嫌な夢を見た。決して成就しないと分かっている片思いの相手が、目の前で魔性のものになり、白骨化して、暗い眼窩から涙を溢し、灰になって崩れていく夢だった。
 考えなくても原因は明らかだ。今日まで二ヶ月続いた白骨城での討伐、特にその最後の一戦の影響で見た夢だった。延々と自己回復しつづけるがしゃどくろに、今は持ちこたえられているが、いずれは技力の尽きたものから嬲り殺しにされるのではないかと嫌な想像をした。帰還して、たっぷりの湯を張った風呂をもらっても、まだ体の芯の部分が冷えているような気がした。自分の体もあれと似た形の骨が支えているのだと思うと、この暑い夏の最中に、薄ら寒い気持ちが未だにする。
 顔でも洗おう。寝床を立って廊下に出る。夏の深い夜が家の中にも染み込んでいる。前髪がべったりと額に貼りついている。寒いのは冷や汗のせいだ、理屈が分かれば少し安心できた。幽霊の正体見たり……ということもある。
 厨へむかう途中、ぼんやりと明るくなっている部屋があった。嫌いな男の部屋だ。
「いいお友達でいましょう。この通り、余所見ができる質じゃないので」
 元々いけ好かない奴だとは思っていたが、あいつが交神の儀でいけしゃあしゃあと言い放ったこの台詞を聞き、はっきりと、ああ俺はこいつのことが嫌いだ、そう思った。
 もちろん、交神に協力してくれる神々の思惑は様々だ。脇下にかけられた呪いを哀れんでくれる神ばかりではない。単に奉納点を求めていたり、天界での立場に利を生むと判断したり、そういう事情で一時的に力を貸すだけだという神もいらっしゃる。しかし、春野鈴女様はそういう無慈悲な神とは違った。短命と種絶の呪いの悲しさを気遣って交神を快諾してくださったし、京に住まう人々と生きる時間が違う脇下家の呪われた日々を慰めるため「お友達から始めましょう」と明るく提案してくれさえした。それを、あの男は。
 顔を洗ったついでに口を湿し、自室に戻ろうとした、その途中。まだあの男の部屋の明かりは点いていた。
「いつまで起きてるんだ」
 障子の外から声をかける。棘のある口調を選んだつもりが、口から出た声は存外に細かった。呆れの方が強く出てしまったせいで。
「嘗若か。もう寝るよ」
 苦笑しながら言うわりに、こいつは灯りを消そうとはしなかった。姿勢を変える気配すらない。痺れを切らして障子を開け放つ。行灯の傍で正座をしていた男が細い目を一瞬見開いて、その後すぐに眉尻と目尻を下げた。困ったように笑うその表情が忌々しい。困らされているのはこっちだ、と苛々する。
「油だってタダじゃないんだぞ」
「すまない」
「イツ花先生に言え。やりくりしてくれてるんだから」
 それもそうだ。そう返した男がようやく作業の手を止める。男は弓を磨いていた。初陣の弓より小さい訓練用の弓。俺たちが白骨城にいた二ヶ月間、この男は自分の娘に訓練をつけていたから、そのときのものだと容易に知れた。何故そんなものを? 俺がそう思ったのと同時に、男は膝を崩して灯明の火を消した。
 男の姿は闇に溶けた。七月末日、今夜の糸のような月が何も照らさないせいで。
 何かが違う、そう直感する。違和感を分厚く纏った男が、そっと口を開いた。
「ぺろみの成長が嬉しくて、つい、色々なことを思い出していた」
 だんだん目が慣れてくる。消え入るように吐露した男の顔は、相変わらず平坦だった。家族以外には変化を感じ取れないほどささやかな微笑。
「二ヶ月、だな」
 俺にとっては鬼を斬り、血に塗れ、骨にうずもれた二ヶ月だった。その思いが口を開かせた。
 この親子らしからぬ親子にとっての二ヶ月は、この男がそうするように優しい微笑で締めくくられるようなものだったのか? 本当にそうだったのだとしたら、心置きなく憎めたのに。
 こっちの苛立ちを露知らず、とぼけた男が返した声は夜霧のように低く流れる。
「脇下家の二ヶ月は短い。短いけれど、ぺろみはよく学んで、育ってくれた。きっと俺がいなくても、よく家を助けるいい子になる」
「……お前はいつもそればかりだ」
「それ?」
「二言目には家。家族。役目。いつもそうだろう? お前自身の望みはどこにあるんだ、言ってみろ! 澄ました顔しやがって!」
 荒げた声は熱帯夜に一瞬斬り込んで、すぐに霧散した。
 虚しい。どうせこの男の表情を曇らせることはできない、こんな言葉では。
 予想通り、いつも家族に向ける顔を微塵も崩さずに、穏やかに返答は紡がれた。
「今言っても、聞いたお前を困らせるだけだから……言うときは家族全員に言うよ」
 何事も分け合うのが家族だろう。
 忌々しい男はこの期に及んでそんなことを宣う。それは言わないのと何が違うんだ。溜め込んでいるだけだ。溜め込んで蓋をして、それは分け合わないことと何が違う?
