――明日の朝から、丞と実家に行ってきます。帰寮は明後日の夜になる予定です。
「送信……っと」
ソファーの前のラグにペタリと座り込み、ローテーブルに置いたスマートフォンとにらめっこをするように対峙していた紬が、ようやく背をまっすぐに伸ばしたのは、対峙開始から七分後だった。
途中何度も、ソファーに寝転がって演劇雑誌を読んでいる丞に、「これでいいかな?」「どう?」「誤字ないよね?」と目の前にスマホを突き出し、中身の確認をさせられた。
その都度雑誌から視線を外し、突き出された画面をチラリと見ると、文章の字面をさらっと追って、「いいんじゃないか?」とぶっきらぼうに返事をした。
「もぉっ!ちゃんと真面目に見てよ!」
紬は眉間にしわを寄せて唇を尖らせ、長い足を持て余すようにしてソファーのアームに乗せていた丞の太ももをトントンと叩いてみせた。
紬が戯れ程度に叩いたって痛くもかゆくもないのに、ちょっと大げさに「いってぇな、やめろって!」と言って手を払いのけようとすると、どこにその俊敏さを備えていたのかわからないくらいの速さで、サッと手を引かれてしまう。
手を引くんじゃない。という顔で一瞥すると、ペロっと舌をさすようないたずらっ子な顔をして、またローテーブルにスマホを置き、なにやら対峙し始めた。
「……ったく」
小さく舌打ちをして、丞は再び目の前に掲げた演劇雑誌に視線を戻す。
第五回公演のとき、丞を自分の劇団に来ないかと声をかけてくれたGOD座時代の先輩、篠崎の特集記事だった。
興味がわいて買ってみたが、そこに思いがけず自分の名前が出てきて目を瞠った。咄嗟に上体を起こし座面に座りなおすと、大きく開いた膝の上に腕を乗せ、じっくりと記事の文字に視線を落とす。
「なに?おもしろいこと書いてあるの?」
丞が勢い良く動いたせいで、紬の髪がふわりとそよいだ。
「ああ、篠崎さんが……」
文字を追いながら答えたから、紬への返事になっているのか曖昧だった。紬が「え?」と聞き返したことで、たぶんちゃんとした声にはなっていないのだなと思ったが、補足しようという頭は動かなかった。
『――例えば僕がGOD座時代、一緒に舞台に立っていた高遠丞くん(現・MANKAIカンパニー 冬組所属)なんかがそうです。彼は憑依型役者と言われますが、その集中力はすさまじく、その実力は誰もが認めるところです。人はいろんなタイミングの中で生きています。彼のタイミングは、残念ながら僕がオファーしたときには別のタイミング最中だったんです。あれほどの才能ですから、喉から手が出るほど欲しかったのは言うまでもありません。でもいま申し上げたように、彼にとって僕の劇団に来るタイミングではなかった。彼からの返事には納得しましたが、いつかモノにしてみたいという欲求が上がりましたね。あきらめてはいませんよ、僕は』
その文字から、篠崎のちょっと不敵な笑みが見えてくるようだった。
自分は人好きのするようなタイプではないと思っているが、ここまで素直に望まれることに悪い気はしなかった。
第五回公演を控えた当時、篠崎が自身の劇団に熱心に誘ってくれたことは、おそらく生涯忘れられない記憶の一つになった。結果としてMANKAIカンパニーに居続ける意思を見出すきっかけを与えてもらったことにも、感謝の念に堪えない。だからこそ、篠崎には何かの機会に恩を返せればと思っているが、こうしていつも恩を感じ続けていたら、丞は自分が恩を返すことでしか生きていけない人間になってしまいかねないと思い、かぶりを振る。
恩を返すためだけに生きているわけでも、それだけのために芝居をしているわけでもない。もちろん、恩やなにかに報いようと努力することが、芝居に悪い影響を与えるとは思っていないが、それだけに囚われてしまっては本末転倒だ。
篠崎の特集記事で丞のことが語られているのは当然そこだけで、なにも聞かされていなかったから驚いたが「悪口じゃないんだからいいよな」と、知らぬ間に笑みが浮かんでいた。
「笑ってる」
と紬に指摘され、キュッと口元を引き締めて「笑ってない」と取り繕うが、紬はすっかりしたり顔だった。