溜息を吐く。背を付けて、壁を這いずるように座り込む。後ろでザラザラとしたコンクリートと硬めの布が擦れる不快な音がして、思わずまた息が漏れた。
体の下で濡れた音がする。びちゃりと、嫌な温かさをかんじた。あぁこんなところまで流れてきたのかとまた溢れそうになる息をくっと呑み込んで、それを押し込むために、ポケットの中にある筈の煙草をずしり重い腕を緩慢に揺らして漁る。
指先に感じた硬い刺激に安堵のように声を吐いた。引きずり出し、からからと揺れる中身を確かめてから一本を取り出す。しかしそういえばライターはどうしたかと頭をもたげていると、そこでようやっと体液に濡れた自分の手が如何に汚かったかと思い出した。
はぁ。
先程より大きく空気を吐き出すと、煩いほどにそれが聞こえて首を振る。あぁ。鬱陶しい。
まだ真っ白な煙草の先を口に咥える。摘んだ箇所には点々と赤が落ち、やれやれ拭き取ることも出来ないのにと肩を落とす。手袋の端を掴んで力を入れた。
濡れと乾きと相まった、しかし液体のこすれが微かに鮮やかな不協和音が狭い路地に降る。咥えた煙草を噛むと、ざりっと、砂のようだった。
黒の──赤なのか黒なのか分からない汚れを孕んだ黒の──手袋を、吐き捨てるように放る。ゆっくりと空が暗み始めているのが視界の隅で揺れて、帰りたいだなんてらしくない甘えが疼いた。…随分疲れたんだね。
久方振りに見たような自分の手の平を見るとまるで怯えたように青白くて、少し眠たい頭には妙に愉快に見えた。煙草を咥え直すと胸ポケットに仕舞い込んだライターを抜く。赤いように眩んだ炎が細い煙草の先端にも赤みをうつして、段々とその熱を広げていくのが見て分かる。
ずぅっとそこを見つめていれば、毒ばかりの煙と共に身体の奥を赤い点が侵していくかのような錯覚がした。
唇の隙間から漏れたのが声か煙かは、測れなかった。ただのうのうと時間を貪るような感覚に胸が震えて、甘い液が脳汁にとって代わり頭蓋を満たしていく様は快楽だった。溜息が出る。それがやがて溜息ではなく掠れた不愉快な笑い声に変わっていたことに気付いて、今度は苦笑が漏れた。前髪を掻き上げる。壁に手をつきながらゆっくりと、重たい脚を立たせた。
咥内には甘く重たい煙の香と、浸み込んだ鉄の味。ゆったり視界を満たす灰色が気持ち良くて、微睡む。眠ってしまいそうで煙草を摘んだ。
…足元で眠る彼等に微笑んで見せる。具合はどう?なんて聞いたところで返す声は無いけれど、その傍らに煙草を捨てていくことにはほんの少しだけ心が痛んだ。
しかしこれも一種の手向けとすれば構わないだろうか。もう一度口に運んで、ゆっくりと最後に一息、吸い込む。
甘い良い香り。
「ごめんね」
濁った声で囁けば、唇の隙間に取りこぼした煙草が降る。
火の雨は瞬く間に真っ赤な海に溺れてしまった。
もう一度ごめんと声を掛けようとしたら、目下の彼がこちらを嗤った。
…要らない?
肩を竦めるように心の中で謝意を伝えて、あちらやこちらや痛む身体を引っ張って路地を歩いた。背中の方ではもう陽が顔を隠す。
良い子はお家へ還る時間。
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ななし@674c54
明朝体やで
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ななし@4209c8
汚れ 苦笑 嗤う
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初公開日: 2020年05月01日
最終更新日: 2020年05月01日
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瀬をはやみ