花咲乙女と神様の庭
麗らかな日差し。
薄いガラスをすり抜けた日差しが、温室内に茂った葉の緑をステンドグラスのように透かし、地面に淡くその色を広げていく。
美しく咲き誇る大輪の花々。小さなこの温室の中は、まさしく極彩色の世界。ある者は楽園のようだと言い、またある者は、他者を誘惑する魔性の家といった。
鍵を開け、中に住む者たちを驚かせないように、そっと温室の中に入る。視界に過った亜麻色の波に、僕は声をかけた。
「おはよう、リリィ。調子はどうだい?」
「ん、いい、よ」
未だ幼さを残した少女の声。鳥のさえずりにも似た小さな囁きは、普段よりもいくらか上機嫌に聞こえる。「よかった」と、そう呟きを落としたのは無意識で、そんな自分に思わず笑ってしまった。
植物たちを傷つけないように注意しながら温室内を進む。
温室に住まう小鳥たちの声と、風が揺らす草葉の掠れた声。それに混じって、パタパタと忙しなく動く足音は、徐々に僕の元へと近づいてきているのがよく分かった。
「ユウ」
足音の持ち主は、ひょっこりと薔薇の生垣から顔を出す。
きらきらと輝く亜麻色の長い髪に、真っ白なワンピースがよく似合う、小さな女の子。小さな口から紡がれるのは高く澄んだ水琴のような声。
「ユウ、できた」
まるで人形のように美しい少女の腕には、大輪の薔薇の花が抱えられていた。
踵の低い靴をペタリペタリと動かしてそばにやってきたリリーの髪を撫で、差し出された花を受け取る。
「ありがとう、リリィ。今日もとてもきれいに咲かせてくれたんだね」
厚く、瑞々しい花弁。丁寧に整えられた茎には棘の一つもありはしない。
無駄な傷、太陽に焼けた跡も、虫による傷みの無い、それは完璧なものだった。
花の状態を確かめ、問題がないかを一頻り確認し終えたそれを、僕は片手に下げた水入りのバケツへとそっと挿し入れる。勿論、傷をつけないように、細心の注意を払って、だ。
「さてと。リリィ、支度をしよう。今日もお客さんは沢山いらっしゃるからね、うんとおめかししていこう」
宝石を埋め込んだように透き通った黄金を縁取る、孔雀の羽のように豊かな睫毛がパシパシと瞬く。
少女の名前は、リリィ・ベル。
この街唯一の花咲乙女で、僕の唯一の家族だった。
赤い煉瓦の道に響く喧騒。どこかレトロな雰囲気を持つ建物たちは、昔の王国時代からある景観を再現したものらしい。
街全体に張り巡らされた水路は、今でも運送や観光に使われているほど丈夫なようで、ここに住む者は皆、水と植物と一緒に暮らしていた。
そんな、穏やかさを体現したこの街のメインストリートに、僕の店「フローラリア」はある。
元々、祖父母が住んでいた家を改装したこの店は、一見ただの民家のように見えるが、中は沢山の花で満たされた、まさしくフローラリア……つまり、花畑のようである、と人気の場所だ。
「こんにちは、ユウくん!こんな時間にお邪魔してしまって、ごめんよ」
「いらっしゃいませ~。いえいえ、お気になさらずゆっくりしてらして下さい」
いつもより少し洒落た服装をまとった柔和な男性、ランディさんが、店内へ駆け込んできた。
やはり開店前の扉を開けるのには抵抗があったようだ。何やら落ち着きなく両手を動かしている。
「すみません。完成には、もう少しかかりそうなんです」
「いや、時間まではまだあるから気にしないで。……ちょっと落ち着かなくて、早く来ちゃっただけなんだ」
「良かったら、紅茶でも出しましょうか」
「あー……お願いするよ」
「喜んで。リリィ、頼めるかい?」
返答は、カチャリという小さな音で返ってきた。
ランディさんは近くから丸太を切った椅子を移動させ、作業台の傍へとやって来て腰を下ろす。興味深そうに注がれる視線に、どうにも落ち着かない気持ちになるが、彼の事情を知ればこそ、その行動にも納得できるというものだ。
「……本当に、見事な手際だなぁ」
「一応プロですから。ランディさんはどうです、その後は」
薔薇の花をまた一本手に取り、僕は問いかける。
「まぁ、その……なんだ。色よい返事は、もらえると、思う。……たぶん」
「ふふっ、そこは自信もって下さいよ」
段々と小さくなる声に反して赤くなった耳。
まるでこの手に持った薔薇のようだ、なんて、流石に揶揄いはしないけれど、見ていて面白くはある。
クスクスと笑っていると、「他人事だと思って……」と恨みがましい声を向けられたので、「すみませんね」とすかさず謝っておく。
