「気になるか」
フェルディナントの太腿の外側にある傷をヒューベルトは事あるごとに確かめるように撫でる。その様子がつい気になってフェルディナントはヒューベルトに尋ねた。熱を持つと赤く色づくその大きな傷跡は、アドラステア帝国がフォドラの統一を果たす前の戦乱、馬上にいたフェルディナントを狙った槍の攻撃が当たり大きく失血した。早く手当し、回復魔法でもかければそれほど跡にもならなかったかもしれないが、近くに回復魔法の使い手がおらず、かといって敵がいなくなるわけでもなかった。血を失いながら、戦い続けその分怪我は悪化し、傷は深く残った。
「まあ、そうですね」
言いながらヒューベルトは傷跡の中心をゆっくりとなぞる。
「刺青でもいれようか」
「……何故?」
「傷より、そちらの方に眼がいくだろう」
「罪人の証を入れようとは、貴族の発想とは思えませんな」
「勿論、そういう意味があるのも知っているが。それを利用して誇りとして信条を込める場合もある」
「随分と、交友関係が広くなったものですな、宰相閣下殿。そのような知識を貴殿に伝える輩に私もぜひお会いしたいですが」
皇帝陛下の懐刀たる宮内卿にはお気に召さない回答であったらしい。宰相が罪人に会った事実はあらぬ疑いを呼ぶこともあるだろう、注意をしておいて悪いことではない。フェルディナントはヒューベルトの思いをくみ取り、少し笑った。
「何の図柄を入れるのですか」
フェルディナントは思いもよらぬことを言われたような顔をした。ヒューベルトがその話題にのるとはおもっていなかったからだ。
「そうだな、例えば薔薇とか」
「薔薇はやめてください」
思い浮かぶのは、フェルディナントと仲が良い、常に胸に薔薇を差している、あの貴族だ。褥で晒されることが多い、良質な筋肉に覆われた長い素足に薔薇が浮かぶのは確かに美しいが、その美しさに別の男が浮かぶのであれば話は別である。己の足に描かれる図柄にヒューベルトが却下する理不尽さには気づかず語気に押される形でフェルディナントは次の提案をする。
「では、やはり双頭の鷲か」
当たり前のようにフェルディナントは言った。アドラステア帝国の象徴となっている黒鷲。陽にさらされることがない逞しい太腿に黒い鷲が飛ぶ。帝国の臣たる宰相が刻むものとしては悪くない画だ。
「君ならなんだろうな、フレスベルグの紋章? いやエーデルガルトの肖像、」
「ないな」「ないですな」
思い浮かべた想像に、二人は同時に首を振った。忠臣たるヒューベルトがよくても主の皇帝が決して許しはしないだろう。皇帝への思いが人一倍強い二人でもそれくらいのことは分かった。
「私は身体に示さずとも、エーデルガルト様に命を捧げておりますので必要ありません」
「仮にも恋人との褥で言うことではないのではないか?」
そういいながらフェルディナントは嬉しそうに笑うので、ヒューベルトはこの言動を恋人の前で控えようという気がまるで起こらなかった。フェルディナントとヒューベルトは第一義が異なっている。それでも、傍にいることを選んでいる。
「示す必要がないのは、貴殿も同じだと思っていましたが?」
ヒューベルトの探るような視線にフェルディナントは笑みの意味を変えた。
「傷跡も、罪のようだと思ったのだ」
「この傷をつけた者は死んだ。私が殺した」
フェルディナントが今生きているということは、そういうことだ。近くにいて、手傷を負わせるような手練れをフェルディナントが逃すはずもない。
「帝国の礎になったのだと残してもいいかと思ったのだ」
フェルディナントは傷跡に手を置くヒューベルトの手をつかみ、指先をなぞらせる。傷跡を食らうように描かれる、黒い鷲の帝国の証。
確かに、傷跡の近くに彫られる黒く染み込むように消えない証は帝国の為に死ぬのだと決めているフェルディナントによく似合うだろう。
しかし、ヒューベルトはそれに抗った。
フェルディナントの指を絡めとると、傷跡に大きく噛みついた。
「知らぬものの墓標を刻むよりも、私のつけた跡を残してくれませんか」
どこぞの誰とも知らぬものがフェルディナントに命をかけて消えない跡を残す。それに納得がいかないのに、慈悲深い宰相殿は思い付きで更に黒い傷を刻もうとする。不意の痛みで涙目になっているフェルディナントをねめつけ、ヒューベルトは言い放った。
「墓標はこの国の繁栄でよいでしょう」