さ 誤解されないように言っておくと、最上春雪(もがみ はるゆき)は上司である。
今日は七夕だね
いつも連絡をよこしてくるのは、大抵最上の方からだった。食事や外出の誘いだったりもするが、八割は暇をもて余してのことだった。
七月七日、夜十時。
来瞳芳香のスマートフォンに、メッセージアプリを通じて、通知が来た。
確か今日の最上は早番勤務で、普段通りなら既に帰宅しているはずだ。そこまで思い至ったところで、芳香は苦笑した。
(何で私は、部署の違う上司のシフトを把握してるんだろう……)
もともと同じ店舗で勤務していたが、去年の人事異動で、芳香は本社勤務となり、社員寮を出て実家から通っていた。 寮の隣人が最上だったのだ。
生憎と、天気には恵まれていませんけどね。
芳香がそう返せば、すぐに既読がついた。暇をもて余していたようだ。
明日、昼からだよね?
一分ほどして、最上から返信が来た。
芳香が最上のシフトを知っているように、彼も芳香のスケジュールを把握していた。異動してから、毎月お互いにシフトを送り合っているから、当然と言えば当然だが、ただの上司と部下にしては近すぎる。常々、芳香はそう感じてはいるものの、どうしたわけかそこに安らぎを感じてもいた。
後二時間ぐらいは起きてますよ。
この時間帯に雑談をすることは多い。翌日の予定を知っていて聞くのは、就寝のタイミングを図る合図だ。
電話していい?
その提案は驚きだった。
最上とは大抵メッセージアプリを通じてで、通話機能を使うのは待ち合わせの時ぐらいだ。店舗で一緒だった時は、急なシフト変更や緊急の業務連絡に限られた。それ以外で、通話をすることはなかった。
首を傾げて「?」を浮かべるうさぎのスタンプを送る。すると、またすぐに既読が付いて、返信が来た。
七夕だから?
質問を質問で返すのは、どうなのだろうか。
(七夕だからって……あぁ、織姫と彦星か)
一年に一度、七夕の夜にだけ会うことを許された織姫と彦星。中国伝承の昔話だったはずだ。
本当のところ、芳香は電話が苦手だ。仕事用の電話ならいいが、顔の見えない相手と声だけ会話することにどうしても抵抗があった。だが、最上とは約三か月ほど会っていない。最後に会ったのは、三月に花見をした時。それまで最低月に一度は会っていたから、正直なところ、声が聞きたかった。
少し躊躇して、トーク欄上の通話ボタンを押した。アプリ特有のポップな呼び出し音が鳴り、淡々とした音に切り替わるとすぐ途切れた。
「――久しぶり」
三か月ぶりに聞く声に、芳香は思わず息を呑む。
「……こんばんは、お久しぶりです」
「何か緊張してない?」
「電話は苦手なんです、実は」
芳香自身、声が強張っているのは自覚していた。それに、誤魔化してもどうせお見通しなのは目に見えている。最上はそういう男だ。
「それなのにあえて、そっちから掛けて来てくれたんだ?」
そう言う最上の声は楽しそうで、思わず舌打ちしそうになった。
「一回コメント挟むにしろ、通話するのは結局同じじゃないですか……こっちから掛けた方が手っ取り早かっただけです」
芳香は自分で言いながら、言い訳じみた言い回しだと思った。
「そう言うことにしといてあげるよ」
笑いを含んだ声で最上が言う。何だか癪に障ったので、芳香は話題を変えた。
「――で、何でいきなり電話なんですか?」
「言ったじゃん、七夕だからだよ」
「たかだか三か月会ってないだけでしょう? 織姫と彦星は年一、それも天ノ川が出た時ですよ」
「奴らは自業自得じゃん‼」
織姫と彦星を「奴ら」呼ばわりする最上に、芳香は思わず吹き出した。
「元はと言えばだよ、仕事そっちのけで遊び倒して神の逆鱗に触れたんだから、当然の成り行きじゃん? それに比べて、こっちはどっかの馬鹿が持ち込んだ新型ウィルスのせいで外出はおろか、臨時休業――」
しばらく会わない間に、最上は相当鬱憤が溜まっているようで、七夕は最早八つ当たりの的でしかない。
芳香はスピーカーモードにして、スマホを置いた。
「――休業になるのはいいんだよ? まあどっちにしたって出勤しなきゃいけないんだし? 問題はただでさえ風当たりが強い業界だって言うのに、生き急ぎ店が営業しやがって……」
「七夕関係なくなってますけど、まあ激しく同意ですね」
二人が働いているのは、娯楽施設。店舗によってはダーツやビリヤード、メダルゲームを始めとしたゲームセンターだったりもするわけだが、最上が勤務している店舗は工場地帯にあるのもあってパチンコ・スロットを主事業にしている。
三密や外出自粛、ソーシャルディスタンスなどが取りざたされている昨今、パチンコ業界への批判は多い。特に休業を要請されたにも関わらず、無視して営業を続ける店もあり、風当たりはより強まるばかりである。
本社勤務の芳香でさえ、それは痛いほど感じていた。勤続年数の長い最上でも、この有り様なのだから、相当堪えるものがあるのだろう。
「――営業再開したらしたで、マスクがないだハンドソープがないだで文句言われるし、再稼働で前よりトラブル増えるし……今週はトラブル祭りだよ」
声色は冗談でも何でもなく、本当に参っているようだった。
「心中お察しします」
「本当ね、こんな働いてるのに三か月も来瞳に会えないとかさ、酷くない?」
「急に七夕に戻りましたね……という脈略がなさすぎて、話が読めないんですけど、つまり?」
「散歩行きたい。江の島とかでもいいし、浅草とか上野でも」
最上の言うところの「散歩」は、散策に近い。二人で出かけることを最上は散歩と呼ぶ。
その申し出が、芳香にはどうしようもなく嬉しかった。出不精というほどでもないが、あまり遠出をしない芳香からしてみれば、最上との散歩は新鮮な体験だった。それがどんなに楽しみで心のよりどころにしているか。
「そんな頑張っている最上さんのために、今度会った時は奢りますよ」
「え、いいの?」
芳香の提案に、一転しておどけた口調で訊いてきた。
(私もだいぶ機嫌がいいな)
そんな提案を容易にできる自分に驚いた。
「今日は七夕ですからね」
「短冊に書く願い事にしては安すぎるけど」
「嫌ならいいんですよ?」
芳香がそう言うと、最上は慌てた様子で「お言葉に甘えます」と返して来た。
「楽しみだなぁ」
間延びした声。それは最上が上機嫌の時の特徴だ。今なら、一歩踏み出しても許される気がした。
「私も、です」
それが今の精一杯だった。