」
「ああ」
「あれは箱から取り出しているんだよ。子供のときに理解出来なかったか、あるいは理解してはいけないと本能で歯止めをかけた感情の封を、大人になってから開封しているんだ。似たような感情を覚えたとき、まとめて対処が出来るからね。――そう考えれば、所謂失われた記憶とはワクチンのようなものだな」
「しかし、幸せな気持ちを忘れているときだってあるだろう。例えばその、完全に忘れるではないが、嬉しいと感じづらくなったり、そういうことはどうなんだ」
「箱に仕舞うのは感情だけではないからね。後ろ向きなものだけではなく前向きな感情まで出しづらくなるのは、どこかでそれに対して悪いイメヱジを植え付けられたからだ。例えばこれは行動の話になるが、人前で笑われた経験があると大勢の中で発言するのが怖くなるだろう? そして枷を付けられた記憶が箱に仕舞われ、後には大勢の前で発言することへの恐怖が残るんだ。これは何に対しても――感情に対しても同じことさ」
 京極堂は皿の上に乗っていた芋羊羹をつまんでぱくりと食べた。燭台切が二人で分けるように持ってきてくれたものなのに、結局京極堂一人で食べてしまった。
 一見無表情だが、京極堂はなんとも幸せそうに目を緩ませながら口を動かしている。私も食べたかったのに。
「自分で思い出す術はないのかい?」
「ないね。忘れてしまった切掛は他人の力で思い出せもしようが、矢張り感情は戻らないよ。その感情を抱いた理由と、それから派生した行動の全てを消し去らない限りはね。――だから君の性格は幼いときのようには戻せないし、それ故の苦しみだって消せないよ」
 残念だけどね。と京極堂はぽつりと呟いた。まるで誰かに聞かせる気もないほどひっそりと。
 京極堂が云ったように、僕は幼い日に戻りたかったのだろうか。完全で、完璧で、自分は無敵だと考えていたあの頃に――。
 京極堂はお茶を飲みながら手元の古書の頁をめくる。彼には何もかもお見通しのようだ。私が閉ざした箱の中身すら知っている。時には暴かれたくないものにまで、彼は手を掛ける。まるで処刑のように。もしくは、故人の遺品を片付けるように。
「だから、涙が出るのだろうね」
「は?」
 私の発言に、思いがけず京極堂は驚いたようだった。
「涙は亡くしてしまう感情への手向けでないかと思ってね。悲しいとき、悔しいとき――嬉しいときにも涙が出るのは、図らずも学習によって自らに枷をかけてしまうことへの、弔いなのではないかな」
 京極堂はぽかりと口を開けた後、不機嫌そうに眉根を寄せて、机に頬杖をついた。
「どうしたら僕の話がそんなことになるのかな。君の思考過程を覗いてみたいものだよ」
 そう嫌味を云ったきり、彼はそっぽを向いてしまった。私の解釈がどうもお気に召さなかったらしい。
 
「主、お客様だよ」
 沈黙を破るように歌仙兼定が障子を開いた。
 歌仙の後から顔を出したのは若い娘――隣の本丸の布井安奈だった。
「菊理ちゃん、もう来てますか?」
 安奈は静かな声で云った。
 ――両隣の本丸は同じくらいの年齢の少女で、前々から親交があったらしい。私たちはそれを遮る形で本丸を敷いてしまったことになる。若干の申し訳があったが、一週間を過ぎた当たりでここは彼女たちの溜まり場になった。男しか居ない家に入り浸るのは恐ろしくないかと聞いたところ、「多分、私の近侍一人でこの本丸は壊滅させられますね」と菊理は答えた。安奈はそこまで考えていなかったらしく、笑ってお茶を濁していた。まあ彼女たちが良いなら私は別に構わない。京極堂も、特に気にはしていないようだった。ただ時々、嫌味のように、「関口君。若い女性を誑かすのは感心しないね」と云ってくるのには閉口した。京極堂は真面目な顔をしてこんなことを云って、こちらが唖然とするのを見てから楽しそうに笑い転げるのだ。
