旅がしたいと思った。
「願い事、か」
わずかな魔力と温度に反応するそれを渡されたとき、真っ先に思ったことだ。
どこでもいい。俺のことを誰も知らない人々が住む国で、自由に歩き、見て周り、飲み食いをして、そして眠りにつきたい。
これは幼い頃から漠然と存在する憧れのような、絵空事に近いものである。
「そういえば確かここに」
本棚へ手を伸ばす。本は良いものだ。身体はそこへ向かうことができずとも、同じ経験ができずとも、追体験するように肌で感じ取ることができる。だからなのか、画集や写真集をよく購入していた。
俺が本棚から取り出したのはそこに並ぶ中でも特に背表紙が分厚いもの。輝石の国の中でも栄えてる地方がピックアップされた写真集。熱砂の国で生まれ育つ俺とは全く異なる世界がそこに詰まっている。
「学園へ入学が決まってから今まで慌ただしかったからな。……これを見返すのも、久しぶりだ」
分厚い背表紙には『輝石の国、最も美しい村への旅』と書かれていた。そうだ、そうだった。この憧れは、この本に触れたことでより一層強くなったのだ。
ベッドの上にあぐらをかいて坐り、壁側にクッションを挟んでもたれ掛かる。時刻は零時まであと一時間。寝る前に少し楽しむくらい良いだろう、なんていつものルーティンをずらす事にした。
まず初めに目次へ目を通す。そして、次に広がる光景は一面の花畑。ラベンダーの紫が青空によく映えている。
「……山塊の中心にある村、か。傾斜がキツそうだが、この石畳を歩くもの楽しそうだな」
砂の上ではない、緑に覆われたそこはきっと嗅ぐ匂いも、感触も、何もかも違うのだろう。もちろんそれは想像に過ぎない。なにもかも、俺には知らないことだから。
ぺらり。次の頁へ。
切り立った崖の斜面へ器用に点在する家々。
「コアラーズ……。聴き慣れない地方の名前も楽しいな」
口に出しながら、どこにアクセントを置けば良いのかわからず棒読みになった言葉に思わず肩を揺らす。
何も知らない。本当に、俺は知らないことばかりだ。それを実感しつつも、だからといって気軽に一人旅というわけにはいかない。きっとここへも、どこへも、行けないのだろう。そう思いながらも、写真の横に添えられたコメントを口に出して読む。
「ピンク色に染まる石造りの民家……たしかに他の、ページの民家と比べると淡い色をしてる気がする。へぇ、太陽の村とも呼ばれているのか」
自国で目にすることのない針葉樹林を眺めながら、ここはどんな風が吹くのだろうと想像する。高台にあるから少し空気は冷えているかもしれない。けれどそれだけ太陽に近いのだから、昼間は痛いほどの日射しが降り注ぐのだろうか。
よし、次へ。こんこん。
頁をめくる手が止まる。
「副寮長、ジャミル副寮長、すみません夜分遅く。起きていらっしゃいますか?」
「……ああ、少し待ってろ」
カット
Latest / 25:41
カットモードOFF
文字サイズ
向き
チャットコメント通知
原稿 ゲスト歓迎
初公開日: 2020年08月30日
最終更新日: 2020年08月30日
ブックマーク
スキ!
コメント
ついす○ての原稿します。
監視してください。