月と海
うだるような暑さだった。だが所々木々の影が涼しく、コンクリートが詰まるあの街より幾分か過ごしやすい場所そうだ。喧しいほど蝉が鳴き、微かに潮の香りがする。
少年は数年ぶりに、かつて住んでいた町に帰っていた。
きっかけはどうということはない。怪我だ。全治数週間の傷を負った少年は、気分転換でもしてこい、と半ば強引に里帰りをさせられ、蒸し暑い道をのんびり歩いていた。
世話になる家はなんとなく覚えている。幼い頃に冒険した道を今度はただ道として歩く。懐かしい、感慨深い、という感情はない。朧気にしか記憶がないのが一つ。もうひとつは、
やめよう。思い出したくもない。
ゆっくり頭を振って、無心になる。暑い。涼しい。照りつける太陽と気まぐれに被る影との温度差に対する感想だけが頭を巡っていた。
かつての冒険の道の終着点は変わらなかった。少し古い民家で、何度も通った玄関も屋根の色も何もかも記憶からそのまま出てきたかのようだった。
「こりゃ驚いた!でかくなったな!」
わはは、と屈託なく笑い、わしわしと頭を撫でられる。頭というより、髪をかき混ぜられたかのようだ。む、と下がった口の端と反対につり上がった眉毛を見て、鶴丸はそっと手を離す。
「世話になる。」
「ああ!町には行ったのか?」
「いや、まだ何処にも。」
「そうか。」
言葉少なく返事をしながら階段を登る。ちょうどよくエアコンの風が廊下を駆け抜けて首の汗を撫でる。涼しい。
そして、少年はやっと、少し懐かしいと思うようになっていた。
わかってはいたのだ。ここは情報が早く、プライバシーというものが限りなくゼロに近いということを。
「鶴さんが教えてくれてね。久しぶり。」
おまけに黙っていられない奴のことだ、もう町中に知れ渡っていることだろう。
里帰りして二日目は挨拶回りと、こちらに来た理由を誤魔化す作業に追われた。
別に怪我をしていることは隠さなくてもいい。部活に復帰できるのでそう重いわけではなく、自分はそのまま別メニューをこなす予定だったのだ。ただ、そういう考えを記憶があるかないかの他人に、詳細に話す気にはどうしてもなれなかった。
↑前回ここまで
「挨拶回りは終わったのか?」
「ああ。」
暗くなり、鈴虫が鳴くようになってようやく夕食になった。素っ気ない少年に気を悪くすることもなく、鶴丸は笑いながら煮っ転がしを箸でつまんだ。この少年は幼い頃から愛想があまりない。だがひねくれているわけではなく、根は素直だ。少し不器用ではあるが。
「相変わらず情報が早いな、ここは。」
皮肉っぽくそう言うも鶴丸は悪びれる様子はなく飄々と笑う。
「そうだなぁ、そりゃ誰か里帰りしたとあっちゃ噂にはなるだろう。ここはいつも話題に飢えているからな。」
「俺にはここの記憶があまりない。」
ぽん、と飛び出した言葉はしばらく宙を漂った。少年の向かいに座る男はそれをじっと眺めて、口を開いた。
「そうか。光坊の所にアルバムがあると思う。なにか驚く写真があるかもしれないぜ。」
「ここにはないのか?」
「俺はそういうのがからきし苦手でな。」
男は自慢げにぱちん、とウインクした。
少年は顔をしかめた。
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