第一章
「ザンクティンゼルは、小さな島です。島民みんなが家族みたいに仲が良くて、島で生まれたほとんどの人は、島で生まれ、育ち、誰かと結婚して――そして島で死んでいきます」
空の果てを目指すグランサイファーは、穏やかな朝を迎えていた。
ジータはフェードラッヘ白竜騎士団から応援要員として派遣されてきたランスロットと一緒に、朝から甲板の掃除に精を出している。
少し前まで砂漠地帯の上空を飛んでいたので、甲板にはザラザラとした砂が散りばめられていた。これを放置しておくと結果的に騎空艇の故障にも繋がるらしいので、掃除の手が抜けない。
「俺も小さい村の出身だから、なんとなくジータが言ってることはわかるよ。村全体が家族っていうか――」
白竜騎士団団長であるランスロット、そして副団長であるヴェインは、とある国での査察を終えてフェードラッヘに戻るところだ。ここから空路を使っても彼らの国まで半月ほどかかるので、時折訓練をつけてもらっている。
体の軽いジータの戦い方はランスロットの俊敏なそれとよく似ていて、芯があってしなやかな戦法はいつも手本とさせてもらっていた。
「ジータも、旅が終わったら島に戻るのか?」
「私ですか? どうなんでしょう……正直、旅がいつか終わるっていう実感がなくて」
ゴシゴシとデッキブラシで甲板を擦りながら、ジータは悩ましげに首を傾げた。
はじめた旅がいずれ終わりを迎えるというのは、頭では理解している。
だが、実際にその未来を思い浮かべたとき、いまいち詳細な想像ができなかった。漠然としすぎていて、大人になっているであろう自分の姿も思い浮かばない。
「自分が大人になって、例えば誰かと結婚するとか――そういうことも、全然考えられないんです。ほら、私……」
するりと、お腹の辺りを撫でる。
今はすっかり癒えているが、そこにはかつて大きな傷痕があった。
ザンクティンゼル――ルリアと出会ったはじまりの場所で、一度ジータは命を終えている。
「子ども、産めないと思うんですよね」
「……男の俺が、君になにを言っても説得力はないと思うんだが」
水で濡らしたブラシで軽く床を叩いて、ランスロットはぽりぽりと頭を掻いた。
彼が非常に頭がいい人だというのは、ジータも旅の最中でよく理解している。彼の同僚であった男たちも、ランスロットの判断能力や学習能力は最早天賦の才能だと言っていた。
「子どもを産むとか、そういうことが大人の象徴化と言われたら――俺は違うと思うな。ジータはもしかして誰かと一緒になるかもしれないし、ならないかもしれない」
雲が流れて、太陽が少しだけ翳る。
ほんの少しだけ風が冷たくなったのを感じていると、ランスロットがジータに向けてにっこりと微笑んだ。
「でもなぁ、ジータがもしウエディングドレスなんて着たら、俺もヴェインも張り切って祝福にいくよ。パーシヴァルも、ジークフリートさんだって一緒に」
ジータにとってランスロットは、年の離れた兄のような存在だ。
彼もまたたくさんの団員を率いる騎士団の団長であるから、時折とりとめのない相談に乗ってもらったりもしていた。
今のジータが語る漠然としすぎている未来予想図にしたって、彼は子どもの話だと遮ることなく聞いてくれる。それが心地好かった。
「私はルリアの結婚式が見たいなぁ。あ、でもルリアの相手は私と同じくらい強くなくっちゃ」
「それは――なかなか難関だなぁ」
そうやって笑うランスロットは、すっかり綺麗になった甲板を見回してからくるりとブラシを回転させた。
水飛沫が飛ぶとブーイングを出すと、彼はいたずらっ子のような表情で笑う。
「ジータの好きなようにしてみるといいんじゃないか? ザンクティンゼルに戻るもよし、こうやってまた自由に旅を続けるもよし――もしフェードラッヘに定住する気があるなら、いい家用意しておくからさ」
「あぁ……フェードラッヘもいいですね。暮らしやすい国だと思いますし、結構土地勘もできました」
「だろ? そうなったら白竜騎士団の特別顧問として、新兵教育でも担当してもらうかなぁ」
朗らかに笑うランスロットが、意図的に話題を変えたのはわかっていた。
彼はそういうところで、人を見るのがとても上手い。それは未だに貴族社会が優勢に立つフェードラッヘで培われた、彼の防衛機構のようなものなのかもしれない。
