梅雨になるまでまだまだ時間があるというのに、じっとりとした暑さがまとわりついて離れない。蝉がまだ鳴いていないのが救いだろう。音での刺激がない分、受けるストレスはまだ少ない、と思うしかない。ポジティブに考えなくちゃやってられなかった。
どうして私がこんな暑い中外で、しかも日向で、立ち尽くしていなくちゃいけいんだろう。駅前の噴水。そこから一歩も動かずに待ってる私は忠犬ハチ公かなにかなんだろうか。駅の中に避難でもして冷たいジュースでも飲みながら待っていようかとも思ったけれどそれで相手が私をなじるのは許せない。ずっと待ってたことを証明するにはここで立っているほかないだろう。
待ち合わせ時間はとっくに過ぎていて、おなかの虫も居所が悪そうにぐうぐう鳴いていた。午後二時。待ち合わせ時間から三十分も過ぎていた。のにもかかわらず相手からの返事は『もうすぐ着く』から四十分以上連絡はない。帰ってしまおうかしら。そうも思ったけれど、さすがにかわいそうだからと良心が疼く。とびきり高いランチをおごって貰おう。うん、そうしよう。
「やあ、お待たせ」
「瀬川くん」
涼しげな目元。汗一つかいていないこの美少年こそが私を待たせた張本人だった。
「ずいぶんと汗だくだね。屋内で待っていれば良かったのに」
「嫌です。そしたら瀬川くんが先に来たと言い張るでしょうに」
「そんなことしないよ。変わってるね、君は」
瀬川くんは私の一つ上の先輩だ。先輩呼びしないのは瀬川くん直々のお願いだった。奇妙なお願いだけれど、それを断る理由もなかったから了承したまでだった。学校では滅多に合わないから瀬川くんと呼ぶこともそうそうないのだけれど。
「さて、いこうか」
「待ってください。待たせたことに対しての謝罪を貰っていません」
「あは、どうして僕が謝らないといけないの?」
「私を待たせたからです」
「いいじゃん。好きで待ってたんだろう?」
瀬川くんは私の顔をのぞき込むといたずらっ子のような顔で笑った。チラリと見える八重歯に引きつけられる。瀬川クンはとても魅力的だった。理不尽なものの言い方も、どうとも思わないくらいには不思議な魔力がある。
「僕だってここに来るまでにいろいろなことがあったんだからね。少し疲れたよ」
「そうですか」
どうせ、ナンパされただとか、人に道を聞かれただとかそんなところだろう。瀬川くんは誰しもが認める美形だ。少しでも彼の気を引こうと女子達は躍起になっていることくらい私も知っていた。受け流して並んで歩き出す。少し歩くと雑居ビルの建ち並ぶ通りに出た。車道はたくさんの車で賑わっていて、歩道も同じくらい人であふれていた。
「僕は電車でも良いかなって思ったんだけど」
「それは却下したはずですよ」
「だよね。知ってた」
ちょっとした世間話をしていると目的の建物が目に入った。もう使われていない廃墟ビル。賑やかな町並みの中でひとつぽつんと建っているそれは違和感と、調和の二つを併せ持っているような気がしていた。
裏口の鍵を壊して二人で侵入する。
「スリルあるね」
「そうですね」
ぶっきらぼうに言い放ったことに少しだけ後悔した。もっと柔らかな物腰の方が良かったのかもしれない。最後なんだから。
階段を使って屋上まで上る。床は少し朽ちていてギシギシと音がなった。取り壊しは来週頃だったと思う。その前に来たかった。
屋上は学校と大差なくてどうしてだか安心している自分がいた。
「見てみなよ」
フェンスから乗り出して瀬川君がはしゃぐ。危ないですよと声をかけると変わってるねと返された。確かに今のは変わっているのかもしれない。ふ、と笑いがこみ上げた。
「こっちから見たら人でいっぱいだけど」
そう言い残して反対側へ走っていく。私も瀬川くんが見ていた景色を見ようと乗り出すと確かにたくさんの人あふれていた。光り輝く社会。そんな言葉が浮かんできた。
「こっちは暗くて、誰もいないんだ」
瀬川くんの隣で身を乗り出すと確かに日陰にはまったく人がいなかった。
「私たちみたいですね」
「私たち?」
「ほら、日陰者って言うじゃないですか」
「変だな、僕に光を当ててくれたのは君なんだよ?」
「」
言葉に詰まった。瀬川くんは純真な瞳で見つめてくる。私は思わず飛び出た涙をしまって、冷静な表情を保つように務めた。
「そりゃ、よかったですね」
「好きだよ。本当に」
「瀬川くんこそ変わってますよ。男の私を好きだなんて」
今更になって心ない言葉を思い出す。男女。オカマ野郎。
瀬川くんは始めて私と出会ったときに、美しいといってくれた。それは、瀬川くんのことなのに。
「僕は、愛したい人を愛すんだよ」
暑い。これは気温のせいじゃない。体温が上昇しているせいだった。心臓が早鐘みたいに打たれ、呼吸も浅くなる。
「好きです、瀬川くん」
「うん、僕もだよ」
そこからは一瞬だ。
私と瀬川くんは互いを固く抱きしめ合いながら飛び降りた。暗い、日陰に向かって。