【ワンライ企画 非常事態宣言】
 TITLE:泣かないで
 ここ1年の間は実に平穏な日常であった。彼女が中学生になってからというもの、俺の出番はからきしで、そのため敏腕と呼ばれていた腕もすっかりと鈍り、言うなれば時折、彼女の姿を遠くからこっそりと見かけるだけであった。
 暖かな布団にくるまって、徐々にまどろむ意識の中、今日の予定が少しずつ崩れていく焦燥感と、このまま寝てしまえばどんなに心地よい事であろうとの欲に溺れながら、やはりこの朝も眠気に打ち勝つ気が起きず、二度寝をかましている所にいきなり、久しく顔も合わせていない悪友が現れたのだから驚いた。最初は、自分は夢の中にいるのではないかと勘違いをし、やあ、どうした最近は。夢の中にまで出てくるとは、僕を毛嫌いしていた君には考えつかないな。などと無駄口を叩いていたのだが、はてさて現実であったのだから恐ろしい。
「おい、昔のお前の姿とは似ても似つかないな。悪戯好きの狐が化けて、お前の家の布団にくるまっているぞ」
 戸の開いた玄関がある方向からは、紛れもなく昔に聞き飽きた声が聞こえてきて、しばらくぶりの再開への感動は湯煙のごとく消え、苛立たしさが寝起きの身体を蝕んだ。やれ、お前の方こそ声から体つきから老けただろう? 寝ぼけた頭を叩き起こして、彼を視界へ入れる前に早くも文句を垂れようとしたのだが、実際に見てみれば、服の上からでも分かる羨めるほどの筋肉と、時間の経過とともに増えたのではないかと疑いを持たせるような流行に乗った髪型が頭にのっかっていたのだから、これまた恐ろしい。
「うわお前。なんだ、その体つきは。やけに若々しい声は。あと一年でもすれば赤ん坊になってしまうんじゃないか。全盛期のお前さんでもこんなに若くは無かったであろう」
 俺の表情がコロコロと変化するのを、彼はちょいと鼻で笑ってから「そういう意味では、これが世代交代になるかもな」などと不穏を呟き、「非常事態だ。今から出勤しろ。我らの主が、お前を欲しているぞ」とこれまた嫌そうな顔を俺へ向けた。
 彼の発言から最初の数秒は、頭の回転が急な進展に追い付かず、あんぐりと口を開けてばかりだったのだが、彼に舌打ちをされてしまえばとりあえず行動に移すしかない。クリーニングから帰ってきたままで、まだ袋がかかった状態のスーツにあわてて袖を通し、一度左右を反対に履いてしまった黒い靴下を履き直しながら、事の詳細を彼に尋ねた。
「非常事態って、いったい何があって」
 ネクタイが曲がっているぞと注意され、新人時代を思い出すなと内心、苦笑した。
 彼は眉を下げ、少し言いづらそうにした後、開口した。「彼女がな、その……想い人に振られたらしい」思春期ってのはこれだから困ったものだ、と言い出す彼も、初恋相手の結婚式の招待状を、目を通さずにゴミ箱へ入れていたなと思い出し、頬が緩みそうになる。正直、拍子抜けした。
「なんだ、それだけで」焦ってまた結び直す羽目になったネクタイを、今度は丁寧に結んでいると「それだけとは何だ、それだけとは。お前の仕事と言うとろくなことが無い。これで良かっただろう」お叱りの声が頭に響く。嫌な上司だ。こいつが上司じゃなくて、本当に良かった。
「まあ、確かにそうだが、それはそれで残業になるだろう? 何とも、俺は彼女へ同情し辛いタイプでね。だからこの仕事へ就けたのだが」
 よし。鏡に映る、綺麗に結べたネクタイを見て惚れ惚れする。「ほら。この前の、って言っても1年以上前だが、彼女が映画を見て、感動した! とかいう理由で俺が出勤させられる羽目になっていた時期があったろう」
「確かに、そんな時期もあったな」
「感動したんだったら、お前を呼べば良い事を、どうして俺が出る羽目になっていたんだか。人使いの荒い主に雇われたもんだ」
 彼はゆっくりと支度している俺へまた注意をしてから「あの映画、悲しい系の映画だったんじゃないか? 感動ってのは色々なもんを包含しているからなあ」なんて、しみじみとゆっくり言うものだから、どうも急ぐ気になれない。
「笑い話で、涙が出るほど笑った! との理由だけで出勤させられるよりかはマシであろう」彼は自身を指さし、同情を誘う。
「まあ、それが俺たちにとっての天職だろう?」冗談を混ぜて言えば「確かにな」との返事が返ってくるものだから驚いた。
 彼の助言を受けながら髪のセットも終了し、若いころと比べると、良くなった点は目の下のクマが消えたぐらいであろうと密かに思い、さあ身支度はしっかりと済ませたと、ドアノブを握った。後は玄関を出て彼女の元へ向かうだけである。
「あーあ。お前の準備が遅いものだから、彼女、きっと独りで泣く羽目になるぞ」
 背中から嫌味が聞こえてきて、俺の家からいつになったら出ていくのだと聞くのも億劫で「お前と話していたのだから、友達へ向かって無理矢理笑顔を作っていたわけでもないだろう」と、ドアから覗く空へ返す。
「馬鹿か。作り笑いで泣くほど笑うやつがいるものか」
 背中へ当たった声へはもう返事をせず、さて、彼女が3日泣けば、俺は3年ぐらい若返るであろうと、未来への希望を胸に秘め、俺は地を蹴った。
 こんな所で自己紹介を挟むが、彼の名前は「笑い涙」であり、俺の名前は「悲し涙」であった。
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ヤギチュール
初見です。ワンライやってる人久々に見ました! がんばって!
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星のねこ
夏目漱石読んでる雰囲気で好きです
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泣かないで
初公開日: 2020年04月18日
最終更新日: 2020年04月18日
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 企画に参加するのは初めてですが、頑張ってみます。
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重カ