「……ジータは、大人になりたいのか? 案外いいもんじゃないぞ。朝方まで飲むと胃がもたれるし、最近ちょっと疲れが取れにくくなってきた」
情けない話だよなぁ、なんて肩を竦めるランスロットに、ジータは小さく微笑んだ。
――彼は優しい。
「わからないんです。漠然としていて、自分がどんな人間になりたいのかも。……だから、悩んでるのかもしれません」
「そこで悩むだけ、団長は立派だと思うよ。俺なんてジータくらいの年の頃は、確かフェードラッヘの王都に出てきたばっかりで、王城の門見上げて鼻水垂らしてたと思う」
「鼻水はさすがに……」
わかりやすい冗談に二人で笑い合うと、少し遠くの方から駆け寄ってくる足音があった。
音からして、体格に優れた男性のものだというのがわかる。そして、漂ってくるのはスパイスの美味しい香りだ。
「団長、ランちゃん! 甲板の掃除終わったか? そろそろ昼にしようと思うんだけど――」
「おっ、ちょうどよかった。こっちは綺麗になったし、腹も減ってたんだ。な、ジータ?」
白竜騎士団副団長ヴェイン――グランサイファーの中でも指折りの料理上手である彼は、乗船しているときはよく厨房に立ってくれている。
「はい、おなか減りました! じゃあ、ブラシ片付けて着替えてきますね!」
既に太陽は高い場所にあって、お腹の虫も鳴き出す頃だ。
ぱっと顔を上げたジータはランスロットからデッキブラシを受け取り、決められた用具箱にそれを突っ込む。
今日も空の旅は快晴。いい旅路になりそうだ。
「さて――ご飯食べたらなにしようかなぁ。……新しいジョブ試して、それから……」
そのまま食堂に向かうというランスロットたちと別れたジータは、ゆっくりした歩調で自室に向かう廊下を歩いていた。
そういえば、最近取得したジョブがあったのだった。攻撃的なジョブなのでどう運用していこうかと迷っていたのだが、それについて少し考えてみてもいいかもしれない。
暇という言葉は、このグランサイファーにいる限り縁遠いものだった。
いつだって誰かがいるし、なにかをしようとすればその筋のスペシャリストも多い。
さてどうしたものか――顎に手を当てながら自室の前に立てば、ふと背後から声を掛けられた。
「ジータ」
「わっ……! って、ジークフリートさんかぁ……」
びっくりした、と胸を押さえたジータに、声の主はするすると近づいてきて頭を下げた。
「すまない、驚かせるつもりはなかったんだ」
「いえいえ、私も完っ全に気が抜けてました……どうかしましたか?」
「ランスロットたちが食堂にいるのに、ジータがいなかったからな。なにかあったのか?」
片手を上げてこちらに近づいてきたのは、グランサイファーの団員であるジークフリートだ。
フェードラッヘの元黒竜騎士団団長という肩書きを持つ彼は、剣を握れば一騎当千の強さを持つ。
ジータも彼の剣技に憧れて、その教えを請うていた。
「えっと、新しいジョブを取得したので……剣を扱うちょっと特殊なタイプなんですけど、どうやって運用しようか考えていたんです」
「剣を扱うなら、俺にも少し力になれることがあるかもしれないな」
話してごらん、と首を傾げるジークフリートに、ジータはジョブの詳細を語って見せた。
特殊――というより、結構扱いにくいジョブだ。超攻撃型で、剣の性能そのものを引き出すのに特化した自己完結型。使い方によっては自己強化と攻撃を一手に担えるが、集団で戦闘を行うにはやや向いていない。
「ザ・グローリーっていうジョブなんですけど……」
「なるほど、確かにそれは少し扱いにくいかもしれないな――それと、少し技巧的だ。そういう手合いはシエテの方が詳しいと思うが、彼は今この空域を離れているしな……」
天星剣王――剣神と呼ばれる不可思議な力をもって剣を振るう青年は、確かにこうした特殊なジョブには造形が深いかもしれない。
だが、彼は空の平和を守る十天衆の頭目だ。いくらこの艇の団員だからといっても、ここにいない期間の方が長い。
「できれば、次の古戦場までに使えるようにしておきたいんです。ただ、私いつもは支援系のジョブばっかり使ってるから……」
「なるほどな――ただ戦い方を教えるだけなら、俺でもできるかと思ったんだが……」
