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盛大に失敗してしまったなと、いくつか席を挟んだ先にいる獄寺君の横顔を眺めながら考えた。
彼は現在、先生が黒板に書いている内容をまるで無視して、退屈そうに頬杖をついている。
机の上には、教科書どころかノートすら置かれていない。いっそ清々しさすら感じられるほどの授業放棄具合であった。
(やっぱり、普通に食べ物とかにしておいた方がよかったかな)
人に贈るのに、食べ物ほど無難なものはない。
食べてしまえばあとにはなにも残らないし、たとえ苦手なものだったとしてもだれかにあげてしまえばそれで済む。相手の趣味嗜好を考えなくていいぶん、ずっと渡すハードルは低いだろう。
(あー、でもだめか。獄寺君って人から食べ物受け取らないタイプだった)
去年のバレンタインデーを思い出して、無難に対する考えを捨てる。
日頃からキャーキャー女子に騒がれている獄寺君は、バレンタインデーにはそれはもうキャーキャー言われていた。クラスの女子どころか、学年、いや、学校中の女子生徒が集まっていたのではないだろうか。
さすがに詰め寄られたりはしていなかったけれど、チョコを持って遠巻きに集まる女のことたちを、わずらわしそうに追い払っていたのは記憶に残っている。
食べ物を渡そうとしたところで受け取ってくれそうにない。
(もうプレゼント渡した後だから、今さらなに渡せばよかったか考えたって遅いけどね。獄寺君、なに渡しても反応微妙そうだし)
しいて喜びそうなものを列挙するなら、沢田綱吉にまつわるものだろうか。沢田君が使っていた消しゴムとかならありがたがって受け取ってくれそうな気がするけれど、その絵面は私自身が見たくない。
獄寺君がやっと頬杖を解いたと思ったら、その手で口を押さえて大あくびをした。
(そんなに暇ならノート取ってればいいのに。ノート提出すれば成績だってもっと上がるんだし)
授業を聞かずとも好成績を収められる隼人だが、通信簿での成績はそこまで振るっていない。
いくらテストでいい点を取っていようが、授業態度がこれでは減点は免れないのだ。
これ以上眺めていたところでなにも変わらないだろうと、私は視線を黒板に写した。
ため息をつきそうになるけれど、がっかりしたら負けな気がして、ぐっとこらえる。
(せっかくだから、使ってるとこ見たかったな……)
先日贈ったばかりのプレゼントを思い浮かべながら、私はシャーペンの芯をポキリと折った。
九月九日は獄寺君の誕生日だった。
バレンタインデー同様に人が集まるかと思いきや、だれも獄寺君の誕生日を知らなかったようで、いつもと変わらない光景がそこにあった。
話のついでに沢田君に聞かされていなかったら、私も知らないままでいただろう。
獄寺君と私の関係は、クラスメイト以上のものではない。
席替えする前が隣の席だったから話すきっかけができた。その程度のものだ。
落とした消しゴムが獄寺君の席の真下まで転がったときはどうしようかと思ったけれど、獄寺君は無言で拾って無言で机の上に置いてくれる人だった。
そんな微妙な関係なのに、なぜ誕生日プレゼントを贈るなどという友達のような行動に出たかというと、それが自分にもよくわからない。
しいて言うなら、誕生日だと知ったのが誕生日の一日前で、文具店で買い物をしている最中にそれをひょっこり思い出したから、だろうか。
