戒善はすっかり目がさえてしまったのだろう。怠慢な動作でパソコンを持ってきた。どうやらソファーでそのまま作業を始めるつもりのようだ。そしてパソコンを開いて起動している間に彼はその異形に投げかける。
「君が何なのか、いまだに把握できていないんだけど、結局君のその、物語のうんたらかんたらっていうのはどういうことなの?」
そう問われ、話唱は眉間を抑えてあぁ、とうなりながらしばらく考え込んだ。考え込みながら、戒善の表情をちらっと見る。彼の顔には毒気など存在していないし、ひどい隈もニキビも傷跡もない。紫色の瞳は正常に光を受け入れている。髭が綺麗に整えられているその顔は、ややもすればテレビでもてはやされそうなそれだ。流石に長すぎる間に疑念を覚えたのか、戒善が話唱のほうに視線をやる。その視線を感じ取った彼は口元を吊り上げたまま彼のそばにふわりと近寄った。
「そうだねぇ。例えばさ、ある小学校の中で『首絞めさん』とかいうやつの噂を流すとするだろう?」
「……先に聞くけど、それまさか実際にあったことじゃないよね?」
「脚色している、とだけ言おうか」
彼の呆れた顔が目に入り、思わず話唱から人臭い笑い声がこぼれる。すぐに彼の視線がパソコンに戻り、話唱は話を続ける。
「その『首絞めさん』なんてものはもちろん言われるまで存在していない。そしてね、それがすっかり広まって、誰かが『本当にいるんじゃないか』と思うだろう?すると、その『首絞めさん』の姿になったあたしが出てくるって寸法さ」
一連の説明を聞いて、戒善は手を口にあてて考え込んでいる様子を見せる。傷一つなければ指輪もない、節くれだった年相応の手。ふわりと宙に浮いたまま、話唱は密やかに笑っている。あざけているような、それとも純粋にその様子を面白いと感じているものなのかはわかりにくい。怪異の感性を一介の人間がわかるわけがないのだ。
「首絞めさんってのがもし見た人の首を絞めるものだったら、見た人の首を絞めるの?」
「勿論さぁ」
「どこまで殺すの?」
「その首絞めさんの話に『今まで何人殺した』って言うのが含まれてたら、その何人までってので、言われてなかったら際限なくだねぇ。でも、いつかはその話を始めたやつを殺すさ」
外では風が木の葉をバザバザと鳴らしながら、中ではやりとりは淡々と続く。
「……どうなったら、終わり?」
「その話を始めたやつが死ぬか、噂がぱたって無くなるかだね」
その言葉に最初は納得したようだった戒善だったが、しばらくして何かに気づいたようにぱちぱちと瞬きをする。
「もしかしてさ、俺は殺されてたかもしれないの?」
「えっ今それ気付くかい?当たり前だろうが。そもそも殺さないような姿になったとしても大概が狂い死ぬってのに、アンタは例外中の例外なんだよ!」
呆れた中に少し怒気を含んだその言葉に、戒善はきょとんとなりながらもまた執筆をつづける。なんてことの無い様子で澄ましているその様に話唱はどのような声をかけたらいいかもわからず腕を組み、息を一つ吐いた。
「何がなんだってんだよアンタは……」
「さぁ。俺はどこにでもいるただの怖いもの知らずの作家だよ」
怖いもの知らずねぇ、と話唱は右目にかかる滴る血をネクタイで鬱陶しそうに拭いながらもぼんやりと浮かんでいる。どこ吹く風と言った様子で浮いていたとしても人の形を持っているそれはやはり異質だ。会話はだらりとしたテンポで続けられる。
「じゃあ君は、俺が書いたそれと同じことが出来るんだよね。……なんだっけな。頭蓋骨を砕かせて首を絞めるくらいはしたような」
「あぁ、随分やることがえげつないななんて思ってたよ」
「それはリリーにも随分言われたな」
「リリー?誰だいそいつ。あんたの女か?」
「違う。俺の担当編集だ。何かあったら頼りにはなるけど、どうも気が強いし仕事をどんどん持ってくるからな。それに俺は年下の黒髪美女が好みだよ」
「その物言いすごく最低ですぜ」
