海開きのニュースを見た簓が、夏休み前のド平日なら誰もおらんよきっと!と言って空却を海デートに誘ったのはつい先日だ。暑いのがイヤだとごねる空却を宥めて、半ば攫うように海に連れてきた。ぎゃいぎゃい車内で文句を言われたが、現地に着くころには海のきらめきに目を輝かせ、いそいそと荷物を降ろして浜辺に向かう姿が可愛くて簓は頬が緩むのを止められなかった。
簓が予想したとおり、夏休み前の海はがらんとしていた。もともと有名な場所ではないのもあって、遠くに釣り人がいるのが見えるくらいで本当に人がいない。誰もいない砂浜を独り占め、いや二人占めできて、簓は大満足だった。
空却は恥ずかしがり屋で、簓の外聞を気にするあまり外でイチャついたことがない。別に外で手を繋ぐくらい、と思うのだが、硬派な武闘派僧侶のイメージというものもあるのだろう。
海でダラダライチャイチャ、それこそまさしく海デートの醍醐味だろう。別に特別なことはしなくていい。ただ誰にも邪魔されずに、二人でゆっくり過ごして、時折指を絡めたりしながら、照れて俯いた顔を眺めてにやにやしたい。
簓がルンルン気分でシートを広げ、貸してきたパラソルを開いている間、空却は飲み物を取ってくると言ってサクサク砂を踏んで歩いて行った。
空は海の色を反射しているように青く澄んで、水平線が太陽光でぴかぴか光っている。打ち寄せる波の音が「夏!」という気分を盛り上げ、都会では聞こえないウミネコの声が非現実的だ。空却が戻ってきたら、サンオイルを塗りあったりして。麦わら帽子のつばを持ち上げてキスしたりなんかして(あかん、空却はキャップだった…)。コーラとかき氷があれば完璧だ。これから日が沈むまで、存分に夏の海という舞台を楽しみ尽くすのだ。
場所の設営を終え、スマホで海の写真を撮っていた時。ふいにどこからか猫の鳴き声が聞こえた。発情期やケンカで鳴くようなのとは違う、か細くて震えた声だ。元相方が”そういうの”を放っておけない質というのもあって、過去何度かそういう声を聞いたことがある。
――これは、捨て猫がいる。
右手には巨大なテトラポット群があって、声はそちらから聞こえてくるようだ。テトラポット群の中には、噛み合わせの都合で思いもよらないような穴が開いていたり、なぜと思うようなところに水が押し寄せてきたりする。もし猫がそこにいるのであれが危険だ。
妙な正義感で、小走りにテトラポットに近づく。だが、近づくほどに鮮明になっていく声に、簓は青褪めた。これは猫の声などではなく、人の声。それも子供の声だったのだ。か細い声で、「助けて」「ここだよ」「誰か」と呼んですすり泣いている。
途中からは猛ダッシュになった。サンダルが砂に沈んで走りづらくて、たまに小石が指の間に飛び込んできたりして痛みで顔をしかめる。だがそんなことに構っているヒマはない。
「おい!待っとれよ!いま助けたるからな!」
大きな声で呼びかけた。テトラポットは目前に迫っていて、その巨大さに気圧される。
テトラポット群のある場所は、砂浜からは少し切り離されたように浅瀬になっている。小さな水たまり様になっている場所が点々とあって、それらが次第に巨大な海につながるような形になっていた。
簓は水たまりにびしゃびしゃ音を立てて入って行って、テトラポットによじ登ろうと手を伸ばした。
「簓!!」
後ろから空却の切羽詰まったような声が聞こえて、はじかれたように振り返る。空却は肩で息をして、顔を真っ赤にして険しい顔をしている。持ってきていたらしい飲み物は、後方にひっくり返っていた。簓はわけがわからず、空却とテトラポットを交互に見やる。空却の声が警告の色を持っていることに、困惑しかなかった。
「やめろ、行くな」
「へ…?で、でも」
「よく聞いてみろバカ!!」
「え?」
簓は不必要に息を止め、耳を澄ませた。すすり泣きだと信じて疑わなかったそれは、忍び笑いだった。くすくす笑いながら、時折喉奥で笑いをこらえるようなくぐもった音も聞こえる。
「…え?」
誰かぁ、そう言って呼ぶ声はいまだに聞こえている。だが、よくよく聞いてみればその声は、不安げに誰かを呼ぶ様子などではなく、かくれんぼに興じる子供の遊び声にしか聞こえない。だが、テトラポットの中で、ひとりで、わざわざ?そんなこと考えるまでもない。空却が止めに入ったのがなによりの証拠だ。
空却が指さした先、左下を見てみれば、白い腕が2本、指先をイソギンチャクのように揺らしながら、砂を掻いていた。
「ひっ」
簓が驚いて飛びのくと、腕はそろそろと引っ込んだ。その瞬間、打ち寄せた波にざぶんと覆いかぶされ、その場には白い泡しか残らない。
「く、く、空却…、い、いまの・・・」
「テメェはよお、…だから海なんか嫌だっつったんだ、誰かれ構わず呼び寄せやがって」
「…んえ?!俺のせいなん?!」
「…ふん、磁石みてえなもんだ。気にすんな。さ、戻んぞ」
「ちょちょちょちょ、え?!え?!」
空却はさっさと砂浜に戻って行く。簓は慌てて空却のあとを追った。とりあえずテトラポットのそばにいるのは嫌だったし、もはや違う意味で空却のそばを離れたくなかった。だんだんとこれまでの展開に恐怖が沸いてきて、少し涙目になる。
「待ってやぁ、待ってや空却、むり、一人にせんといて、むり」
「女子高生かテメェは…」
そこからは、浜辺の端に移動したせいでクラゲがわんさか打ち寄せたり、海の家から遠くなったせいで主に簓が使いっ走りをする羽目になったりと、踏んだり蹴ったりだった。
「ま、こういうのも含めて夏のデートってもんなんじゃねえの」
「勘弁してや!!」
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20200711
初公開日: 2020年07月12日
最終更新日: 2020年07月12日
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ワンドロライ「海」