「今日は〜、モモさんに会いに行ってくる〜!」
 テーブルを挟んで反対側、はむはむとおにぎりを食べながら『モモサン』と聞き覚えのない名前を紡ぐ三角を思わず見つめてしまう。は、とまあるく開いた口が塞がらない。誰だよそいつ、と言う言葉をぐっと飲み込んで彼を睨めつける。
 三角はといえばそんな俺に気づくこともなく、二つ目のおにぎりに手を伸ばしていた。にこにこと笑う彼にもやもやとしながら、食べ終えた食器を片付ける。モモサン、ももさん……。人の名前、それも女性の名前、だろう。シンクに置いた食器は思ったよりも大きな音を立てた。もやもやと苛々、せっかくのオフだというのに気分はだだ下がりだ。
 夏組の面々がひそりとこちらを見た気がしたが、気づかないふりをした。問い詰められても今はつっけんどんに返事をしてしまうだろう。不貞腐れてソファにに座り、適当に置いてあった雑誌を開いた。勿論、内容なんて一つも入ってこない。文字を追っているはずなのに、頭に浮かぶのは昨夜の出来事だった。
 ごめんねてんま……、としょぼくれた声を思い出す。予定もない一日、恋人らしいことでもしたいと思い立ってお伺いを立てれば先約がいた。誰とは聞かなかったが、予定があると悲しそうな顔をした三角。彼にも彼の予定があるのだから仕方がない。……ただ、その先約が女性だと誰が思うだろうか。
 昨日のしょぼくれはどこへいったのか、喜々として準備をしている三角を横目に苛々が募っていく。仮にも自分は彼の恋人だというのに……、誤魔化そうと読んでいた雑誌がくしゃりと音を立てる。
 聞けば教えてくれるだろうか、隠されるだろうか。一歩踏み出すことができず、もやもやだけが心を埋め尽くしていく。そうこうしているうちに、いってきま〜すといつもの間延びした声が聞こえて、はっと顔を上げる。続いて聞こえた玄関の閉まる音に、いてもたってもいられずその足音を追った。
* * *
 足取りは軽く、文字通り跳ねるように歩みを進める三角。爛々と歩いていくその後ろ姿を追う。足早に進んで行く彼に着いていくのもやっとで、加えて楽しそうな姿にムカムカと苛立ちが募る。顔はよく見えないが、きっといつものようにふにゃりと笑顔を浮かべているのだろう。そこまで想像して振り払うように頭を振った。
 三角と付き合っているとはいえ元を正せば赤の他人。隠し事の一つや二つあっても当たり前なのだけれど、それがなんだか妙に悔しかった。行き過ぎた苛立ちが途端に不安に変わっていく。『彼のことだから自分に隠し事なんてしない。』……そんな確固たる自信があったから余計にその事実が悲しく思えた。
 迷うことなく進んで行く三角に胸が痛みだす。次々に襲ってくる痛み、止まないそれに少しずつ足が進まなくなる。なかったことにするのは簡単だった。煩雑と纏まらない思考が行き交う脳内。自問自答を繰り返していれば遂に足が止まった。少しずつ開いていく距離に顔が俯く。知らなかったことにしよう、なかったことにしよう、……きっとその方がいいはずだ。
 ズキズキと痛む胸元を握りしめれば、少しだけ視界が滲んだ気がした。そうして踵を返し、来た道を戻っていく。次のドラマの台本を読まなければ、次の夏組の稽古で何をするか。……何かを考えていないとすぐに彼のことを考えてしまう。
 ぶんぶんと再び頭を振るも、一度考え始めれば頭はすぐに三角のことでいっぱいになった。なんでと思うも答えはひとつだった。こんなにも彼を想う自分がいる、それを思い知らされるだけだった。
 幾らか歩いたところで顔を上げれば見覚えのない分かれ道が続いていた。彼を追って来たのだから周りの景色など覚えてないに等しかった。何があったかさえ覚えていない。携帯、と思って探るも身一つで出てきたのだから当然持ってはいなかった。
 踏んだり蹴ったり。日中だというのに誰もいない道路、自分の溜息だけが大きく響く。どうせ特段急いでやることもない、そのうち見慣れたどこかへ出るだろう。半ばどうにでもなれと足を進めた。
 ――……昼間だというのに静かな住宅街。時折、風がふわりと過ぎ去っていく。揺れる葉の音、鳥の羽ばたく音、どこかの家から聞こえる笑い声。いつもは気づかない音に新しいものを見たようだった。
 考えてみれば一人で歩くのは久々のことだった。いつも誰かが隣にいた。テンテンはすぐ迷子になるからな〜、なんておちゃらけた声を思い出す自分に呆れてしまう。迷子になっているのはお前らの方だろ、そんなことを言う相手も今日はいない。
 賑やかしい仲間に囲まれていたから、こんな静かな日常を忘れていた。一人はこんなにも静かなものだったか。耳の奥で自分を呼ぶ声がした気がした。ふっと肩の力が抜けるような、空気に溶けていくような、淡く柔い声音。それは徐々にはっきりと輪郭を持っていく。
 何かを見つけたと叫ぶ声も、走り出す奴を捕まえる腕も、追いかけるために叫ぶ自分も、ちゃんと自分がいるのか逐一振り返る彼も、今はなかった。ぴたりと足が止まる。気づいた何かに溢れてくる気持ち。我慢が、利かなくなる。
「……なんで、」
 なんで、なんて自分がよくわかっていた。最初からこんなまどろっこしいことをせず三角に言えばよかった。ももさんって誰なんだ、自分よりもそいつがいいのか、……俺はお前と出かけたかった。そう一言言えば済んだ話だった。