つるりとした顎に手を当てたジークフリートは、なにかを思案するように薄く目を閉じた。それからたっぷり三拍時間を置いて、彼は琥珀色の瞳をすっと開いた。
「戦い方を見せてくれないか。できれば実地がいい……一週間後に個人で魔物の討伐の仕事を受けているんだが、団長の時間が許すなら同行してもらってもいいだろうか」
基本的に、騎空団としての依頼を受けるのは一括してジータとカタリナの仕事だ。
ただ、個人的な依頼の受諾を禁止しているかといえば、必ずしもそういったことはない。特に、ランスロットやジークフリートなどは、母国であるフェードラッヘ復興のために個人での依頼を請け負っているのを見たことがある。
「私は大丈夫です。ジークフリートさんの方こそ、個人で受けている依頼に私を連れて行って平気なんですか?」
「難易度がそれほど高くない依頼だったから、俺一人でもなんとかなると思っていただけだ。それに、万が一使い慣れない力が暴走したときには、それを止める人間が必要になるだろう」
ジークフリートの言葉に、ジータはコクンと頷いた。
その言葉にどこか重たいものを感じるのは、きっと気のせいではないだろう。
「そうしたら、お願いします。戦うときの癖とかがあったら、教えてくれたら直すようにしますから」
「あぁ――まぁ、気負うほど難しいものじゃない。何かあったときのポーションだけは忘れずに用意をしておいてくれ」
柔らかく笑ったジークフリートが、片手を上げて食堂の方に向かっていく。
こういう時の彼は、恐ろしいほどに頼りになる――安堵を覚えると同時に、ジータはほぅ、と息を吐いた。
(私、ちゃんと笑えてたかな……)
どうにもジークフリートの前では、うまく言葉を紡げないような気がする。
理由は分っているのだけれど、これだけ大所帯となった騎空団をまとめる人間として、さすがにそれはまずいだろう。
「いつから、だったっけ」
人のいない廊下に、ジータの声が小さく響いた。
きっと、それは自覚のないままに芽吹いた感情だった。
毎日依頼をこなして、イスタルシアを目指しながら進む旅路。そこで出会った仲間たちと、命を預け合った旅をしている最中だというのに。
思慮深く、戦いの時は鬼神のような強さを誇る彼が、ふとした時に見せる微笑みが好きだった。
高潔な精神と非情なまでの判断力が同居する危うさも、いつからかほの熱くジータの胸を焦がす。
(団長として、さすがにこれはまずいって……わかってるんだけどな)
好きだ。
きっと自分は、ジークフリートに恋をしている。
いけないことだという自覚はあった。そもそもに自分は世間一般的な『女の子』ではない。剣を持ち、空を駆け、父の背中を追いかけてイスタルシアまで旅をしている。
その中で何度も死にそうになったことはあるし、事実一度死んでいる。この心臓は、確かに一度動きを止めたのだ。
(……好き。すきなんだ。私……ジークフリートさんのことが、どうしようもなく)
艇を預かるものとして、特定の誰かに特別な思いを抱いてはいけない。
それをわかっているのに、小さな熾火だったその感情は徐々に広がり、今では焼き尽くさんばかりにジータを責め立てる。
「……だいすき」
部屋に戻ってきたジータは、扉に鍵を掛けるとその場に崩れおちた。
ともすれば神でさえもを殺すという、その感情を持てあましたままで、ジータは震える息を吐いた。
*
「……あ、あれっ?」
「どうした? なにか忘れ物か?」
数日後――ジークフリートの依頼に同行したジータは、持ってきたはずの荷物入れを漁りながら眉を寄せた。
ない。ない。どこにもない。探せども探せども、エリクシールが見当たらないのだ。
「クリアオールを組み込めないから、エリクシールを持ってこようと思ってたんですけど……回復用ポーションしか見当たらなくて……」
ジータが普段愛用しているのは、セージなどの回復職だ。
基本的に戦闘はそれに秀でた団員たちが担ってくれるので、ジータはもっぱら裏方に回る方が多い。アビリティも支援用のものを組んでいるのだが、今回はそれができないからと十分な準備をして――きたはずなのだが。
「ごめんなさい、ジークフリートさん……普段と勝手が違って……」
