テストです…
『さまささが本の話をするだけのお話』
眩しさに目が覚めた。普段開いているか閉じているかもよくわからないその目をうっすら開け、また閉じる。カーテンのない東向きの窓から差し込む日差しの強さに目を覚ました簓は、最悪の目覚めだと顔をしかめた。
太陽の位置から、午前もだいぶてっぺん近くにまでなった頃かと踏む。昨晩遅くにベッドに引きずり込まれてからもう十二時間近くは経ったのか。
体を起こし隣でいまだ泰然と寝こけるそいつに、目覚める気配はない。簓は鼻から息をひとつ吐くと、ベッド下に脱ぎ散らかされた自分の衣類をかき集め、検分することしばらくののち、ようやく煙草のソフトケースを発見した。先端に火をつける。肺いっぱいに充満させるようゆっくりと息を吸い、同じ時間だけかけて煙を吐き出した。いい天気である。
「……簓ァ?」
「おそようさん。やっとお目覚めですかぁ」
猛獣が喉奥を鳴らしたかのような低い唸り声をあげ、そいつもお目覚めのようだった。
「何時だ」
「ええと、今はな……おん、11時やそうです。腹減ったわ」
あたかも随分前から目を覚ましてましたよ――と言わんばかりの口調で簓は言う。壁にかかった時計の針の位置を確認した途端、体が空腹を意識したらしい。
「冷蔵庫なんかある? それか、簓さんがコンビニでも行ってきたろか」
「いい。要らねェ」
「ん? ジブンまだ腹減っとらんの? もう昼前やで」
そいつは返事の代わりにのっそり体を起こすと手を伸ばし、簓の口に加えられていた煙草を奪った。腹は空かんのに煙草は吸うんかいなと、簓はそれの行方を眺めていたが、そいつはまだ半分以上の長さを残したそれを、サイドボード上の灰皿に捨てよった。捨てよった。
「はっ!? もったいなっ! 何しとんねん! 煙草を粗末にしたらもったいないオバケが出るって習わんかったんか!?」
当然憤る簓だったが、大真面目な顔をしたそいつは自分の上にのしかかってくる。は? ちょ、何?
「は? ちょ、何?」
「朝飯ならここにあるから、要らねェっつったんだよ」
「ちょいちょいちょいちょい」簓は青くなって後ずさる、!後ずさるが、狭いベッド上に――それがたとえキングサイズであれ――逃げ場などあるはずもない。「ちょっと待ってえぇ!!」あれよあれよという間に、左馬刻のうつくしい顔越しに、天井を拝んでいる。
「昨日散々シたやろ! もういいです十分です! ノーサンキュー!!」
「あァ? 俺様はあんなもんじゃまだまだ足りねェんだよ。大人しく抱かれやがれ」
「いやいやいや! ワイの体の負担もちょっとは考えてくれ!」
「考えてんだろ。今日は土曜だ。予定も無ェ。なんの不都合があるってんだ?」
可哀想な簓の抵抗むなしく、遅めのモーニングとして
おいしく召し上がられるハメになったのだった。
*
そしてそれから数時間。
簓は無事遅めのランチにありつくことができたが、いまだベッドの上から降ろして貰えずにいる。何するでもなく隣で寝たばこを決める――いつも危ないて注意してんのにこいつは――左馬刻の隣で、簓はいい加減惓んでいた。
「なぁなぁ、サマトキサマぁ」
「んー――」
何度呼びかけてもこれだ。返ってくるのは気のない返事ばかり。
「映画でも見いひん?」
暇、などというワードを使うといつまた第nラウンドが始まるかもわからないので、言葉を選びつつ、ベッドから降りる口実を探っている。
「……興味無ェなあ」案の定というかの想定内のお返事。「てめえが見てェなら勝手に見れば。iPadでもスマホでも何でも見れんだろ」
「ちゃうやんか!」酷い彼氏である。「ワイが言いたいのは一緒に何かやな」と、言いかけて、ハタと止まる。これはチャンス。「……ジブンが見いひんねやったらつまらんし、本でも読もっかなあ」
「勝手にしやがれ」
「では、お言葉に甘えまして」
いそいそとベッドから逃亡しようとする簓の腕を、そいつは捕まえた。「おいどこに行く気だ」
ギクリと体が強張る。「どこって」やっとお外の空気を吸うチャンスである。「シャワー浴びて、出かける用意せな」逃すものか。
「出かける?」獰猛な視線が、か弱い草食獣(=簓)を射る。「なんで出かける必要があんだ」
ええ――。
「じっ、ジブンがええって言うたんやろ! 本読んでいいって」
「勝手にしろとは言った。でも出かけていいとは言ってねえ」
「理不尽!」
ぎゃあぎゃあと簓は喚いたが、左馬刻の方は不可解そうに眉をひそめ、「本なら家にたくさんあんだから、勝手に好きなもん読めばいいだろうが」と言った。ん?
