ヴィル・シェーンハイト。この名を聞いて、彼の顔が思い浮かばない人間は、きっとこのツイステッドワンダーランドには存在しない。彼ほど有名で、成功したモデルは類がない。それ程に孤高で、唯一無二の存在。生きた芸術という二つ名に相応しく、また、彼の頂くその名の通り、麗しくも鋭い毒棘を秘めた人。一瞬でも彼に見惚れてしまえば最後、もう彼から逃れることはかなわない。みな等しく、彼の虜になって夜も眠れないほど酔わされる。そんな中毒性をもった、美しい人間だった。
そう、人間だったのだ。
ツイステッドワンダーランドでも随一の国土面積を誇る輝石の国。その郊外に、ヴィルの自宅は有る。
彼の仕事の都合上、都心部からはかなり近い。にも拘らず、緑が多く軒が疎らなこの地は、随分とヴィルの理想に近しいようだった。自宅こそ、気に入ったものだけでその世界をつくる。ヴィルはそういった志向を持っていた。そして、彼の望むライフスタイルは、この地にとても適していると見える。どの家も、各々のもつ土地の大きさに反して小ぢんまりとした家ばかりだ。その分、広大な庭園を携えており、めいめいに自らの楽園を作り出すのが、この地に住む人々のもっぱらの娯楽のようであった。
かく云うヴィルも、彼の自宅の裏に広がるガーデンには、彼の好きな草花を植え、育て、時には愛で、時には実験なんかに利用したりして、楽しんでいた。
そうしてヴィルが、己の気に入ったものだけを選りすぐり生かす彼のエデンを眺めつつ、彼と同じソファで寛ぐルークもまた、彼の愛する自宅に立ち入ることの許された、数少ないひとりだった。
「また髪が伸びたね」
ヴィルの美しいプラチナブロンドに触れながら、ルークは口を開いた。まぶしく輝く彼の金糸は、細く繊細なのに絡まらず、よく手入れされていることが窺える。さらには、耳よりも少し下から溶け込むようなコバルトバイオレットが、彼の色彩をさらに華やかに映す。髪が下へと長さを増しても、常に同じ場所から始まるグラデーションには、彼の美学が詰まっているとみえる。実際、その色はまさに彼を彩るためにこの世へ宿ったのではと思わせるほどに、彼の可憐さを助長していた。
「伸ばしてるの。どう、似合うでしょう」
「ああ、もちろんだよ」
にこり、微笑んでルークはヴィルに同調した。実際、ルークはヴィルの長い髪を気に入っていた。もちろん、学生時代のヘアスタイルも彼の中性的な雰囲気に合っていて好きだったけれど。最近社交場ではもっぱらスーツを着るようになったヴィルの、絶妙な均衡をルークは理解しているつもりだった。
面積を増したバイオレットに、指を挿し入れて梳く。緩やかにカーブした柔らかな細糸が、はらはらとこぼれた。それらはぱらぱらとヴィルの腕や腰に当たり、静かにゆれる。その様が、まるで波打つ海のようであり、そよ風にさらわれる木の葉のようであり、蝋燭にたゆたう炎のようだとルークは思った。
己の手を離れてもなお外れそうにない視線から、逃れるようにヴィルの手がよぎる。
「そろそろ気が済んだでしょう。セットが乱れるわ」
「そういうことなら、手を引こう。実を言えば名残惜しいけれど」
ともすれば軽薄に聞こえるルークの言葉すら、軽く鼻で嗤い、ヴィルは隣席から立ち上がる。ちょうど毛先に高さが合い、その先端すらも美しく手入れされていることに、ひどく感心した。しかし僅か、その色合いに違和感を感じて、ルークは首を傾げる。
「ヴィル、毛先にすこし青みを足したかい」
「えっ」
ヴィルが驚いたような声を上げる。慌てた様子でこちらを向いて、その反動で彼の髪はさっと見えなくなった。唐突に景色が変わったことにもびっくりしたけれど、ヴィルの焦った様子があまりに珍しく、ルークはとっさに立ち上がる。こちらを向いたまま俯き、固まってしまったヴィルの顔を覗き込んだ。こういうとき皮肉にも、今や無くなってしまった彼との身長差が恋しくなる。しかし、少し屈めば彼の端正な面差しが、ルークの眼前に晒された。形の良い唇をひき結んだ彼の表情は……焦り、戸惑い、驚嘆、そして、瞳の奥にはどこか傷ついたような、絶望感が見て取れて、ルークは混乱した。
「ヴィル……?」
思わずその頬に手を伸ばす。まるで陶器のようになめらかで、つもったばかりの雪のように淡く白い。学生の頃から寸分とも月日を感じさせない、美しい彼の肌へ。しかしルークの手が届く前に、ヴィルがそれを遮った。
「なんでもない。それよりアタシ、仕事だから。もう行くわね」
それじゃ。と短く言い残して、ヴィルは踵を返す。はらりと舞う髪から僅か、彼の好んで使うヘアオイルの香りがした。
パタン、と軽い音がして、リビングルームの扉が閉まる。一人きりになった部屋で、ルークはもう一度ソファに腰をおろした。今のは一体何だったのだろう。長年彼の隣席を占領し続けたルークですら、見たことのない表情だった。何が、彼をああさせたのか。思考を幾度巡らせど、答えは一点に帰還する。彼の長く伸ばされた髪の毛先。その色がほんの少しだけ変化したこと。それをルークに指摘されたこと。ヴィルに対する鑑美眼については、ルーク自身かなり正確な自覚があった。そのことはヴィルにも一応お墨付きをもらっていて、ヴィルがルークを隣に置き続ける理由の一つだということも知っている。だから、ルークの指摘を不快に思ってのことではないことは明白だった。つまり、ヴィルにとってはそうなって欲しくなかったけれど、心当たりの有る事実なのだろう。ルークはそう思い至り、ソファーから立ち上がった。
彼の髪色について、それが生まれ持ってのものなのか、はたまた彼のブランディングに伴ってのものなのか、ルークは考えた機会がとんとなかった。経緯や背景はなんであれ、彼の髪が美しく、そして彼に誂えたかの如く似合っていることには変わりがないから。しかし、ヴィル・シェーンハイトとして彼が大衆の数多の目線を浴びるようになった時、すでにあのスタイルは完成されていた、ということは認識していた。ということは、
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