白い粉、といわれて業務用紙袋の群像を思い浮かべられる人間は未だに少ない方であろう。残念ながら地下世界での流通が主に業務用製粉となって久しいにせよ、まだ十年そこらでは人間たちの認識は『コーヒーの麻袋に隠された』だとか『小分けの密封できる袋に少量ずつ』とか『体育館らしき床に広がったブルーシート上に整然と並ぶ』とか、そういう光景とともに思いだされるものだった。
そしてこの夏場という大掃除にうってつけな──少なくともほぼ一年中が吹雪に閉ざされ、窓を開けて換気という最低限のなにかも果たすことが難しい北方地区においての大掃除にうってつけな時期。普段は明確に決められた消費順番によって入口付近のみをその可動領域とした倉庫の中腹から最奥までの間に横たわる、積み重なった大袋の数々を見上げて跡炊宛は止めていた息を思わず吐いた。
「うわ……これ、全部何かの粉なんですか」
「何かの粉なんだよね、あいにこ」
「あ、あいに…なんて?」
息を止めていたのは純粋に独特の倉庫のにおいとうっすらと漂う埃を懸念していたからで、換気扇が静かに回る倉庫の中は食品が主とあって十分に衛生的だ。いちいちが業務用だのなんだのと容量や数の大きさを主張してくる品ばかりのなか、ひときわ存在感と重量を主張するその一角。天井まで届く鉄骨のパレットが行儀よく似たり寄ったりの袋を抱えている。
「下三段は小麦粉なんだよね、それはわかっててさ。ただ、その上たちがちょっとなにこななのかがわからなこな………」
「わからな…なんて?」
「はぁー……ずいぶんえれぇな」
自身と同じく休暇を過ごす赤髪の同期こと八十一市紛も、いつもは低いその視点を目一杯首とともに天井へ傾けていて、抱く感想は同じらしい。鉄骨製のパレットはところどころに滑車とワイヤが仕込まれていて、司厨員の手元のリモコンで天井近くの重たい袋もなんなく足元へ下ろせる仕組みにはなっている。
照明から離れるごとに薄暗くなる光量の中、目を凝らしては同種の袋の境目に見当をつけ、とにかく内容物の不明な上の方から片付けようとだいたいの計画は立てられた。
「えっ、ええー……これは小麦粉では…なくない?」
「んだな」
「なにこなだろう……なんかちょっと…もしゃっとする………」
「それは粉をぺろっとした感想じゃない」
早速一つ足元へ下ろし、袋に記載の消費期限を控えたあとは端を少しだけ開封し、各々小指にひとすくい粉を取る。わかりはしないが匂いを嗅ぎ、下の先端に触れさせれば記憶の中にはない舌触りとよくわからない風味が鼻の奥から抜けていった。
「片栗粉?」
「あーっ、近い……もう片栗粉でいいかこな」
「いいのか?というか、こなは固定語尾なの?」
そうして一袋目は暫定片栗粉へ分類され、同じ記号の捺された袋は全てが急に暫定的に片栗粉となった。
この調子で分類を続けるとあっという間に暫定的な子な分類が出来上がるが、その精度は低いにもほどがある上にすべてを開封する都合上、数日のうちには大量の粉を消費する必要性が生まれる。寒冷を通り越した極寒の北方地区とはいえ、屋内は人間が住めるだけの温度と湿度は保たれているから、そこへ粉を放置しておけば途端に湿気るし変質していく。屋内外の温度差により、必然として結露が発生し換気と食材搬入の都合で風除室が設けにくい厨房付近は常に結露との戦いを余儀なくされているのだった。
その上、袋の端を開封していけばいくほど白い粉からかけ離れた緑やら黄色やらの大量の粉末が検出され始め、延々と粉ばかり舐めてはよくわからない記憶を呼び起す羽目になってきている跡炊宛と八十一市紛にはもはや宇宙すら見え始めている。
「緑っていったら大体粉末ほうれんそうでしょ!?なに!?違うの????」
「んぇ………あー、あのー、あれ……もろやへい」
「おしいこな!モロヘイヤ!!!!!それだ!!!!!!!!!!!」
「声でっか。司厨員の人急に声でかいのなんなの……」
「こなにもわからないこな……」
「ついに一人称が粉に」
「見失うなよ己を……とりあえずモロヘイヤは適当にモロヘイヤ団子とかスープにして夕食に出しますこな」
とってつけたような語尾が、すでに見失われた己を急に思いださせて、薄暗く一定の湿度と温度に管理された倉庫の中で跡炊宛は宇宙の真理が見えたような気分になる。
「粉末さつまいもがこれで飛び地みたいに見つかって五袋あるわけだけど、これはどうするの」
