・周囲の人たちのことが好きだけど、その輪に自分も収まっていることはまだ上手く望めない十七歳児の話。
本日監督が熟読していたのは、スパイス料理の特集雑誌。
それを、俺も読むと意気込んだところ、その元の持ち主が千景であったために、真澄は代わりに返却を仰せつかって103号室を訪れたのだ。
というのに、残念ながら目当ての人は不在。
もう片方の部屋の主より、先輩ならさっき出かけたよ、とだけ言い返されて出鼻を挫かれることとなった。
さて、どうしよう。と迷うところである。
それを至が、雑誌返すだけなら椅子に置いておけば、と薦めてくるので、ひとまずはそういうことにして、後でお礼と事後報告をしよう。
そうして真澄の用事は終わるはずだった。
にもかかわらず、そう事が運ばなかったのは、この部屋の中央にどんと据えられたテレビ画面がすこぶる騒がしいせいだった。
重度のオタクがゲームとアニメのためにと用意したディスプレイに、今日は薄暗い室内が映し出されて、至がカチカチと忙しなく操作して見せる。
ジャンルとしてはおそらくアドベンチャーゲームと呼ばれるそれは、しかし至がこよなく愛する剣と魔法のバトルファンタジーではなく、小人のような生き物がちょこまかと走り回る一風変わった代物。
深くフードをかぶったせいでやけに目立つ黄色い姿は、きっと敵に見付かりやすいことだろう。
という真澄の心配をよそに、その小さな主役は元気に跳ね跳び、しつこくどこまでも追い駆けてくるグロテスクな生き物たちからすいすいと逃げ惑う。
パッと見ただけでは単なる部屋の中、と思うのに、至からすれば何をどうするべきなのかよくわかるらしい。
床に転がっていたおもちゃを投げて相手を惹き付けて、その間に引き出しの取っ手を梯子代わりに登ってゆく。
びっくりするほど手際の良い逃げっぷりだった。
ゲーマーを自負するからには、やはり至はこういうことが得意であるのだろう。
ふと目を向けたディスプレイでの冒険譚はテキパキと先へ進み、その鮮やかさが真澄の目を惹き付け続ける。
この小人はどこに行くんだろう。
なんてことを疑問に思えば、迷った結果、もうちょっとだけ追い駆けたくなってしまった。
そういうわけでソファーの空いているスペースにこっそり腰を下ろしたら、途端に隣からは引っくり返った声が上がる。
「……、……ッ、えっ、ま、真澄もやる!?」
「やらない」
「………………あっそう」
至の声が弾んだのは僅か一瞬の出来事。
あっという間に、意気消沈とでも言いたげな力の無い声になってしまった。
「なら、なんでそこにいるの」
「…………」
だけれど、重ねて問われれば、次に黙り込むのは真澄の方だった。
困ったことに、なんでと尋ねられても、はっきりした答えなんて持っていない。
至に用事があったのではないし、発言通り、まさかゲームがやりたかったわけでもない。
この『小さいの』はどうなるの? って、たったそれだけのことだった。
だから真澄は、一つ溜め息を零してから立ち上がる。
「邪魔なら戻る」
と答えた直後、真澄が踵を返すよりも早く至の手に服の裾を引っ張られたから、その容赦の無い勢いで、またすぐに座り込んでしまった。
「いや別に邪魔とか言ってないじゃん……」
その言い方は、何故かひどく不満そう。
あからさまに拗ねた様子を見せるから、おかげで真澄は自室へ戻る理由を再び失くすこととなった。
ぼんやり見守っている内に黄色い小人は異様に腕の長い化け物を倒し、次は巨大な包丁を振り回す不気味なコックに挑みに行くところである。
引き続き右へ左へと操りながら、しかし至自身は相変わらず真澄のことが気になるようだった。
「見てるだけじゃ、つまんないでしょ」
「……別に」
誘うように言ってくるのをぴしゃりと言い返し、真澄は腹の底で思う。これは自分にとっての本心だと、そういうことを。
例えば、さっきの話。
監督がそれはそれは真剣な面差しで夕飯分のカレーの仕込みを行っていた。
具材を切り、使うべきスパイスの瓶を並べて、大鍋を磨き上げる。
そんな一つ一つを丁寧に、かつ集中して臨む姿勢は、日頃常々可憐で淑やかな監督にしては珍しく、ちょっと恐いくらいの迫力を漂わせるものだから、これにはさすがの真澄も余計な言葉などかけられず、ただそっと待ち続けるばかりだった。
それから、小学生の頃は、ばあちゃんが時折家の電子ピアノで演奏するところを見るのが好きだった。
あれもまた淀みのない手さばきで、きっとばあちゃんの手は魔法の手に違いないと信じ込んでいたものである。
あとは、ノートパソコンにばかり向いて、こちらを振り返る暇など無い執筆中の綴の背中とキーボードの打刻音とか、中庭にて、土と肥料を混ぜて小さな鉢から植え替えてやって、そうして満足げに汗を拭ったせいでうっかり顔を汚した紬とか。
朗々と戯曲を演じる咲也やスケッチに勤しむ一成などは、見付かるとまず間違いなく真澄も巻き込まれるので一定の距離が必要であるものの、だけれどそんな彼らの様子を、退屈だと思ったりつまらないとうんざりしたことは一度たりとも無かった。
むしろ見かける度に、案外嫌いじゃない、と気を抜いて足を止めてしまう時間が長くなる一方だったから、つまりはそういうことなのだろう。
ただ、こうして真澄もやるかと誘われることだけは、未だ繰り返し戸惑わずにいられなかった。
「これ、何してるの」
話を逸らしてやりたくて、ぼそりと疑問に思っていたことをぶつけてみる。
返事はすぐさま寄越された。
「んー……この動いてる黄色いのが主人公で、変なところに閉じ込められちゃったから、脱出しようとしてるゲーム、ってとこかな」
「脱出……千景と万里がやってるやつってこと?」
「あの二人が好きなのとは、ちょっと違うかな」
くすくすと笑い混じりで言い返す至は、おそらくこの会話を、真澄のことを面白がっていた。
返す刀で問い返す。
「真澄もやりたいの? 脱出ゲーム」
その物言いがからかうようなものだったから、おかげで真澄は反射的にムッとした。
失礼な話だと思った。
それじゃまるで、あっちにもこっちにも首を突っ込みたがる駄々っ子みたい。
そうじゃない、そんなことをねだるつもりはない、と思えば、イヤイヤと余計に拗ねてしまう。
「だから、俺はやらない。……邪魔になるから、いい」
せっかく二人で楽しんでいるっていうのに、そこへ変な横槍を入れたいはずがなかった。
と、これは真澄なりの尊重であるというのに至は、まるでそれは的外れだと言わんばかりに、何言ってんの真澄、と引っ繰り返った声で驚き出す。
あれほど集中していたゲーム画面から視線を外して、まじまじと真澄の様子を伺ってくる。
それから、
「邪魔になるわけないよ、あの二人なら、……喜ぶよ」
いっそ責めるような色を漂わせながら、きっぱりと真澄の言い分を否定した。
あれこれ危惧していたことなんてあっという間に取り上げられて放り投げられて、後に残されたのは『何してるの』と口から飛び出しそうな小人サイズの興味ばかり。
ついうっかり目を惹かれてたまらないこの気持ちを、真澄はどうするべきなのだろう。
果たして至の言うことは本当だろうか?
うん、と聞き入れていいのかな。
真澄はまだもう少し、戸惑っているところである。
end
というところで終了です。
入-れーて、って言うの苦手だろうな、と思うのです。
お付き合いいただき誠にありがとうございました。
アイム