無地でなんの特徴もない紙袋を差し出されたときの獄寺君は、なんで俺にと言わんばかりの顔をしていた。
(うーん、余計なお世話だったかな。ちゃんと勉強しなさい、みたいな嫌味に取られちゃったかも)
プレゼントに選んだのは、なんの変哲もないシャープペンシルと、これまた特徴のないノートのセットだった。いや、ノートの方は東大生が使っているノート、みたいな煽りが入っていた気がする。
いずれにせよ、お札で買ってお釣りがくる程度のプレゼントである。
さすがにそれを使って勉強に励んでくれるとまでは思っていなかったけれど、存在がまるっきり無視されているのはなんだか釈然としない。
結局、一日の授業が全部終わっても、獄寺君の机の上にノートとペンが置かれることはなかった。
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放課後になって、私は小さな文庫本を片手に図書室へと足を踏み入れた。
喧騒の広がる廊下と違い、図書室は独特の静寂に包まれている。
わずかに開いた窓から運動部の声が聞こえてくるけれど、それがかえって、この部屋の静寂を強調させた。
(今日はどの本借りようかな)
借りていた本を返した私は、次に借りる本を探しながら図書室内を練り歩く。
そんなに読書家というわけでもないので、読める本の範囲はひどく少ない。作家順に並べられていても、作家の名前なんてほとんど知らないから、背表紙の印象以外、なにも参考にならなかった。
(図鑑とかのコーナー見てみようかな。漫画とかもその辺にあったと思うし……あ)
読書スペースに見慣れた、あるいは珍しい色彩を見つけた。
四人掛けのテーブルが何個かあって、そのひとつに獄寺君が座っている。独特の髪色だから、後ろ姿でも獄寺君だとわかった。
(獄寺君も図書室とか来るんだ……)
頭がいいから、本とかを読むのは好きなのかもしれない。
あとでちょっと覗いてみようと思いながら、私は漫画のコーナーへと向かった。そしてすぐに獄寺君の後ろ姿を記憶から追いやってしまう。
(――あ、忘れてた)
漫画を二冊借りて帰ろうとした私は、獄寺君の存在を忘れていたことを思い出した。
気になっていた漫画を見つけた嬉しさのあまり、そのまま帰ってしまうところだった。
引き返すだけの好奇心が残っていた私は、獄寺君に気付かれてしまわないように足音を隠して近づいていく。獄寺君は、最初に見たときと同じように、前のめり気味に机にかじりついていた。そこで私は、あることに思い至る。
(読んでるじゃなくて、書いてる?)
さっきは目につかなかったけれど、獄寺君の右肩は小刻みに動いていた。首も左右に動いているし、なにかを見ながらノートを書いているのは一目瞭然だ。
まさか、勉強をしているのだろうか。あんなに授業態度は悪いのに、裏ではこうやってせっせと勉強していたのだろうか。見てはいけないものを見ているような気がしてきて、意味もなく左右を確認してしまう。
確かめなければ。見てはいけないものなのか、もしくは私の勘違いで、なにか違うことをしているのか。
そろそろと後ろから距離を詰めていくと、ペンの走る音がぴたりとやみ、獄寺君が勢いよく振り返った。
「わっ」
「……ちっ、お前かよ」
悲鳴を上げると、舌打ちをしながら獄寺君が背中を向けた。
手元を覗きこむ前に見つかってしまったけれど、そんなことより、もっとすごい衝撃的なものを目撃してしまった。獄寺君が、眼鏡を掛けていたのだ。
(眼鏡……獄寺君が眼鏡……!)
