綴の♣❤のお話は
「冷たい風が頬を刺す」で始まり「きっと大丈夫だって、今なら言える」で終わります。
↑のお題書きます。もし暇があったらお付き合いください。
  冷たい風が頬を刺す。
すん、と鼻を鳴らすと、潮の香りが鼻腔を擽った。海水浴以外に海を訪れたことはなく、ましては夜の海なんて初めて来たかもしれない。
「結構遠くまで来たなあ」
 スマートフォンと財布だけを適当に尻ポケットに突っ込んで、ナビも起動させないまま、何となく車を走らせて着いた夜の海。
波が打ち寄せる音はすれど、一面真っ暗で何も見えない。踏みしめた砂浜の感覚が楽しくて、意味もなく靴の上に砂を乗せては払った。今履いているのはお気に入りのマーチンだが、こんなに砂を被ってしまってはきっとすぐ駄目になってしまうだろう。いつも手入れを欠かさないそれが潮と砂にまみれていくのを見て、それでも砂を弄るのはやめない。駄目になってもいいし、なんなら眼前の黒い波にさらわれてしまっても良かった。それはそれでおもしろい。
エースの勝手な思い込みで、人気のない海は静かなのかと思ったら、よりにもよって風の強い日に来てしまったせいで轟々と音が響いている。
こっちはセンチメンタルな気分なんですけど、と口を尖らせてみても、自然相手では到底敵わず、エースは砂浜にぺたん、と腰を下ろした。尻どころか太腿までつけてべったり座り込んでから、あ、これ帰りどうしよう、と顔を顰める。が、靴と同じくまあどうにでもなれ、と思い直した。たとえ愛車が砂だらけになって、靴の中がじゃりじゃりになっても構わない。エースは今、このさらさらの砂の上に座りたかった。だから座ったのだ。
「まっさか俺が、こんな女々しいことしちゃうとはね」
 何故海に来たのかと問われれば、なんか来たかったから、としか返せない。
代わり映えのない日常を過ごすうち、不意に心の中に穴が空いて、すかすかになった気がしたのだ。正確には、すかすかになっていたことに突然気が付いた。あれ?と首を傾げて、途端に、お気に入りのインテリアに囲まれた自分の家が全部色を失って、その瞬間全部壊して捨ててやりたくなった。椅子も、机も、ベッドも、全てが異物に見えて仕方がない。そんな異物まみれの部屋の中で、自分が異物に成り下がったのだと気付いたのはその後だ。
──あれ、俺、どうしたんだろう。とりあえず、ここにいたら駄目な気がする。
灰色になった世界から抜け出そうと、部屋を飛び出し、闇雲に車を走らせた。箒にしなかったのは、心が不安定だったからだ。箒を飛ばすのも魔力を消費する。精神が不安定な状態では、いつ落っこちてもおかしくなかった。それに、滅多に使わない車を、出してみたい気分だった。特に何かがあったわけではない。仕事も、人間関係も、何もかも、今までとなんら変わりなくて、それが堪らなく嫌だった。
「あの人、今頃俺のこと探してたりして。心配で顔真っ青にして、電源も入ってない俺のスマホに電話してたりすんのかな」
 ナイトレイブンカレッジを卒業した後、何故か同居することになった二つ上の先輩の姿が頭に浮かぶ。唯一あの部屋から持ち出したスマートフォンも財布も、海に出る際にすべて車の中に置いてきてしまったので正確な時間は分からないが、そろそろ店を閉めて戻ってくる頃合いだと思う。連日遅くまでケーキ屋で働く彼のために、少し早く帰ってくるエースガ夕飯を作る、それがエースの日課のひとつだった。今思えば、それも作りかけのまま飛び出してきてしまったので、帰宅した彼は今頃心配しているかもしれない。
「んー、違うか。心配、してほしいんだなあ。俺が」
彼との関係を言葉で表すとしたら、恋人、になるのだろうと思う。その関係は学生時代から変わらず、それでも、時を重ねる度にその温度は徐々に下がっているような気がした。エースはエースで仕事があるし、向こうはまとまった休みも取らずに毎日作品を作っては店頭に並べ、接客している。二人が恋人らしい時間を過ごす機会は徐々に失われ、寝る時間も起きる時間もバラバラ。繁忙期もバラバラなせいで、同じベッドに背を向けて寝ることも増えた。
倦怠期、というやつだ。きっと。
もしくは限界。潮時。
彼は、トレイは、愛情深い人間に見えてドライな男だ。エースも自他ともに認めるドライな人間で、二人とも愛情より利益を優先するタイプ。愛も無いのに指を絡め合う理由なんてないし、どちらかがどちらかだけに依存するなんてとんでもない。私と仕事どっちが大事なの、なんて。言いたくもないし言われたくもないのだ。
「昔も、こんなことあったわ、そういえば」
まだ学生の頃、こんな風に不安に襲われたことが何度かあった。エースは甘え上手だが、一方で弱みは一切見せたがらない。弱みを見せれば浸け込まれる。弱点は人を揺するネタになる。だから子供の頃から、不安も弱みも一切見せずに、組んだ腕に顔を伏せてやり過ごしてきた。
あのときは、そう。トレイの周りの人間に嫉妬したんだった。心を砕く幼馴染や親友に、やたら仲の良い人魚に、懐いている同級生に。トレイと恋仲になってから初めて知った嫉妬が苦しくて、痛くて。そんな日は決まって、他の級友が寝静まるのを待って、四人部屋からずっと月を眺めていたのだ。今と同じように。
「今日は見えない、か」
夜空を見上げてみても、月は見えない。海を照らす月明かりはさぞ綺麗だろうと思っていたけれど、今日はとことんついてない日らしい。それでも、まばらな星屑が見えるだけ十分だ。こうなれば全身砂まみれになってしまえと、砂浜にごろん、と寝転がったエースは、その星屑に手を伸ばし、綺麗な夜空を眺めた。
