カッコン、と庭で鹿威しがお決まりの音を立てた。
あまりにも長閑だが、そこで正座をさせられている身としては暢気になどしていられない。目の前には正座などとは無縁そうな女性が二人、僕を睨み付けているのだから。
「では、自己紹介から……」
仲介役の父の友人が場の凍てつくような空気をものともせず話を進め始める。こういう場に慣れているのか、はたまた空気を読まないだけなのかは分からないが、老獪そうな男性はあろうことか僕に水を向けてきた。
「枢木の坊ちゃまからいきましょうか」
坊ちゃまと呼ぶな、と言ってやりたかったが、その発言が僕に許されるはずもない。
「枢木スザク、十八歳です。本日はお忙しい中、日本までお越し頂きありがとうございました」
にこりと笑みを作ってから頭を下げれば、相手が互いに目配せし合っている気配を感じた。片方は紫がかった桃色の髪をした女性で、ずいぶんと気が強そうなタイプに見える。目力がすごい。睨まれているだけで首を竦めたくなるくらいの圧を感じる人だ。
「私はコーネリア・リ・ブリタニア。そしてこちらが我が妹、ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアだ。年はまだ十七だが、今年の冬には十八になる。来春には結婚をというのが父上の望みだが……」
「お姉様、枢木さんが萎縮していらっしゃいますわ。まだ本決まりでもありませんのに」
妹姫、と呼ぶのが相応しいのだろうか。柔らかな菫色の瞳を緩ませ、僕の見合相手――実際は婚約者と言った方がいいだろう――が細い首を傾げた。
「すみません、枢木さん。わたくしがルルーシュ・ヴィ・ブリタニアです。どうかルルーシュとお呼びください」
「はぁ、では僕のことはスザクと」
「ええ、ありがとうございます」
にこ、と微笑む顔は天使もかくやと言わんばかりの美しさだ。どこかぽわぽわとした印象があるけれど、ブリタニア皇族らしい気品に溢れている。僕のタイプかと言われると、どちらかと言えばノーだ。お人形として鑑賞していたい系の子だな、と内心がっかりと肩を落とした。
「ところでスザク、わたくし、スザクにお聞きしたいことがあるんです」
ぽんと両手を合わせて「今思いつきました」みたいな顔をした彼女は、隣に座るコーネリアさんと視線を交わしてくすりと笑う。
そう、さっきまでは笑顔もなく僕を睨んでいた二人だ。この笑顔はどこかがおかしい。完璧すぎて、逆に背筋が冷たくなる。冷や汗まで掻いてしまいそうな悪寒を払拭すべく、まだ温かなお茶を口に含み、平常心平常心と自分に言い聞かせた。
「勝手ながらスザクのことを色々と調べさせてもらいましたの。三年前、十五歳の四月三日。当時交際していた女性の家に泊まり、童貞をお捨てになられたのですよね?」
「ぶはっ!!!」
思わず吹き出したお茶は、ルルーシュの顔を汚す前にコーネリアさんが置物のようにテーブルの上にあった灰皿で遮ってくれたため事なきを得た。が、しかし、この美しいかんばせから童貞という単語が飛び出したことに驚愕しすぎて、僕は謝罪どころか目を白黒させながら口を開閉させるだけで精一杯だ。
「その二ヶ月後、六月十七日。性格の不一致でお別れになって、翌週の二十一日に新しい彼女をお作りになられてますわね?」
「えっ、えっと! その、確かにその当時は何人かの女性とお付き合いしてたけど、決して不実なことはしてないよ! ちゃんと、別れてから次の方と付き合ってたし……」
「二十三日にはスザクの部屋で性行為をし、それから三日に一度のペースで行っていらっしゃったとか。一ヶ月後にはまた破局、その数日後には新しい女性とのお付き合いが……」
「だから、それは!」
一体どんな興信所を使えばここまで綿密に調べ上げることが出来るのだろう。冷や汗どころか手のひらも背中も脇も汗びっしょりになりながら、僕はかたちのいい唇から溢れ出す僕の奔放な性経験談を止める術を探した。しかし彼女の舌は止まることを知らず、この調子でどんどんと話は進んでいく。結局彼女の「枢木スザク十八歳までの女性遍歴」は約三十分間続き、そして僕は全身の水分を汗で流してしまって立ち枯れている状態だった。
「これではルルーシュを任せることなど出来ぬな。それでもまだルルーシュと結婚したいと言うのであれば、お前のふしだらな股についたものを私が切り落としてからにしてもらおうか!」
「おっ、お断りします! 僕から父に言ってこの見合いはなかったことにしてもらいますから、どうかブリタニアへお帰りください!」
