*大事なものなんて他にないよ
*ぬるくなるミルク
*星屑が降る夜
をお題にして書いていきます。
あれはいつの夜だっただろう。昔、孤児院から新しい両親の元に行くとき、シスターは僕のために祈りを捧げてくれた。「あなたに神のご加護がありますように」そう祈るシスターの顔はいつも通り綺麗なものだったけれど、僕は齢10歳にして神様なんていないことを知っていて、神の加護を信じていなかった。しかしシスターの気持ちすら否定するなんて、そこまでひねくれているわけでもなく、僕は「ありがとうございます」と、神ではなく、シスターに向けてお礼を言った。
新しい両親は長いこと不妊治療を施したけれど子どもができなかったみたいで、僕のことを我が子同然のように可愛がりたいんだと教えてくれた。僕はとにかく期待に応えなくてはと必至に頷いてみせた。ほっとした両親の表情は今でも覚えている。
僕の新しいおうちの隣に、ひとりの男の子が住んでいた。
その子はカカシ君といって、四歳年上のお兄さんだった。自分の家のお庭で車のおもちゃで遊んでいたら、隣の敷地からカカシ君がこちらを見ていることに気がつき、僕たちは目が合う。
神様なんて信じないけれど、カカシ君は白くて綺麗で、本当の天使様みたいだと思った。
「キミ、隣のおうちの子?」
「うん」
「そう。オレはカカシ。キミは?」
「……テンゾウ」
「テンゾウ? 一緒に遊ぶ?」
「うん!」
カカシ君は何でも知っていた。ミミズがどこに住んでいるかも、木の棒での遊び方も、川での釣りの仕方も、近所の悪ガキとの喧嘩の仕方も、僕は全部カカシ君から教わった。
僕はカカシ君を尊敬していたし、カカシ君も僕を可愛がってくれていたように思う。一番の子分のしてやってもいいよと言われたこともある。僕は嬉しくて彼の後ろを付いていったものだ。
カカシ君のお家はいつもお父さんしかいない。
ある日、カカシ君のお家で戦隊ごっこをしてひときしり遊んだあと、彼は冷たいミルクを入れてくれた。そのとき、かるしうむをいっぱい飲むと強くなれるって教えてくれて、僕はあまり牛乳が好きじゃなかったので固まってしまう。二人でちびちび飲んでいると電話が鳴った。何度も何度もコールが鳴って、出ないの?と訊くと、カカシ君は体を強張らせていて僕の声でビクッとした。
「オレの傍に居てくれる?」
「うん」
カカシ君はコップを机に置くと、電話の子機を持ってきて僕の手を握る。
通話ボタンを押したあと、その手が震えていて僕はびっくりして、慌てて握り返したように思う。なんでそんなに震えているのかわからなかったけれど、とにかく、悪ガキに全勝ちしてしまうほど強いカカシ君がこんなに震えているのなんて、とんでもないことが起きているのだと思った。
「……うん。……うん。わかった。うん、待ってる」
カカシ君は、電話を切ると同時に床に蹲ってしまった。僕がなんの電話だったの?と訊くと、母さんが死んだと一言呟いた。死んだ。その意味がわからぬほど子どもでなくて、僕はなんて言っていいかわからなかった。気付けば冷たったミルクはぬるくなっていた。
カカシ君のお母さんのお葬式の日。お隣だった僕の家も黒い服を着て式に参加した。僕が両親からカカシ君の傍に居て上げなさいと言われて「うん」と頷く。カカシ君は式に間、一度も泣かなかった。彼のお父さん、サクモさんがずっと泣いていて肩を震わせている間、カカシ君は微動だにせず、ずっと真正面のお母さんの写真を見ていた。そして式が終わったあと、彼がひとり二階に上がっていくのが見えた。僕は両親に「カカシ君のところに行ってくる」と告げて、彼のひとり部屋に向かった。
扉を開けるとカカシ君はまた大きくビクッとした。来たのが僕だとわかると、「何しに来たの?」と言う。
「カカシ君」
「来ないで」
「……いやだ」
「来るなよ」
「いやだ。だって、カカシ君泣いてる……」
僕がそういうとカカシ君は声を詰まらせてベッドへと顔を沈み込ませた。僕は震えている彼の背中に手を合わせて、孤児院に居た頃シスターがしてくれたように、ずっと撫でてみた。
神様はいない。だけど、人の気持ちは確かに感じられる。どうか僕のこの気持ちがカカシ君に届きますように、と何度も。
やがてカカシ君は泣き止むと、星を見に行こうと言い始めた。
「星?」
「母さんが死ぬ前に教えてくれた。星になってオレを見守っているからって」
僕たちは大人がリビングに集まってでお酒を飲んで話しているのを横目にして、ふたりでお庭に出た。そして手を繋いで夜空を見上げる。
夜空にはたくさんの星が瞬いていて、時折、流れ星が流れていた。
「カカシ君のお母さんの星はどれかなぁ」
「わかんない。でもどこかにあるはずだ」
その夜は何度も流れ星が落ちる夜で、僕はぎゅうとカカシ君の手を握った。
流れ星がカカシ君のお母さんじゃありませんように。
何度も何度も、星が降るたび、そう願った。
カカシ君が大学生で、僕が高校を卒業する年になっていた。
高校から家に帰ると、当たり前にように彼は部屋にいて、勝手に漫画を読んでいる。
「また来たんですか」
「なんでお前は大きくなるにつれて話し方がよそよそしくなるの?」
「大きくなって礼儀を学んだんですよ。今日大学は?」
「終わり。バイトも休みだし、お前ん家に行こうかなって」
「なるほど」
カバンを適当に降ろすと、僕はネクタイを緩めてベッドに腰かけた。
「カカシさんももう大人なんだから、恋人でも作って遊べばいいのに」
「恋人?」
「そうですよ。カカシさんの年だと結構大事なことじゃないですか?」
するとカカシさんはくすりと笑って、僕の隣に座る。肩に頭を寄せて甘える仕草だ。
「オレはお前より大事なものなんて他にないよ」
僕はカカシさんの頭に自分のを乗せて、そうですかと呟いた。夕暮れの空気と、あの頃の体温がそのままで、細胞深くまで安堵する。彼の細長い指先は、僕の小指に絡みついていた。僕もそれに応えて目を閉じる。
とても幸せな午後のことだった。
【完】