「ん?」
「たくさんあんだろうが、本。どれでも好きなの読めばいいだろ」
「あんの……? 本? なんの? どんな本?」
この家に出入りするようになって久しいが、本など一度も見たことがない。こいつ、本というものの概念が人とは違ってんのかもしれんなと、簓は疑いはじめていた。
そんな失礼窮まりない思考回路を読んだ訳でもなかろうが、左馬刻のうつくしいご尊顔があからさまに苛々しはじめたのを見て取り、簓はへらへらして礼の言葉を口にしたのだった。
*
「おぉ、ホンマに本ある。本、ホンマにあるってな」
「くだらねェことばっか言ってっとその口縫い合わせるぞ。どれでも好きなの取っていけ」
そこは、これまで一度も足を踏み入れたことのない、彼いわく書斎だそうで、キャビネット付きの立派なテーブルに、一脚十万円はする高機能なオフィス椅子。その背後の壁一面がたしかに、本棚になっていた。
「へぇー。ジブン小説なんか読むねんな。見たことなかったわ」
「たしかに俺様は学は無えけど、いずれ組を背負って立つ男が能無しのボンクラだったら困るだろうが」
「それもそうですね」
「あ? 今笑ったか?」
「わっ、笑ろてないやん誰も! すぐそうやって凄む癖、辞めてもらえます?」
主に経営学や戦略書などビジネス書が目立ったが、隅の方の一角は、全て小説だった。
「おっ、路上やん。お前、こんなん読むの」
「悪いかよ」
「ケルアックにバロウズに、ブコウスキー。意外やな、ビートニクが好きなんか」まあさすがハマ出身というか、アメリカ人の本ばっかりやけど。「お前はもっと職業柄、なんというか、ノワール系かと」
「まあ、昔のものはな。ヘミングウェイとかマッギヴァーンとか。あとはチャンドラーくらいか」
「フィリップ・マーロウな! ワイも好きやわ、探偵モン」
素っ裸にブランケット一枚羽織っただけの恰好のまましゃがんでいた簓は、隣に立つ左馬刻を見上げて笑った。
何かしらのスイッチが入った。左馬刻は神妙に頷くと、簓が手にしていたケルアックの小説を再びもとの場所に戻した。「は?」そして、ぽかんとこちらを見上げるそいつの腕をグイと引っ張り立ち上がらせる。
「は? え? しょ、小説は? ワイら本を探しに来たんとちゃいましたっけ」
「見たろ。十分」
「みっ、見たって表紙しか見てないわ!」
それに左馬刻は答えない。ぎゃーぎゃー喚いたところで身長差十数センチ、おまけに体格差のせいで、こうなればもう簓に分はない。
結局手ぶらでベッドに逆戻りした二人が、その後数時間、概念としても物理的にも本に触れることはなかったのだった。
おわり(おわった…