畳に手をついて深々と頭を下げる。最早恥も外聞もない。この場を穏便におさめてさっさと帰国してもらうことだけが僕の願いだった。僕の意に沿わない見合い話、ブリタニアとの親交を深めるための政略結婚、そんなもののためにどうして僕がこんなことまでしなければならないのか理解出来ない。
確かに僕はこの年にしては片手以上の相手とセックスをしてきたけれど、そのときは僕なりに大事にしていたし、浮気だってしていなかった。枢木の名前に惹かれて寄ってきた子たちは、案外庶民派である僕との交際がつまらないといって去って行くことも多々あったし、本当に好かれている気がしないとほっぺたを引っ叩いていった子もいた。
僕を見る目には絶対に「枢木」というフィルターが掛かっている。それだけで女の子はたくさん寄ってきたし、たくさん離れていった。僕から好きになって付き合った子は一人もいなかったから、一度も引き留めたことはない。来る者拒まず、去る者追わず。そう友人たちに揶揄されるくらいには、僕はコーネリアさんの言うとおり、倫理観の薄い、股がふしだらな男なんだろう。
どうせ彼女たちが欲しいのは僕の名前であり、後ろにある父の威光であったり、将来的には僕の遺伝子なのだ。この生まれや育ちのせいで、これから先、僕が心の底から好きになれる子なんていない。枢木ではなくスザクを見てくれる子が現れない限り、僕はずっとこのままだ。
下げていた頭を上げて、じっとルルーシュとコーネリアさんを見る。この人たちだって、僕が枢木の嫡男だから、いずれ後を継ぐ男だから、政治的な方針のひとつとして僕とルルーシュを結婚させようとしているのだ。姉としては面白くなくても、本人が望んでいなくても、僕が断ればまた違う誰かが僕と結婚するべく日本に向かわされる。そういう風に、僕らの世界は創られてしまっているのだから。
「……今日は貴重なお時間を頂いたにも拘わらず、このような結果になってしまって申し訳ありません。コーネリアさん、父には素晴らしいお話を頂いたのに僕が至らなかったと説明しておきます。ルルーシュ、君みたいな美しい人が僕みたいな男と結婚しちゃだめだ。もっといい人と縁があるよう、祈ってるよ。……決して貴女方に迷惑の掛からないように話しますので、ご心配なさらないでください。おじさん、ハイヤーを手配して。僕は先に失礼します」
すいと立ち上がってもう一度頭を下げる。見れば、ルルーシュは長い髪を片手で軽く押さえて微笑んでいて、コーネリアさんはまだ値踏みするように僕を見上げていた。
「だから言ったでしょう、お姉様」
「……私は認めんからな」
「もう、強情なんですから」
くすくすと桜色の唇に同じく桜貝のような爪先を当て、ルルーシュは菫色の目を細めた。桃色の柔らかそうな髪がさらりと肩を滑る。女の子らしい、とても可愛い仕草だった。
「ルルーシュ、そろそろ出てきたらいかかです? スザクが帰ってしまいますわよ」
そして菫色の瞳が映したのは、庭に繋がる障子だった。ルルーシュの言葉からたっぷり五秒経ってから、それがするりと音もなく横に滑る。そこにいたのは薄桃色でも紫がかった赤でもない、周囲の景色からくっきりと浮かび上がる漆黒――そして夜へと移り変わる空を切り取ったような宝石にも似た紫の双眸を持つ、男性だった。
「スザク、ごめんなさい。私はユーフェミア・リ・ブリタニアと言います。ルルーシュの異母妹なんですの」
「え……え?」
「ルルーシュが見合いをすると聞いて、心配したコーネリアお姉様がスザクのことを試してやるって……ふふ、それでルルーシュはここでこっそりと盗み聞きをしていたんですのよ」
「え、と、……ルルーシュは、君じゃないの?」
「はい。もし貴方が何が何でもブリタニアと繋がろうとする、権力や地位を求めるような方であれば、このお話はわたくしとお姉様でなかったことにするつもりだったんです」
ユーフェミア、姫、が、美しい顔で恐ろしいことを口にする。道理で事細かに調べるはずだ。僕と彼、ルルーシュとの結婚をぶっ壊すために、僕のあら探しを徹底的に行ったのだろう。
「ルルーシュ、スザクなら大丈夫ですわ。少しその、あれですけれど……」
「下半身がだらしないのだけは改めてもらうぞ、枢木」
「あっ、えっ、はい!」
コーネリアさんの迫力に押され、つい「はい」と言ってしまったものの、本物のルルーシュはどこからどう見ても男で、同性婚は確かにブリタニアでも日本でも認められているとは言え、僕の守備範囲外だった。