「ドライフルーツ棚であんずが眠っているのであんずきんとんにするこな。残りは適当に芋団子とかいもようかんにするこな」
「ゔぇ、こいんだば卵だぁ」
「ねえ、黄色い粉もう栗だったり芋だったり卵だったりで怖いんだけど。口で確かめたくないんだけど」
「労災は降りるこな」
「災いたくねえって話なんだよな……」
そんな調子で延々と開封しては舐めてみて、味やら匂いやらから原材料を思い出す戦いに身を投じている跡炊宛と八十一市紛は、数日前に見送った予定されている親族(義姉)がいるうちにこれが開催されて、手土産にちょうどいい団子やらなんやらが出来上がっていたらよかったと思っていたのだった。
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白い粉、と聞いて真っ先に思い浮かぶのは『別の荷物に隠しやすい』だとか『小分けの袋で管理しやすい』だとか『少量ずつで発覚時の被害を少なくする』だとか、要するに世間一般が想像する"やべーやつ"の管理と運搬方法で、少なくとも聖累ヶ淵アンリ教会聖蹟調査管理部においての白い粉は"やべー手法"で隠され"やべー目的"に対して用いられるものというのが共通の認識だった。
だから七五三四十五六はいつもの睡眠から目が覚めた時、己の枕のなかにいつもと違う匂いを感じてゆっくりと、とてもゆっくりと上体を起こし、ゆっくりと今まで頭を預けていた枕を両手でつかんで壁に向かってぶん投げたのだった。一般的な材質でできている壁は適度に柔らかい枕を静かに受け止めるが、張り巡らされているセンサーはその重量を許さない。
ジッと蝉の断末魔のような音で無残にも中身を撒き散らした元・枕は羽毛やその他枕に適した材質の中からどう考えても異質な白い粉を撒き散らしている。
「困りましたね……いえ、この場合はこなりました、か」
もちろん己の他に誰もいない部屋には適切なツッコミなど期待するだけ無駄で、視界の二割は邪魔をするまとまらない黒髪のぼやけた影の隙間から七五三四十五六は最適解を探そうとする。
聖累ヶ淵アンリ教会聖蹟調査管理部においても寝室はプライベートな空間の認識があり、個々の部屋には勝手に立ち入らないのが共通のルールであり、それゆえに気の置けない仲間たちという線引きが存在する。部屋主が不在でも、ノック一つで入っていける間柄。少なくとも世間一般から"頭がおかしい"という前置きで見られがちな聖累ヶ淵アンリ教会聖蹟調査管理部の人員たちは、所属してみればなるほど、おもしろい感性の持ち主ばかりで構成されていた。
それを束ねる七五三四十五六に、気の置ける間柄は存在しない。
一切の交流の全てが利害に基づいている。何の利益もなく、何の損害も生まれないなら何もしない。それを当然とし、至上とし、命題として生きている。与えて奪い、施し拿捕し、整え荒らし、生かして殺す。単純な加減算だけで生きてきた七五三四十五六は、だから寝ている間に枕に白い粉を仕込まれる理由と所以と理趣を持たない。
起きがけの低血圧でもったりと血液が回るのを待っていてもろくな解決策は見えてこないことを知っている。この肉体とも幸か不幸か長い間付き合ってきているので、もはやそのくらいの感覚値は絶対値に極めて近づいている。
七五三四十五六は故あって一人の少女を独りきりにするために、その掌握できるすべてを動かしていると言っても過言ではないが、だからといってこの世の屈強を寄せ集めたようであったり、要するに一つも強いところを持たないと言ってもいいくらいにはひ弱で脆弱て吹けば飛ぶ弱さで生きていた。
だから起きがけの祈りはやたらと時間がかかるし、ほぼうずくまるようにして手を組むその姿のまま二度寝という名の気絶が起こることもしばしばで、日が高く昇り暮れかけているころにようやく自認が朝を迎えることもままあった。
この世の中は目に見えるものだけではできていない。
今この夏を生きる彼らがそれに気がつくのは、また別の話。
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初公開日: 2020年08月04日
最終更新日: 2020年08月04日
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