「次回から気をつければいいさ。これでもう、ジータはグローリーのジョブの時はエリクシールを忘れないだろう? 疲労が溜まりきる前に依頼を終えればいい。少し飛ばすが、いけそうか?」
頼もしく笑うジークフリートに、ジータの胸がきゅっと痛む。
そんなことを思っている場合ではない。いくら軽い依頼と言っても、魔物との戦闘で気を抜けば食い殺されるのは自分たちの方だ。
「は――はい、大丈夫です。いつでもいけます」
腰から下げた剣の柄を握りしめて、抜刀する。
ザ・グローリーは特殊なジョブだ。シエテの方が適任ではないかというジークフリートのアドバイスを受けて、ジータは彼に手紙を出していた。
天司の郵便屋さんがひとっ飛びで届けてくれたそれに、シエテは丁寧な返信をしてくれた。
「グロリアス・アーツ――」
――まずは新しいジョブの取得おめでとう、団長ちゃん。頑張り屋の団長ちゃんに、シエテお兄さんからそのジョブの使い方を軽くレクチャーしておこうと思う。まずそのジョブ、使い方を間違えると暴走しかねないから、必ずしっかりと正気を保っていてね。
(シエテさんは、あぁやって言ってたけど……アビリティを使うくらいじゃ、あんまり疲れたりはしないな……)
まずは剣の能力そのものを『グロリアス・アーツ』で引き出す。それから『剣神共鳴』で秘められた力を一気に解放するのだ。順序を間違えれば発動することができないため、そこだけはしっかりと頭の中に叩き込んできた。
「それでは、まずこのあたりの地形なんだが……ゆるい谷状の地形になっていて、下に降りるごとに魔物の巣が多いと予想されている。数がいるだけの雑魚であれば、恐らく俺とお前で殲滅することは可能だろう」
「そんなに多いんですか?」
「大きな巣ができているのと、恐らくは繁殖期だな。だから魔物の方も気が立っているし、往々にしてそういう個体には妙な能力がつけられていることが多い。向こうも子孫を残そうと必死だからな」
旅を続けてきたジークフリートは、そういう事情にも通じている。
まず『魔物の繁殖期』という考えがジータの中にはないものだったし、種を絶やすまいとする生存本能が厄介な能力に結びついているというのも勉強になる。
(やっぱり、ジークフリートさんはなんでも知ってるんだ……)
騎空士としてあちこちの島を飛び回り、時には空域を越えた大冒険をすることもあるが、ジータが旅を続けるよりも長い間、ジークフリートは母国を出奔していた。
本人曰く、知識はその時取った杵柄だというが――その知識の引き出しに、自分は何度も助けられていた。
「巣ごと焼き払ってしまってもいいんだが、そうすると辺り一帯が焼け野原になりかねない」
「なるほど、じゃあ大規模な魔法とかは使えませんね。パーシヴァルさんみたいに一気に焼いちゃった方が早いかなって思ったんですけど……」
「地形が谷状になっていると言ったのも、大きな魔法を使えない原因の一つなんだ。下の方に炎が渦巻いてしまうと、こちらの意図しない火災に発展しかねない。それこそパーシヴァルのように、炎の扱いに長けている人間なら話は別かもしれないが……」
ジークフリートが宿す火属性の魔力は、彼が討伐したという真龍・ファフニールの影響によるものが大きい。つまり彼にとって、本来火属性の魔力は自分の体から発せられたものではないのだ。
(あんまり火属性の魔法を使うと、ジークフリートさんにも負担がかかるのかな……)
その体に流れるファフニールの血液。
それがジークフリートの中で徐々に力を増し、竜の性質を強めているのだという。最初は傷を負っても塞がりやすいという程度だったそれが、力の暴走という側面を宿しはじめた。
そのせいでジークフリートは一時グランサイファーを離れようと決意していた程だし、実際に暴走状態の彼と剣を交わしたジータは、恐らく駆けつけてくれたアグロヴァルの手助けがなければあの場で死んでいただろう。
――ジータの声は、ジークフリートには届かなかった。
「まぁ、俺はこの通り粗暴だからなぁ。細かい魔力のコントロールだと、ランスロットやパーシヴァルが得意としているんだが……そういう事情で、焼き払うのはなしだ。一匹一匹丁寧に斬り伏せていく必要がある」
「わかりました――あっ、でももしかして、このジョブだったらある程度まとめてやっつけちゃうことができるかも……」