教室では一度も見たことがなかった眼鏡姿を不意打ちで見せられ、胸がドキドキと大きな音を立てた。結局のところ、私は獄寺君に恋をしているのである。
「ご、獄寺君も図書室来たりするんだね」
若干声が上ずってしまったけれど、なんとか獄寺君に声をかけた。いやがられるかもしれないけれど、だれもいないところで話す機会なんて、もう二度とやってこないかもしれないのだ。
ぎこちなく回り込んで、やっと獄寺君の手元が見られるようになった。
机の上には図鑑がたくさん置いてあった。
何冊か机の上に広げられていて、一冊が獄寺君の手元にある。右手のそばにはやっぱりノートが開かれていて、日頃の態度からは想像できないほど、きっちりと文字が書き連ねられていた。
「……んだよ」
咎めるように獄寺君に睨みつけられた。図書室にいるところを見られたくなかったのか、一睨みだけして、すぐに視線は逸らされた。その隙に、獄寺君がなにを読んで、なにを書いていたのかを盗み見る。
(見たことがないような生き物がいっぱい……怪獣の本かな)
積まれている本の背表紙にも目を通す。
どれも神話や伝説の本ばかりで、一番上の本には古めかしい妖怪の絵が描かれていた。
私がそこまで確認したところで獄寺君が私の行動に気付き、勢いよく立ち上がった。不穏な気配を察して私は手を上げる。
「ごめん! なに読んでるのか気になって!」
「俺がなに読んでようがどうだっていいだろうが。いいからさっさと消えろ、じゃねえと――」
脅すように手にしていたペンを構える獄寺君だったけれど、その行為は逆効果だった。なにもしなければ私はそのまま引き返していたし、獄寺君の持っているペンが、私のプレゼントしたペンだったなんて、気付かなかったのに。……気付いたら、口にしてしまう。
「それ、私の……」
「あ? ……っ!」
ようやく獄寺君も失態を悟ったらしい。バッと右手を後ろに隠すけれど、もう手遅れだ。バッチリ見てしまった。
(使って、くれてたんだ……!)
じわじわとうれしさと恥ずかしさが込み上げてくる私に、獄寺君は首を振る。
「ちげえ! たまたま持ってきてただけで、べつにお前のだからってわけじゃ!」
獄寺君の顔は赤くなっていた。それが勘違いでもそうでなくても、獄寺君が私のプレゼントを開けて、そのペンを使ってくれただけでもうれしかった。片思い相手が私の贈った物を使ってくれてたんだから、理由なんてどうでもいい。
「だから偶然だって言ってんだろうが! いい加減その顔やめやがれ!」
「だ、だって……」
「……っ、もういい! お前のせいでやる気が失せた!」
鼻息荒く獄寺君が帰り支度を始めた。図鑑を乱暴に閉じ、腕に抱えて書架へと向かう。
いろいろな棚からかき集めたみたいで、一冊一冊場所を確認しているのが棚越しに見えた。
(ちょ、ちょっと自意識過剰すぎたかな……嫌われたかも)
たかがペンひとつで浮かれすぎたかもしれない。贈ったときには深い意味はなかったし、獄寺君だってまさかそんなつもりで使っていたわけじゃないだろう。どこにでもあるようなペンなのだから、なにに使われたっておかしくはない。
高鳴る心臓を落ち着けていたら、ふと、机に一冊ぽつんと残されたノートに目が行った。
開いたノートの右面には、獄寺君の几帳面な文字が並んでいる。そして、開いたノートの左側には――
「だああーーー!」
奇声をあげながらやってきた獄寺君が、両掌で押し潰すようにしてノートを隠した。
そして手をついた姿勢のまま、今度は殺気のこもった瞳を私に向ける。
「お前……! いい加減にしろよ……!」
「ご、ごめんなさい!」
やっと私は背を向けて逃げ出した。今さらながら、図書室で騒ぎすぎたことを思い出す。
(あー、もう! なにやってんだろ、獄寺君本気で怒らせちゃった!)
これは完全に私が悪い。いない隙に人のノートを盗み見るなんて、失礼にもほどがある。
それでも私はわかってしまっていた。
なにも書かれていないノートの左側。横に伸びた罫線に、等間隔に点がついていたことを。それは私が贈ったノートと同じ特徴であることを。
わかってる。そんなノート、どこででも売ってることなんて。私が贈った物だとしても、そこに意味があるとは限らないって。
それでも、獄寺君の慌てかたや首元まで赤くなっているのを見てしまったら、誤解してしまうし期待してしまうし、勘違いするなという方が無理だった。
(……どうしよう。明日からどうしよう)
きっと私も首まで真っ赤になっている。その理由が獄寺君も同じであることを、ひそかに願わずにはいられなかった。