ふわりと花の香が過ぎ去り、お茶の準備が済んだらしいリリィが、コトリと作業台にティーカップを置いた。
「紅茶、です」
「お、ありがとう」
ランディさんの手が、リリィの頭を撫でた。
「リリィちゃんが、この花咲かせてくれたんだってな。……本当に、ありがとうな」
「リリィ、この人が君に薔薇を頼んだ人だよ。彼、この花で恋人さんにプロポーズするんだって。……リリィも良かったら応援してあげてね」
きょとんとした瞳が、ランディさんに向く。何を言うべきか悩んでいるのだろう。小さな口を幾度か開け閉めしたリリィは、やがて一言だけ彼に言葉を投げた。
「……だい、じょうぶ」
きゅっと眉に力を入れ、小さな手は拳を作っている。
「……リリィちゃん、うちに来ない?」
「はいはい、恋人さんと仲良くしてくださいねー」
確かにリリィは可愛いが、どこかに嫁がせる気は毛頭ない。
さっそく出来上がった花束を、ランディさんの横にそっと置く。
香り高い真紅の薔薇に小さく添えたカスミソウ。息をのむほどの圧倒的な美しさと、永遠に損なわれない可憐さ。彼がプロポーズに込めた想いと、それまでの二人の思い出を聞いて作った、至極の一品だ。
「……花咲乙女が咲かせた花は特別です。彼女たちが咲かせた美しい花は、種を託した者の想いを反映させます。尊い感情であれば美しく、悪意があるなら、それは醜く。……応援してますよ、ランディさん」
「……ありがとう、ユウくん」
残った紅茶を一息に煽った彼は「よしっ」と気合をいれると、大事そうに花束を抱え扉へと歩き出す。
「ご武運を祈ってます。次はぜひ、彼女さんも一緒に」
「ああ、頑張るよ」
代金の支払いを済ませて、彼は店の扉を抜けていく。
「うまくいくと良いね」
「……うん」
こくんと頷いたリリィの頭を撫で、僕らは店内へと戻る。開店時間まではもう少しあるから、花たちの様子を見ておきたかったのだ。
「うーん、少し元気がないね……。リリィ、頼めるかい?」
少し萎れてしまっている花を、リリィがそっと両手で包み込む。それは祈りを捧げるかのように神聖なもののよう。淡い光が数秒に渡って辺りを照らし、小さな手がゆるりと解かれると、萎れた花などどこにもなく、美しく咲き誇る大輪の花が鎮座している。
花咲乙女の力のひとつと分かってはいるものの、いつ見ても奇跡にしか思えない。
一つ一つと花を見て回り、開店時間になるころには、全ての花がすっかり元気を取り戻していたのだった。
花咲乙女、それは人間と同じ容姿を持ちながら、人間ではない生き物のこと。彼女たちはその名の通り少女の姿をもって存在し、例外なく花を咲かせる。それは、自らの身体からであったり、あるいは声、あるいは涙によって、土に植えた種を芽吹かせることもある。病か、または妖精の一種とも言われてきたが、その生態は、人間の生活のそばに置かれるようになった今も、依然として不明のまま。ただ一つ分かっているのは、彼女たちは花と共に生きることで、その美しさを増し、また生存できるということだ。
なかでもリリィは、花を咲かせること以外にも、こうして摘み取られた後の花たちのメンテナンスまでできる非常に優秀な子であったため、花屋を経営する身としては非常に助かっている。ちなみに、最初こそ「花咲乙女が店頭に居る」という珍しさに人が集まって来ていたが、今では珍しさというよりは、彼女の成長を見守る、みたいな風潮が出来上がっているという事を、僕はつい先日知った。
開店した後しばらくして、近所に住むご婦人方が数名訪ねてきた。
近くのテーブルに案内し、雑談に花を咲かせる彼女たちに紅茶を振舞いながら、あれこれと飛び出してくる会話に相槌をうっていく。
彼女たちは、いわば友人のようなもので、こちらが花やガーデニングの知識などを提供する代わりに、料理など、家事のコツを教えてもらっているのだ。
「ユウちゃんは本当に真面目で優しくって……はー、うちの息子にも見習わせたいわぁ」
「はは、彼も最近新しく資格を取ろうと勉強してらっしゃるそうじゃないですか。良い息子さんじゃありませんか」
「あら、やっぱり噂になってる?」
「少なくとも、僕の耳に届くくらいには」
長閑な昼下がりに、穏やかな笑い声が響いた。
「ああそうだ、ねぇユウさん。リリィちゃんは、何か食べられないものとかあるのかしら?」
「食べられないものですか?……特に無いとは思いますけど」
並べられた花を見つめ、買って帰ろうかと悩んでいた一人のご婦人が、ふと思い出したように言った。
今日はここまでです。