「……お前は家族の顔より、まず鏡を見ろ」
 自分の醜い部分を注視したことがないであろう男に、俺はそう吐き捨てて、障子を閉めた。今度こそ自室に戻り、布団に潜る。
 分け合わないことのかなしさなんて、多分この家の中では俺が一番よく知っている。分け合えないことのかなしさも。つまり、俺があの男を責める言葉は、そのまま自分に返ってくるのだった。憎たらしい。
 八月朔日。暑いが穏やかな朝だった。久し振りに家で食事を摂れる。
「さて今月は、何をいたしましょう?」
 イツ花先生がそう尋ねながら、飯椀をはぜる様に差し出し、そのまま動きを止めた。しゃもじを持ったまま、視線をはぜる様の方から部屋の入口へ滑らせる。見れば、はぜる様も、そろりと開けられた部屋の障子を、その先に立つ男を呆然と見ていた。
「なめ次兄さん……」
 気づかわしそうに呼んだのは黄流だった。呼ばれた方は、気まずそうに顔を一度そむけ、大丈夫だ、そう呟いて、中途半端に笑った。昨夜、見て見ぬふりをしたものが、朝の陽光にさらされている。
 死期の近い家族を目の当たりにした動揺が、居間に流れた。それはいつか誰しもに訪れるものであると各々が各々に言い聞かせるような沈黙。唯一ぺろみだけがその動揺の原因を解さずに、しかし緊張感だけをしっかり汲み取って、家族みんなを等分に見回しながら背を固くしている。健気な娘の横に、その父親は着座した。薄い唇を湿し、集まる視線に何事か答えようとしたのだろうが、しかし何も言わない。言えないようだった。
 碧流が平素の二割増しに明るい声を出した。らしくないと言っても良い。
「まず、ご飯をいただこう。冷めてしまっては勿体無いし」
「そうね。イツ花先生ありがとう」
 はぜる様がはじかれたように口を開き、家で食事をとるときにはいつもそうしているように礼を言って椀を受け取った。かつてないほど静かな朝食だった。
 皆が食べ終わるころを見計らって、脇下家四代目当主は「今月は選考試合に出ることにする」と宣言する。
「隊長を任ずる。脇下なめ次」
「拝命いたします」
「隊員を選出してちょうだい、兄さん」
 今月の隊長は隣の娘を見て、初陣頑張ろうな、と言った。まだ姿勢を硬くしたまま、ぎこちなく頷くぺろみに「返事は?」と促す声は、父親のそれだった。甘い男だ。
「嘗若丸、よろしく頼む」
「わかった」
 しっかり食事をとっても顔色の良くない隊長へ応と返す。男は、次に黄流を指名する前に、何故か俺に向かって申し訳なさそうな顔をした。
 選考試合が始まった。
 こいつの能面のような表情を変えられるのは、最期まで家族に関することだけだ。しかも、その“家族”に、本人は勘定されていない。言葉にして確かめたことはなかったけれど、気づいてからはずっと疎ましくすら感じていたその性質を、この期に及んで思い知ることになる。
 今日も今日とて何を考えているのか分からない男は、矢と弾丸が突き刺さろうと、斬りつけられて血が噴き出ようと、眉一つ動かさなかった。しかし、例えば二回戦なんかは、ことさら困り果てて眉を情けなく下げていた。
「うーん、ぺろみなら許そう。たぶんセーフだろう」
 “なめ吉家のものとして恥じぬ活躍を”。そう命じられていながら敵大将にとどめを刺し損じたとき、そんな風に言葉を濁して。叱責ではなく、はぜる様を悲しませることこそを危惧している。
 試合の前に、男は、はじめて心情らしきものを打ち明けた。「今回の試合は無茶をさせることになってすまないが、どうか付き合ってほしい」と頭を下げる。俺は黄流とぺろみと、三人で顔を見合わせた。見送られて家を発つ前に、俺たち三人にだけ耳打ちされたはずのことを知っているのか? そう訝しんだから。
「最期の戦いになると思うから、花を持たせてほしい。悔いなく残りのときを過ごせるように」
 お願いね。はぜる様の、密やかでありながら切実な、あたたかい命令を三人ともが思い出していた。
 隊長は何もかも察しているような、或いは何も知らないような――つまり普段通りの――そっけない顔をして、自分の方の事情についてさらりと口にする。
「はぜる様は、薫子様のした約束を受け継いで守ろうとしている。その約束を完遂することを俺も厳命されているし、まあ、命じられなくたって叶えたいと思っている。大事な家族の、たっての願いだ」
 脇下薫子は、脇下なめ吉の死に際し、命果てゆく肩に取り縋りながら「息子は使うから」と誓った。役目を与え、活躍させてみせると。陰から脇下家を案じ続けた、その労苦に報いる光を絶やさないようにすると。そしてそれを娘にも言い含めた。
