春の、うっとりするような光が差し込む朝のことです。その光さえも通さぬ掘っ立て小屋の中で男は身を起こしました。男、というよりか吾子と言った方がいいのやもしれません。男は西洋からの皿のように白く細やかな肌に乗るべっ甲飴のような目をぱちぱちとさせて、そして息を吐き出しました。
男は名を『竜胆』と呼ばれていました。竜胆は今まで外というものを知らずに育ってきた、無垢を絵にかいたような吾子です。竜胆は目に入れたものを恋に落としてしまうかと思われるほど美しく、また真っ白でありました。その穢れ無き心が育ったのが穢多と呼ばれる者どもがいる場所でなければ、大衆は竜胆を見に屋敷に訪れてはため息をついてしまうところであったでしょう。竜胆が『竜胆』であるからこその定めはさながら基督が神の子であるために民に殺されたようで御座います。マァ、今日日基督のキの字も知らないものがいるでしょうし無駄な言葉は省きませう。もちろん竜胆もその一人で御座います。竜胆は体に痘痕を浮かばせた村の者から文字を作法を教わりどうにか生きて参りました。とはいえどうしても金を手に入れなくてはならないときは村の者がかき集めた金で買った着物でめかしこんでわらべ歌を町で歌うのです。これは年に一度あるかないかの彼の商売です。それもお天道様が真上に来てから沈むまでの、ろうそくより長いか程度の時間で御座います。それでも紅を塗って時折ため息をふぅ、と吐いてしまえば皆楊貴妃を見たかのように一円札を帯の隙間にねじこんでいくのです。竜胆はそれを不思議に思いながら歌っていました。
それどころか、竜胆はいつも数多の疑念を抱えております。例えば村の人に浮いている痘痕のことや町で見かける令嬢に浮かぶシミなど、数えてしまえばキリはないです。その数多の疑念はどれも竜胆にはない醜悪たる見目から来るものでした。村の者の痘痕で慣れているせいか、それを気味悪がることはありませんでしたが、それでも日焼けや水膨ればかりの誰かの腕を薄気味悪いなど思うことは御座います。凝り固まってしまった指など見た暁には怖くてその後は布団の中で震えて眠るほどです。可笑しい話で御座いましょう。森を守る獣や三和土の隅のほうに張り付いている顔を見ても眉一つ動かさぬ吾子が紡績で疲れた女の顔を見てしまったら村の者に泣きつくのですから。
さて、竜胆の朝餉は木の実と粥といった寺の坊主と変わらぬようなな