「まーさーくーにー、悪かったって…」
 なんと諦めが悪いことだろう。ノック音と謝罪の言葉は、しつこくドア越しに流れてくる。最初の頃こそ「うるせぇ」と応えはしていた正国だが、声の主は戸が開くまで諦めそうになく、小一時間はとんとん、こんこんと、合板のドアを叩き、情けない声で詫びを述べ続けているのだ。
「正国、まさくに、ってば」
「あー、っとに!うるせぇ!」
 抱えていたクッションをドアの方に投げたはいいが、無印のビーズクッションはしゃらん、と覇気なくへたって、床に落ちた。もっとハリのある音を出せよと言いたくなるが、一応あいつを黙らせるのには役に立ったようだ。ドアの向こうは静かになり、これでやっとーー。と、思ったのも束の間、また再び、とんとん、こんこん、ごめん、許して。正国は周りを見渡したが、投げられる物は腕の周りにはもう無く、みーんなドアの下に落ちているのだった。
 このご時世、御手杵の会社は早々に在宅勤務となった。外資系の会社だ、元々リモートワークやWeb会議はしょっちゅう行われていて、だからヘッドセットに飲み物を置いた御手杵がリビングで何やら英語を話す姿も、正国には見慣れた物だったのだ。
 その日も、正国が帰宅した時間にも、御手杵はローテーブルの上のラップトップに向かって、何やらぶつくさ呪文を唱えていた。本社の時間に合わせてんのか、とそろりそろり、静かに部屋を横切る正国に、御手杵は来い来いと手招きした。その真剣な顔に、正国もつい真剣な顔で近づいた。すると
「He's my partner!!」
 モニターに写った、いくつもの画面。色んな肌や髪の色の連中が、一斉に顔を緩めるのがわかった。目の前のミニカメラが、正国の呆気に取られた顔をはっきりと捉え、その画面の中に映し出している。キョトンとしてるのは、正国だけだ。
 祝いの言葉はわかる。囃し立てるのに口笛が吹かれ、拍手拍足の音は万国共通ってのもその時わかった。要は御手杵の奴、webを会議中に正国を紹介したってわけだ。
 人種とか性別とか国籍とか関係なく、気持ちが通じ合った者同士が祝福されるのは当然である。ただ、祝福される時間とかタイミングとか、当事者が選べないのはどうなんだーー。
 突然の一方的な『お披露目』に腹を立てた。正国の篭城の理由は、そんなところ。突然世界中から祝われ、その場をさっと離れたが、怒ってるのは明白だから、御手杵はずっと謝り続けてる、ってわけだ。
「だってさ、みんな家族紹介してんだぜ、だから」
「……知らねぇ、ってんだろ!」
 さて、この怒りはなんなのだろう。クッションを投げてしまったから、狭い自室では、もう冷たい床に寝そべるしかない。一応トレーニング用のマットはあるが、丸まったままドアに激突して、クッションの下だ。床の冷たさは、正国をクールダウンさせるにはちょうどよかったらしい。とんとん、ノック音に耳は塞いでいたが、次第に思考は冷静になっていく。フローリングの筋目を目で追いながら、自分は一体何に怒っているのかと、そこで正国は改めて思い返す事になったのだ。
 共に暮らすパートナーであるとバラされたからか?それが、正国の許可なく行われたからだろうか。
 そもそも、自分達の関係を公にするかどうかを、曖昧にしてきたのは、正国の方だった。家族とかなんだとか、そういうしがらみがこの国の社会のあちこちに張り巡らされてて、どうやら自分は、その糸が紡げない者である認識が、正国には強く、つよーく心の底に沈んでいたのだ。いや、国のせいにしてはいけない。公にしろ私にしろ、プライベートの『特殊』な事項が、外の場に出せるだけの度量が、まだ正国には無いという事かもしれない。御手杵には当たり前の事を、自分は自分の考えで、縛り付けていたのかもしれないーー。
 春はもう来ているはずなのに、暗い部屋で冷たい床に寝転んでいては、流石に冷たさが身に染みる。だいたい、帰ってから着替えてすら居なかったと、物が散乱したドアの方を見ると、いつの間にかノックしまくる音は消えていた。声も、気配もせず、本当にドアの前から去ってしまったようなのだ。
「……諦めた、のかよ」
 複雑な気持ちだった。が、ずっと無視してたくせに、いざ相手にされなくなると寂しくなるとか、めんどくさい女かよ、と正国は床から体を起こして、静かにドアの方に向かった。
 散乱したクッション、トレーニングマット、ターザン最新号、大山倍達のバスタオルをかき分けて、少し合板に耳をつける。そして、御手杵が本当に居ないとわかると、そっとノブを下ろして、戸を開けた。
 廊下の電気はついたままだった。暗い部屋に真っ直ぐの光が差し込み、思わず眉を顰めた正国。そして、目の前にある物を見つけてしまったのだ。
 小さめの、ピンク色の、楕円形のーー。
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初公開日: 2020年04月12日
最終更新日: 2020年04月12日
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