 静かな空間。安奈は本好きなようで、菊理が居ないときは京極堂から本を借りてひたすら読んでいる。京極堂のように古めかしいものまで読むわけではなく、大抵明治から最近までのものを好んでいるようだった。京極堂の方もそれを理解していて、毎度彼女が好みそうなものを勧めていた。なんだかんだ良い関係のようだ。
 しばらくして、軽やかな足音が聞こえた。安奈が反応して開け放たれた障子へ目をやる。
「遅れてすみませーん!!」
 菊理が現れた。
 安奈はすっと立ち上がり、菊理を抱きしめた。これは毎度の光景である。
「わあ、ごめんね、安奈ちゃん。日課を終わらせてから行けって宗三がうるさくて」
「ううん、大丈夫。宗三はそういうとこ厳しいもんね」
「……前から思っていたけれど、君たちはどうしてそう仲が良いんだい?」
「何ででしょうね?」
「確かに。どうしてだろう。菊理ちゃん、面倒見が良いからかな」
 云われてみれば、ひっそりとしていて自分の世界にいる安奈より、菊理のほうがよく周りを見ている。木場修と合いそうなタイプだ。
「兄弟でもいるのかい」
「私は、ええっと……そうですね、妹が」
 なんとなく歯切れの悪い感じで菊理が答えた。
 姉だというのなら、面倒見の良さにも納得がいく。
 安奈は菊理にかなり心を開いている――甘えている様子だから、菊理はそういうのに弱いのだろう。
「それで」
 京極堂が久しぶりに口を開いた。
「今日は何のために? 僕まで呼ぶと云うことはそれなりの理由があるんだろうね」
 京極堂が安奈を見た。
 そう、今日は安奈の呼びかけによって集まったのだ。普段なら別の部屋で本を読んでいる京極堂も、安奈の希望でここに居る。
「はい。実は今日は、相談というか、助言を頂きたいことがありまして」
「相談?」
 京極堂は手元の本に視線を戻しながら先を促した。
「ええ。先日、審神者が一人亡くなったのをご存じですか」
 全員が軽く頷いた。審神者が死ぬなど珍しいことではないが、先日亡くなった審神者は死亡理由が分からず話題になったのだ。
「私は、あの審神者の兄弟子と云う立場だったのです。刀剣男士を除いて、あの審神者に会ったのは私が最後でした……。本部の方にも事細かにお話はしたのですがその、ひとつ、どうしても良く分からなかったことが御座いまして」
 安奈はそこで一つ間を置くと、眉をひそめ、唇を戦慄かせた。
「あの夜、我が家に帰ろうとゲートをくぐったとき、あの子の本丸から声が、聞こえたのです。それはもう形容のできぬ程すさまじい、悲鳴のような、泣き声のような、慟哭を確実に表現したような――とにかくそんな、声だったのです。あの子は奇行の目立つ子でしたから、また何かのお遊びかと思って、その日は確認もせずに帰りました」
「そうしたら、事件が起きていたってわけかい」
「そうなのです。私がもし、あのとき……」
 安奈は自らの腕に跡が残りそうな程に爪を立て、静かに身を震わせながら俯いた。
「それで、僕を何故同席させたんだ」
「……あの夜の尋常ならざる声は、もしかしたら本当にあやかしの類いだったのではないかと思うのです。そのようなことに造詣の深い京極堂さんなら、正体が分かるのではないか、と」
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京極堂、審神者になる
初公開日: 2020年09月01日
最終更新日: 2020年09月06日
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コメント
書いてたり悩んでたり。
京極堂さんが審神者になるというタイトルまんまな話です。
よろしくお願いします。
ゲームにするやつ書く
承花のノベルゲ作りたいなどと……この一文で何事かわからない方はどうか閲覧をお控えください。 ごめんな…
雲雀
推しを痛めつける
刀…腐です。くにちょぎです。酷い目に遭わせるのでご注意です。
雲雀
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