その指摘が当たってたのか、戒善は黙りこくって作業に戻ってしまった。こうして見るとますます人臭いな、などと話唱は漠然とその男の印象を決め付けた。彼とてここ二、三年に生まれた怪異ではないが、彼のような者は先ほど彼自身が言っていたように”例外”なのだ。この佳人をさてどうしようと、この異形は手探りで見定めているという算段なわけで。しかしやり取りが終わってしまい、いよいよやることがなくなると話唱はリビングの一面を覆う本棚をじっと見やった。大きさと大体の色合いで揃えられた本棚には、最新の科学雑誌だったり天文学の稀覯本、分厚い辞書はもちろん国土地理院から発行される地形図まで、やはり作家らしくあらゆる本が連ねられていた。しかし物語りの怪である彼はこれらが使われることがごく稀であると知っていた。
戒善の作品は主に三種類。一つは子供向けのジュブナイルであったりゲームのシナリオであったりの『文庫本以外の媒体で見受けられる作品』。彼の一定の知名度はここから由来されている。戒善が言っていたリリーという編集が持ち込んだ仕事が影響しているのだろう。残り二つは文庫本形態なのだが、わざわざ二種類に分けるのには大きな理由があった。何故なら、戒善が脱稿している文庫本は色が変わるのだ。朱色の文庫本は、主に子供向けのものを読まない若年層を狙ったといわれる比較的ライトなもの。ライトといっても、部落差別だったり病気といったりと普通では扱いに躊躇うようなものが出てくるのだが、彼はそれをあえて出すことで誰も、それこそ編集部でさえも予想できない作品を生み出す。そしてもう一色は黒。黒地に白でタイトルが書かれているシリーズには話唱の今の体を成している『反逆意志』も含まれるわけで。明治時代かそれ以前かを彷彿とさせる現代ではまぁ見ない書き方をする時点で刮目させるには十分なほどなのだが、内容はもっとおぞましくなるうえにそこに映しだされる人間模様は普通の生活をしている人ならば正気を失うような仕上がりとなっているという。そのせいか、戒善のこの黒い文庫本を語るには、どこかの本屋では彼のそれを未成年閲覧禁止の暖簾の奥に置いているとかなんなら発行当初は一部の自治体で発禁されたとかそういう方面での噂も不可欠なものであった。
話唱は少し考えた後何冊かの植物学に関する専門書を適当に手に取って、ぱらぱらとめくっては本棚に戻していく。その内容は小難しいというか、ぱっと文字を追っかけるだけではわからないものであった。文庫本のカバーのそでに書かれていた戒善の略歴には中堅の国立大学を卒業した旨が記されている。彼はどうやら教養もさることながら地頭もそれなりであるようだ。話唱は彼に対する推測を重ねながらも暇を潰している。まだ朝は来ない。時計の針のコチコチという音と、タイピング音と、ぱらぱらと紙をめくる音。最初の部屋の中でのごたごたとは一転して、冬の夜長をいっそう静かにしていた。ワープロソフトにはもう十枚分が文字で埋まっている。
午前六時。話唱がテレビのリモコンに手を伸ばしたと同時に戒善がホウ、とため息をついてノートパソコンを閉じて伸びをする。テレビの中ではニュースが始まっているが、まだ見ている人が少ないことを考慮しているらしく、インターネットのギーク的内容も含んだニュース番組を放送していた。話唱は戒善の隣に座って肘置きに頭を乗せて脱力している。呆れた様子で戒善もチラッとテレビを見た。
『次のニュースです。SNS上で「宮沢賢治のホラー」が話題になっています』
清楚に見せかけた派手な服と本当の顔を伺わせない厚い化粧を纏う女性が作り笑顔で述べながら紹介するその絵は三枚あって、戒善は興味のまま画面を注視する。スクリーントーンで構成されている、長髪の美少女と少年二人。その絵は、一見何が何なのかわかりづらい。が、漫画風にデフォルメされているその絵は世間ウケはよさそうであった。
「……あー」
話唱が脱力してるような熟慮しているような声をあげる。耳元がわずかに動いているのを戒善は見ながら、この画面に映っている事物に少し警戒を高める。『反逆意志』にて、話唱の体の元となった新館という人物は『よくないことを予感していると耳元が動く』という癖があることを著者である戒善は知っている。