 曰く、そういうことらしかった。
「俺は父本人ではないからどうすべきなのかは分からない。でも、いつも当家を案じてくれる当主の気苦労を軽くしてやれるなら、そうしたい。
 というわけで、試合の間だけ、俺のわがままに付き合ってほしい」
 当主の命令であると言わないところが、いかにもこの男だ。
 一回戦に備えて所定の位置につくように合図があり、四人が同じ方向を向く。「もちろん!」と真っ先に笑った黄流と、「できることをします」と背筋を伸ばしたぺろみと――
「お前の事情は知ったことじゃない。だが今はお前が隊長だ」
「ありがとう」
 ――不器用な二人と、四人で。
 自分は脆い生き物だ。道具に徹するのがいい。なるほど、使われているのがいいだろう。難しいことは考えない。そんなに多くのことをこなす自信はない。家族を見守って、できることに取り組む。
 そんな風に考えてはいなかったか? お前はそうしなかったが、俺はずっとお前を見ていた。弓を継がされなかった俺と、俺の母の奥義を復活させたお前と。俺とお前の差がどこにあるのか、俺ばかりが気にしていた。結果、お前自身が確かな形を見いだせていなかったであろう考えを、俺ばかりが言葉として気づいている。わざわざ教えてやりはしないが。
 選考試合から戻って間もなく、脇下なめ次は息を引き取った。
 あの夜こいつが言い渋った“自身の望み”は、俺だけじゃなく家族の誰にも叶えてやれないものだった。困らせると言って一度は隠した望み。
 あの夜の約束を守って死んだと知っている俺だけが、心の中でこいつをなじった。あんなに我を通して、その上未来を望むなんて、贅沢だとは思わないのか? なじって、呆れた。消えることでしか進めないもどかしい生き物にうまれてしまったというのに、お前はそれを見届けたいだって? 最期まで家族、家族ばっかりだ。見届けることが、父から続く自分の役目だと、そう飲み込んでいる。
 そしてお前が、家の意思こそがお前自身の意思なのだと、衒いなく最後までそう思っていたことに、俺は呆れている。憎んでいるし、妬んでもいる。けれど、自覚し咀嚼し続けているその思いを嚥下する前に、俺も死ぬだろう。憎み切れないし、妬み切れない。ただでさえ、脇下家に生まれた者が戦い以外に割ける時間は少ないから。その上、俺は知ってしまっている。与えられてしまった役割をこなしている面ばかりでなく、持った性格のおおらかさや、選んだ努力、人として真っ当に暮らしている面を。
 弓使いとして硬く鍛えられた手の内、その皮膚は、連続で奥義を使って不覚にもよろめいたときに助け起こされて知った。まだ膝に収まる身長だったぺろみを膝に座らせるときの存外あたたかい視線。娘の顔を覗き込むときに瞬いた髪の光には、軟らかいからこそ折れない弓のような、言葉少なに芯を持つ姿勢を体現しているみたいだと、そんな寝ぼけたことすら考えさせられた。
 お前は脇下家の礎で、お前もそうであることを望んでいただろうが、俺はお前のことを人間だと思っている。
 選考試合から家に帰り着き、はしゃいだはぜる様に優勝旗を羽織らされながら、あいつが俺に言った言葉を俺は忘れられないと思う。
「たくさんねだってすまなかった。しっかり目に焼き付けたよ、ありがとう」
 この隊長は、俺が奥義を編み出したと誰かから聞いて「試合で見たい」と出撃隊に任命したらしい。礼を言ってきた時の表情は、決勝戦を終えて大袈裟に謝る黄流に「これを望んでいた」と微笑んだときと同じで、つまりは、本心から満足している顔だった。どうしても最期まで「見届ける」という在り方から離れられなかった男に、俺は何も言えず、黙って頷いた。
 今なら「馬鹿だよお前は」と言える気がする。「でもお前らしい」とも言ってやれる気がする。恵まれた男は馬鹿で、もう二度とその目を開けることはできない。俺も、その薄い瞼を見ていることしかできなかった。
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西堂
自分の過去ツイコピペして書くこと整理します
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西堂
ここからメモ書きが文章になる予定ではいます
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初公開日: 2020年05月16日
最終更新日: 2020年07月18日
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