 繋ぐ手は恥ずかしかった、しかし今はその温度が恋しくて仕方ない。止まっていた足が動く。どこにいるかなんてわからない。それでも止めることはできなかった。もう一度踵を返す。歩いていられないと走り出す、……今度はちゃんと戻れる気がした。
* * *
 汗が伝う、どれくらい走ったのか。見覚えのある景色の中、真っ直ぐに続く道をとにかく進んだ。どんなに進んでも三角の姿はなかったが、それでも戻るなんて選択肢はなかった。
「は、……くっそ、どこに、っいんだよ……!」
 どこに行くかも聞いていないのに、それを見つけるのなんて雲を掴むような話だ。無理だということは承知の上だ。落ち着こうと深く吸い込む。その空気が熱くて、吸ったそばから吐き出してしまう。喉が焼ける。咳き込みそうになるのをぐっと飲み込んだ。
 その一秒さえ惜しい。はやく会いたい、はやくその声が聞きたい。女々しいくらいの劣情、心臓に重くのしかかる妬心。こんなにも自分は弱かっただろうか、……いや、きっと弱くなってしまったんだろう。口角が上がる。上等だ、この弱さひっくるめ三角にぶつけてやる。はぁ、と息を吐いた一瞬、馴染みのある声が聞こえた。すべてが静寂に溶ける。あ、と声を発したはずなのに音にはならなかった。
 公園のベンチに座る三角、と膝に載る……猫。柔らかな声がじゅくりと内側に染み込む。痛いのか苦しいのか、よくわからない。わからないけれど、胸を押さえずにはいられなかった。たった数時間の出来事なのに、こんなにも溢れる感情にいっぱいになる。
「、ぁ…………み、すみ……っ」
 やっとのこと絞り出した声は情けないほどに震えていて、自分のものかと疑うほどだった。発したというより落ちたという方が正しいそれは、彼の耳には届いたようだ。驚きに丸く大きく見開かれた瞳は、それこそ零れ落ちそうだ。はくはくと口が開閉してるのが遠くにいる自分からでもわかる。
 ばっと立ち上がる彼の膝から載っていた猫がひらりと降りる。次の言葉を考えている間もなく三角がこちらに駆けてくる。反射的に踵を返そうとする足を踏ん張り耐える。う、と俯いてしまうのはどうしようもないので許してほしい。
 ふわりと足元に影ができる。顔を上げれば目の前にいる、わかっているからこそ上げられない。言おうとしていた言葉が端から消えていく。あんなに強気いた自分が、逃げてしまいたくなるほど小さく消えそうになる。
「……てんま?」
 それはとても不思議そうな声色をしていた。それもそのはずだ、寮にいると思っていた人間が目の前にいるのだから不思議に思うのも当然だ。ぎゅっと押さえた胸元、服に皺が寄る。冷静になろうとすればするほど頭は真っ白になっていく。言葉が喉元で引っかかり、あと一歩のところで出てこない。
 冷たい塊、詰まったそれが痛い。不意につんと目頭に熱が集まった。無意識に鼻を啜ってしまい、視界が滲んでいく。ぽたりと落ちた何かが地面の色を変えた。ひとつ、ふたつ、斑に変わるそこに自分が泣いてることに気づいた。慌てて顔を覆うも遅い。溢れ出したそれは止まらない。
 ひっくと喉が跳ねる。詰まっていた言葉が嗚咽となってするりと引っかかりを抜けていく。突然のことに焦った声が聞こえるも取り繕うことができない。ふと、視界の端に捉えた指先。縋る場所が欲しくて、逃がすまいと引っ掴んだ。
 そのまま抱え込めば必然的に彼の体躯が近づく。びくりと肩が跳ね、暫くすると慰めるように背を手のひらが撫でた。ぽんぽんと幼子を宥める手付きに身体の強張りが解ける。ちろりと俯いていた頭を上げ、肩口に顔を埋めれば穏やかな声に慰められる。
 嘲笑うわけでも馬鹿にするわけでもない声に、決壊していた感情が平常を取り戻していく。収まっていく嗚咽に呼吸ができるようになる。そうして往来で泣いていたことを理解し、羞恥がじわじわと湧いてくる。
「どうしたの、てんま……、?」
 柔らかい指先に髪を梳かれ、ようやっと顔を上げた。緩く弧を描く瞳は指先と同じ優しさを持ち俺を見つめていた。予想以上に近い距離、手を振り解き胸を押し返す。先程とは違う胸の高鳴りに顔が熱い。
 そんな自分を余所に三角はジッとこちらを見つめてくる。その視線から逃げたくて後退れば、不意に足に絡む温い何か。ひっと短い悲鳴と共に足を止め、そこを見ればいたのは三角の膝に載っていた猫だった。にゃおんと一声鳴くと、すりすりと頬を擦られる。
「モモさん、てんまともお話したいの〜?」
 猫に視線を合わせるようにしゃがむ三角。その口から紡がれた名前に思わず素っ頓狂な声が出る。『モモサン』と小さく呟けば、なぁんともう一声鳴く猫。つぶらな丸い瞳に身体の力が抜けた。はぁ……と深い溜息とともに彼と同様にしゃがみ込む。
 ……猫か、猫だったのか。
オチが思いつかないので続きはピクシブにて
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みすてん「ヤキモチをやく天馬くん」
初公開日: 2020年04月19日
最終更新日: 2020年06月04日
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ヤキモチをやく天馬くんのお話
バッドパラドックス
万左 初書き、口調等模索中です ――曖昧だらけの世界で、あんたの声を探したんだ ホテルに入ったことを…
ぬぉ
雑多
適当に何かを書きます
ぬぉ
2026/7/17 一次創作「古本屋」
古本屋に立ち寄る主人公のショートショート
ぴぉ