目が覚めてから、私はずっと寂雷さんがほしくて仕方がなかった。私の顔が一等色っぽく見えるアイシャドウを選んで、目蓋をつやつやに染めた。胸が弾むと同時に、こんな下品な期待を抱く私を寂雷さんはどう思うのかな。時折少し不安になる。もういい大人なんだからそんなこと気にしなくても大丈夫だろう、と自分に言い聞かせて、ヘアオイルを揉み込んだ。
寂雷さん宅の大きなテレビで話題のインド映画を観た。ソファに身体を委ねながら、寂雷さんにキスしちゃおうかな?なんて不埒な考えが消し飛ぶほどに人間離れしたアクション!壮大なラブストーリーとダンス!私が終始大笑いしていた一方で、寂雷さんは展開を楽しみつつ「このストーリーは、インドの叙事詩をなぞっているみたいだね」「なるほど、冒頭の場面と円環的に繋がっているんだ。とても興味深いね」などとひとりで考察を深めていた。映画が終わった後にもう一度説明してもらった。寂雷さんは演者の衣装や小物等のとても細かい箇所まで覚えていて、何を意味しているのか教えてくれたけど私は正直思い出せない。
「うう〜すごいな。そこまで細かいところまで観れたら楽しいだろうな」
「素直に展開を楽しむのも大切なことだよ。もう一度観る?」
「観たいけど、ワンとツー合わせて5時間半だからなぁ。また今度にしようかな」
「そうだね。私も随分観入ってしまって、少し疲れたよ」
はは、と照れ笑いをする寂雷さんが可愛くて、今度こそ頬にキスをした。おや、と目を丸くする。
「どうしたんだい」
「キスしたかったから」
「単純明快だね。おいで」
すぐ隣に座っていながら、寂雷さんは私に向かって腕を広げた。柔らかな微笑みにいけない感情を抱いてしまう私を罰してほしい。寂雷さんの腕の中にまっすぐ飛び込む、のではなく太腿の上に跨ってからぎゅっと抱きついた。寂雷さんが少したじろいだ気配がして、喉の奥で笑ってしまう。
「ずいぶん今日は甘えただね」
「映画は面白かったけど……ずっとこうしたかったから」
「相変わらず素直だ」
寂雷さんは私の後頭部をぽんぽんと撫でた。嬉しくて擦り寄ろうと顔を近づけたら、ふっと耳に息を吹きかけられて身体が跳ねた。抗議しようと向き直ると、喜びをたたえた微笑みに何も言えなくなってしまった。悔しくて唇を尖らせたら、啄むようにキスをされた。あ、嬉しい。私からも追いかけて、追われて、あれあれ、どんどん深く熱くなっていく。私の身体を支えてくれている手の圧が段々強くなっていって、頭がぼうっとした。
「……大丈夫?」
「ん、ちょっと苦しい」
「ごめんね、私も急いでしまったね。」
肩で息をする私の頭を撫でてくれる。さっきの手つきよりもよっぽど熱っぽくて、それでいて私を壊さないように注意をしながら慈しんでくれる。
「あつい……」
「ふふ、そうだね。髪、結んでくれるかな」
いつも寂雷さんはセックスの前に髪を結んで欲しいとねだってくる。はじめて身体を重ねた日、「先生(って呼んでた)、髪長いから結んであげますね」ってヘアゴムを絡めたのがお気に召したらしい。寂雷さんのしなやかな髪をひとつにまとめて、引っ張らないように注意を払いながら手首を回す瞬間、私はいちばん下品な気持ちになっている。これほど身も心も美しい人に対して、平気で低俗な感情を抱くようになってしまった。はやくはやく、私を罰して。
この人は、やろうと思えば私の内臓の位置だって"見える"だろう。欲情してかたちを変える体内の様子も頭の中で暴かれているんじゃないかって、時々焦る。でも、神でなければ天使のような寂雷さんもとっくのとうに男の人の顔をしている。私の思惑なんてハナから頭にない、今目の前にいる私そのものを愛してくれるからほっとする。今日はずっとこうしたかった、この気持ちが伝わることを怖がる反面、心から願う自分もいる。互いからこぼれ出る愛の言葉の応酬も、自然と合わせるリズムも、たまらなく楽しくて震えた。
「水、持ってこようか」
「うん、飲みたい」
へとへとの身体をしばらく横たえていたら、寂雷さんの方が先に口を開いた。渡されたミネラルウォーターが喉を伝って内臓に染み渡っていく。体内からかなりの水分が出て行ってしまってたんだなと、と実感して恥ずかしくなった。
ふと寂雷さんと目が合う。眉間にしわを寄せて、顎に手を当てて何か言いたそうにしている。
「……きみがどう思うかわからないけど。私もずっと、こうしたかったんだ。身体は痛くない?いつもより優しくできなかった気がして」
すっかりヘアゴムを解いて自由になった宵闇色の髪が、悩ましげに言い淀んだ顔を隠す。この人も、ほんとうに、ふつうの男の人なんだな。なんだか嬉しくて、簾を分けるように髪を分けてキスをした。もう一度結んでしまおうかな、なんて思いながら。