けれどそんなことを吹き飛ばすくらい、ルルーシュは僕の好みにぴったりの容姿をしている。ふわふわとしたお姫様でも、色気を纏う成熟した女性でもない。それでも、彼の持つ凜とした空気が彼自身の高潔さの表れのようで危うい魅力に頭がくらりとする。
「では、後はお二人でどうぞ。ハイヤー、まだかしらね」
そう言ってコーネリアさんとユーフェミアさん、おじさんは退室してしまった。残されたのは僕と、未だに庭の前の廊下で座り込んでいる、ルルーシュ・ヴィ・ブリタニア。
「あのさ、部屋、入っておいでよ。お茶淹れ直すから」
声を掛ければ、ルルーシュはのそりと立ち上がってさっきまでコーネリアさんが座っていた場所にちょこんと腰を下ろした。居たたまれないと顔にばっちり書いてある。そりゃそうだろう。会話を盗み聞きしていた挙げ句、出てきた本物は男。異母妹には焚き付けられ、複雑ながらも見合いは続行されることとなってしまった。
とはいえ、さっきよりは間違いなくリラックス出来ている。敵意を向けられることもなければ、ルルーシュの纏う空気がなぜだか心地いい。桃色の華やかな彼女たちに比べ、黒と紫という寒色系の色合いがそう感じさせるのだろうか。
「はい」
目の前にお茶を置けば、ルルーシュがようやくちゃんと僕の顔を見てくれる。ユーフェミアさんとはまるで違う、もっと硬質な色だ。けれどそれが吸い込まれそうになるくらいに綺麗で、価値のあるものに見える。目だけじゃない。すっと通った鼻筋も、意志の強そうなキリリと上がった眉も、薄くてかたちのいい唇も、どれもが高級な美術品みたいだ。
「あ、……すまない。ありがとう」
初めて聞いた声は想像より低くて、けれどどこか甘い響きを持って僕の耳に入ってくる。
「改めて自己紹介していいかな。僕は枢木スザク、十八歳。えーっと……さっきユーフェミアさんに色々と女性遍歴を暴露されたんだけど、これからは君一筋になる予定。君は?」
「俺はルルーシュ・ヴィ・ブリタニア。今年で十八歳になる。お前と違って女性経験は……皆無、だが……」
「童貞?」
「はっ、はしたないことを言うな! そういうのは相互理解が深まった上でするものだろう? それに俺は皇子という立場上、軽々しいことは出来ない。上手く遊んでいる皇族もいるにはいるが……俺はそういうのは好きじゃないんだ」
お茶を飲んで口を湿らせ、ルルーシュが訥々と語る。黙っていても女性が寄ってきそうな容姿をしておいて、根が真面目なのだろう、そういうところに好感を覚える。
「ルルーシュが嫌なら、結婚まで何もしないよ。約束する」
「下半身がだらしないくせにか」
「鍵掛けて仕舞っておこうかな。鍵は君に預けておけば心配要らないだろ?」
「自分の手綱は自分で持て。俺に押し付けるな」
会話のテンポがちょうどいい。中身だって打てば響く。こんなに「合う」と思った人は初めてだ。きっと彼には僕が枢木であることも男であることも関係ないのだろう。気の置けない会話にほっと肩の力が抜ける。それと同時にじんわりと「好きだなあ」という思いが混じり始めた。
「あはは、何だろうねこの自己紹介。変なの」
「そう、だな。確かに、こんな見合いなど聞いたことがない」
顔を見合わせてふっと笑う。目許が緩むとルルーシュの印象が少し柔らかくなって、その笑顔を向けてもらえたことに心がじんわりと温かくなった。
「……僕はこの話を受けようと思うんだけど、ルルーシュは……?」
守備範囲外だったはずが、瞬く間にストライクゾーンに入ってしまっている。いわば一目惚れに近い。そのくらいルルーシュは僕の好きなタイプにぴったりだった。
見た目はお人形みたいだけれど、きっとルルーシュには芯がある。そういう強い目をしている。ただ綺麗なだけじゃない。一癖も二癖もありそうで、けれど優しい心根の持ち主だと、僕の勘が告げていた。
僕の人を見る目は本物だ。だからきっと、僕とルルーシュは上手くいく。今まで付き合った子たちには感じなかったものをルルーシュから感じている。これだけ期待したのは初めてだった。
「お前が俺でいいのなら。……よろしく頼むよ、スザク」
ルルーシュが差し出した手を取った僕は、白く滑らかな甲に誓いの口づけを落とした。綺麗な綺麗な僕の婚約者。政略結婚をこんなにありがたいと思った日はない。
来春、結婚式を迎えるまで封印されていた僕の下半身がどうなったかは、初夜のルルーシュだけが知る秘密となるのだった。