爺ちゃんの部屋の掃除をして、今日のノルマを終え、朝食は摂らず病院へ向かう。雨は降っているが、それほど冷たく感じない季節になった。
 爺ちゃんは私のたった一人の家族だ。子供の頃に両親を亡くして以来、爺ちゃんに孫としても葬魔隊員としても育てられ、二人で暮らしてきた。
(「燐、」)
 痩せ細った枯れ枝のような手を撫でる。この手が力強かった頃を覚えている。その手で私は何度も助けられた。あの日だってそうだった。
 一人前と認められて初めての任務。残るは妖魔の子供だけと、私は油断していた。子供まで斬る必要はあるだろうかと、甘い考えさえ持っていた。
 どさりと崩れ落ちる爺ちゃん。倒した妖魔はただの妖怪で、ただの囮だったのだと気付いたのは、消えつつある赤子のようなソレを見た時だった。
【妖魔の姿に惑わされてはならない、慈悲を与えてはならない】
 ずっと、任務の傍ら、爺ちゃんを元に戻す方法を探していた。フリーライターなんてものを名乗っているのもその為だ。……結局そんな必要は無かったんだけど。ずっと探していた方法を、こんな形で知るなんて思いもしなかった。
 奇妙な駅から何とか戻って以降、私は「常」と言ったあの妖魔について、葬魔隊や唯告寺の文献で調べていた。幾ら探しても「常」という妖魔についての資料は無かった。が、
『妖魔を増やす妖魔』
 その単語を見つけたのだった。
「触れてはならない、そこにいてそこにいない、赤児のような化け物……」
 皆一様にその妖魔を斬ること叶わず、ある者はその場で塵と化し、またある者は眠り、やがて死に至り。ある者は、限界まで餌を喰い漁ったその妖魔がばら撒いた種によって、妖魔に寄生されたとか。……役には立つまい。
 こいつを倒す方法は、と見ると、遭遇後眠りから目を覚さない者を——。あの妖魔の言った通りのことしか書かれていなかった。先達も、奴の言葉に従ったに過ぎないのだろう。仲間を、友を、家族を、その手にかけて、その他大勢を守ろうとしたのだろう。
 二、三世紀ごとぐらいだろうか。その痛みを嘲笑うかのように、奴は何度も現れた。
 しっかりと握り締めた手には、使い慣れてしまった鉄扇。
「ねぇ、爺ちゃん。アタシね、爺ちゃんが目覚めたらやりたいこと沢山あるんだ」
 ベッドの傍に立ち。
「でも任務が忙しいから中々叶えられないだろうね。まぁゆっくりで良いか」
 震える手を愛しの祖父の頭上に掲げ。
「ねぇ爺ちゃん、」
 それを躊躇わず振り下ろす。
「ねぇ、爺ちゃん……っ!」
 ……ことは、出来なかった。
▽▽▽
 私の相棒は五つ年下の男の子で、いつも狐のお面を被っていて。
「燐さん」
 その下は少々ワイルドな顔をしている。少し前に、その顔を偶然見てしまった。正直、少し驚いたけど、妖魔を見た時の不快感を覚えることはなかった。それよりも、いつもお面越しに見ていた顔をようやく知ることが出来て、喜びにも似た心持ちだった。
 問題はそれじゃない。その後に話してくれた過去。顔の真相。家族の眼。本来なら子供が背負うべきではない苦しみ。
「もしも私が死んだら、私の顔を潰してください」
 私は渋々頷いたものの、いざその時になれば自分が怖気付く気がしていた。
 ほんと、酷い奴だ。
 四十万暁常。私は彼を「きつね」と呼んでいる。普段は真面目でしっかりしてるのに、任務の時は危なっかしくて時々無茶をするから目が離せない。でもね、すごく良い子なんだ。すごく、大事な相棒なんだ。
 その大事な相棒に、私は碌でもないことを頼もうとしている。
「きつね、取引しよう。アンタの憎いもの、大切なものを私が代わりに潰してあげる。代わりに、私の大事な人を殺してほしい」
 これは大を救うための行いで、正義であると、声が震えないように、お面の向こうの目を見て言う。
 少し間を開けて、きつねは口を開いた。
「それで、覚悟が決まるのであれば」
 お面は外されていた。
「よろしくお願いしますね、燐さん」
 雨足がまた強くなってきた。
 私はきっと、この優しい相棒を少なからず恨んでしまうだろう。自分で頼んでおきながら、勝手な話だ。
 病院には既に話を通してあった。葬魔隊と縁のある病院だから、妖魔の影響を鑑みて長らく使わせてもらっていたこの病室も、今日明日中に片付けることになっている。
 十二年だ。ここへ通って十二年。
 その終わりが、今日。
 きつねが、使い慣れた葬具を構えている。妖魔ではなく、私の家族に向けられている。
「いきますね」
 私にかけられた言葉か、祖父にかけられた言葉か。ふ、ときつねの息を吸う音がして、刀が心の臓を貫く瞬間。
 り、ん
「待っ……!」
 雨音にも掻き消されそうな渇いた声が、固まった唇を割って漏れ出した、気がした。
「爺ちゃん……?」
 胸を赤く染める身体はもう冷たかった。身体から力が抜けて、茫然自失というのはこういうことかと、身をもって理解した。
 きつねを見る。相棒は葬具の血を拭き、ただ気遣わしげに見るばかりで、先の声は聞こえていない様子。
 やはり幻聴だったのだろうか、と考えていると、背後にある窓の辺りに一瞬、あの妖魔の気配を感じた。振り返った時にはそれは消えていた。
 余計なことをしてくれる。
 外の雨は一層強くなっていた。
 常という妖魔が倒せたのかは分からない。しかしこれより後、私が死ぬまでの間、新たに奴が絡んだらしい案件に出会うことはなかった。
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向き
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そーれつ 纏
初公開日: 2020年06月17日
最終更新日: 2020年06月22日
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