よれよれのスーツが肌に馴染み始める、残業帰りの夜だった。
 デリネーターが俺の車をキラキラの笑顔で迎え入れ、すれ違った途端に暗くなる。左手に見える住宅街はポツポツと明かりを灯し、ラジオが0時を告げた。
 眠気は常にあったが、この状況で寝てしまうのは自殺行為で殺人行為だ。空のコーヒー缶が助手席に横たわっていて、暗い車内でも寝てしまわないように万全の態勢をとっていた。ピピピピ、ピピピピ、ピピ……
 しかしそこへ、けたたましい緊急自動ブレーキ音が鳴り響いたものだから、俺は急いでアクセルから足を離す。
 車はもうすでに止まっていたのだけれど、条件反射には逆らえない。危ないな、誰かが飛び込んできたのか? 夜目の利かない人間は不便であるとぼんやり思うが、前へ目を凝らしても人影はどこにも見えない。……おかしいな。
 道路のわきに車を停め、周囲を確認する。やはり何も無いし、誰も居ない。自動ブレーキは小動物や大きな看板にも反応することがある、と購入時に説明されたのをうっすらと思い出し、ため息をついてからそそくさと車に戻る。
 シートにリモコンキーを置きっぱなしにしていた事に気が付き、乗りさりでなかったためまず安堵。シートベルトを締めながら、スマートキーの車を羨ましく思う。こっちは新車でこれだよと、虚しく思いながらエンジンをかければ、またさっきの音。ピピピピピ、ピピピピピピピピ、ピピピ……
 あれ、音が鳴りやまない。先週購入したばかりなのに、もう故障か? 音を止めるボタンとか無いのかと疑問を抱きながらも、少し迷ってアクセルを踏んだ。対向車の運転手が軽蔑の目を俺に向けている。家に着いたらまず文句の電話を掛けよう。
 ピピピ、ピピピピピ、ピピピピピ 意外と大きい警告音に急かされつつ、通行人や並行車から注がれているであろう冷ややかな目線に耐えながらも、スピードを上げた。いつもより交通量が少ないことに感謝して。下唇を噛みながら60mほど直進したところで、信号が赤になった。しかし、ブレーキを踏んでも車が止まらない。むしろどんどん加速しているように思える。
 ピピピピピ、ピピピピピピ、ピピピ……
 怖くなって、ブレーキを足で何度も押さえつける。機能するはずの自動ブレーキも利かない、どうして。乗せた左足が震える。俺の足に蹴られて新車が鈍く揺れた。誰も渡らない赤信号を、またもや通り越した。止まらない。ハンドルも停まってるみたいに、動かない。ブレーキアシストも? 利いていないかもしれない。
 ピピピピピ、ピピピピ、ピピ……
 この状況でエアバッグは利くのか? 微かな希望にすがってシートベルトを外せない。真っ白になった頭で手を掛けた窓は開かなくなっていた。嫌な予感がして右手でドアにも触れた……やっぱり、開かない。
 ピピピピピピ、ピピピピピピピ、
 いやだ、死にたくない。窓からの景色が光のごとく変わりゆく。この道、こんなに長かったっけ。そろそろカーブが、前に。人も車も、近づいてくれるな。
 クラクションを思い切り叩いたが、耳を裂く音が1つ増えただけだった。
 ピピピピピピピピピ、ピピピピ……
 いやだ。いやだ、いやだ。
 ピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピ
 *
 棚に置いたはずの目覚まし時計を、床に叩きつけていた。
 右足には掛け布団が巻き付いていて、カーテンを閉め忘れた窓からの日差しが、目覚めたばかりの瞼には眩しい。
 背中が痛いし、頭が重い。久しぶりの酷い夢だった。古い目覚まし時計には、朝の目覚めを良くする画期的な機能をつけてはくれなかったようで、掌に残る握りしめた形の爪跡は、ハンドルを握りしめていた証拠だろう。せっかくの休日をこんなにも最悪な方法で始めさせてしまうのは実に不愉快であるが、その矛を誰かに突き立てるのは申し訳ないし、物に当たる気にもなれない。
 しかし何故、3年前に買った車を新車だと思い込んでいたのか。何故、転勤前の会社へ続く道を走っていたのか。何故、緊急自動ブレーキを備え付けた車に乗っていたのか。夢に出る程だ、何か理由があるのだろうと考えてみたけれど、全く見当がつかない。
 先ほど電池が外れフローリングへ落ちた目覚まし時計を拾い、針が取れてしまっていないか確認する。正直にケータイのアラーム機能を使えばよかったものの、段ボールの底に眠っていたアナログ時計の古風な魅惑に負けた。
 そんな魅惑の根源は短い針で9を、長い針はこちらを指さしていた。まるで、悪いのは俺だと言うように。全く、その通りなものだから俺は反論できないけれど。しかし、もう折れてしまったとは。まあ、あんな夢はもう見たくないため、こいつのゴミ箱送りは決定していたのだけれど。折れた針でチクタク喋る目覚まし時計から、新品同様の単3電池を再び取り出して、資料の広がったローテーブルへ置いた。窓の外からの陽が眩しく、独り寂しいワンルームを優しく照らした。点けたばかりのテレビには新人のニュースキャスターが柔らかな笑みで現在の天気を語っている。正直、あの女性キャスターには緑色の服が似合うと思うのだが、それを見られるのは他番組であろうと静かに思想する。
 8枚切りの少し焦げたトーストと、箱を開けたばかりのインスタントコーヒーを腹に入れ、そう言えば今日は燃えないゴミの日だったな、業者はまだ来ていないだろうかと腰を上げる。テレビでは、先ほどのキャスターが都市部の市長選挙の話をしていた。
 ゴミ袋へ、少しばかりの罪悪感を添えて目覚まし時計を入れる。あとは底の焦げた鍋と、いい加減に料理を練習しようという決意を入れた。決意は多分、燃えない。
「あ、木曜日さん。今日は遅いですね」
 ゴミ出し帰りであろう、月曜日さんと鉢合わせた。彼とはいつもスーツで会うものだから自らの上下スウェット姿に違和感を覚えるが、彼は青いジャージに、『誠心誠意』と、でかでか印刷された紺のインナーを着ていて思わず笑ってしまった。
「ええ、何ですか。そのTシャツ」
 
今日は終わり!! 疲れた!
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みんなに嫌われている月曜日さん@一次創作
初公開日: 2020年04月09日
最終更新日: 2020年08月13日
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コメント
 なろうで冒頭だけ書いて、しばらく放置していた「みんなに嫌われている月曜日さん」をちょっとだけ書きます。
 たまに止まる時は、辞書を開いているor考えているときです。
 ゆるーく。配信テスト混じりで。