賭けてみようか。
エースは星屑に話しかける。俺と賭けをしようよ。もし俺が勝ったら、あの人とまたここに来るよ。でもそっちが勝ったら、……うーん、どうしようかな。そのときは俺がまたひとりで来るよ。賭けになってない?そうかも。星と賭け事するなんて初めてだから。
賭ける内容は簡単、あの人が俺を心配してくれるかどうか。ここまで、迎えに来てくれるかどうか。心配くらいするだろうって?まあ、あの人基本は善人だからね。でもここまで迎えに来るかは分かんない。確か明日も仕事のはずだし、俺結構車飛ばしてきたからさ。生きてるならいいって、良い歳した大人なんだから気が済んだら帰ってこいって言うかも。正直俺ならそうする。だって迎えに行くとか面倒くさいもん。女の子じゃあるまいし。
でも、今の俺は迎えに来て欲しい気分なんだよね。だってセンチメンタルだから。あの灰色の、あの人との思い出があほほど詰まってるくせに、ろくに顔も合わさないあの家に、ひとりで帰るなんて虚しすぎるじゃん。俺の潮風でぎっしぎしになった髪と、砂でざらざらになった身体を見て、馬鹿だなって笑って、抱き締めてくれないと嫌だ。
「だって、寂しいじゃん」
エースの口から、ようやく本音が転がった。寂しいというその言葉が、ずっと出てこなかった。自分が寂しいと思っていることにもびっくりして、それが口から出てきたことにもびっくりした。そっか、俺寂しかったんじゃん。だってもうずっと愛し合ってない。旅行どころか遊びにも行ってない。恋人じゃなくて、ただの同居人。ただのルームシェア。そんな生活に慣れかけてる自分も嫌だった。やっぱりあの部屋は異物だったし、自分も異物だったのだ。
よっ、と掛け声を上げて立ち上がる。ぱんぱん、と砂を払ったが、背中はきっと砂だらけだし、靴の中にも砂が入っているのが分かる。星をちらりと見上げて、見ててね、と笑って、エースは自分の車に戻っていく。これもし着信履歴ゼロだったらどうしよう。そしたらもう星の勝ちだな。そんときは俺、このままもう戻らないかも。あの家にも、ここにも戻らないかもね。
席に放っておいたスマートフォンの電源を入れる。まぶし、と目を細めて、灯いた瞬間にぶるぶる震えるその箱を見つめる。先輩、と表示された画面。昔隠し撮りしたぽやぽやの寝顔が映っていて、そういえば電話帳登録するとき面白がってこれにしたんだったわ、と思い出す。それすらも忘れていた。
「ッエース!?」
「あ、先輩。もしもーし」
「お前、今どこにいるんだ!家帰ったら車は無いし、電気も付けたままで、形跡はあるのにお前だけいなくて、電話しても繋がらないし、連れ去られたのかと思ったんだぞ!?」
「はは、超動転してんじゃん。さあ、今俺はどこにいるでしょう。当ててみて」
車に寄りかかって夜空を仰ぐ。潮風がエースの髪をばさばさと靡かせ、電話口の声を掻き消す。
“風が強いな”
“ん?なんだこの音、海か!?”
酷く慌てている声がおもしろくて、肩を揺らして笑った。わざと人を困らせて笑うなんて、構ってほしい子どもそのものだ。慌てふためく恋人の声を聞いて、何故か心のすかすかした穴が少しずつ埋まっていく。
 エースは手の引き方を知らない。トレイという男はとにかく世話焼きだから、指一本でも絡めて寂しいと言えば、すぐに飛んできて頭を撫でてくれる。エースもそれは分かっている。でもその指一本をつい、と絡める方法が分からないのだ。隣を歩くようになって数年経つというのに、未だに分からない。
「ねえ、先輩。俺、先輩が俺のこと心配してくれるかどうか賭けてたんすよ」
「──は?」
「一応ね、心配してくれる方には賭けたんですけど。賭けの内容はそれだけじゃないんだ。ねえ、俺今海にいるんだよね。適当に走ってきたから分かんないけど、多分東の方じゃないかな。先輩とは来たことないかも、それでね」
迎えに来てくれる?と言うより先に、ばたばたと廊下を走る音がした。ばたん、と雑に扉が閉まる音と、びゅうびゅうと吹く風の音。
「ッそこ動くなよ、エース!」
「──っはは、嘘でしょ。もう箒乗ってんの? 俺、迎えに来てなんて言ってないのに」
「お前が俺にそういう回りくどい言い方するときはな、決まって助けてほしいときなんだよ。何年一緒にいると思ってんだ。お前が家飛び出したのも、そんな賭けしてんのも、全部俺のせいなんだろう」
ごめんな、と。今行くからちゃんと話聞かせてくれ、と。耳を打つその声に、思わずしゃがみ込んだ。指を伸ばす先は、月でも星屑でもなかったのかもしれない。人の手を引くのは難しいと思っていたけど、俺のことを俺より分かっているこの人なら、こんな大掛かりな逃走劇をしなくたって、俺がその裾を少し引っ張っただけで、気付いてくれたのかもしれない。
あの日、四人部屋の端っこのベッドで、月明かりを眺めながら胸を押さえた自分に、
――きっと大丈夫だって、今なら言える。
かけた~~~!おしまい!
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夜、海、星、博打
初公開日: 2020年07月19日
最終更新日: 2020年07月19日
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