1
「ただいまー。」
玄関から響く亮平くんの声を聞いて、慌ててぐらぐらと水面を揺らす火を止めた。
パタパタとスリッパを鳴らして玄関まで行くと、亮平くんはちょうど靴を脱いでスリッパに履き替えてる最中だった。
『おかえりなさい。』
「ただいま。」
改めて言われるその言葉には他の言葉にはない安心感がある。
「あ、そういえばさ。じゃーん。」
にこやかな笑顔を浮かべる亮平くんが私の目の前に差し出したのは、取っ手の付いた真っ白な箱。
「ケーキ買ってきちゃった。夕食の後とかにどう?」
優しく問いかけるように亮平くんは小さく首を傾げた。
『うん!ありがとう。』
亮平くんからケーキを受け取って冷蔵庫にしまおうと くるりと体の向きを変えた。
「あー、まじで臭かったあの女。最悪。ごめん。俺すぐにシャワー浴びるわ。」
ぼそりと吐き捨てた亮平くんは急ぎ足で私の横を通り過ぎる。
その瞬間、独特な匂いがふわりと香った。少しキツめの女物の香水とそれにも負けないような鉄臭い匂い。
2
嫌でもツンと鼻を突くその匂いに思わずぎゅっと顔しかめた。
あぁ、ご飯…食べてきたんだ。こんな異様な匂いを嗅いでも もうそんなふうにしか感じれない私はたぶん普通じゃないんだろうなぁなんて。普通になりたがったことなんて1度もなかったくせに考えた。
誰も居ないキッチンに戻って、冷蔵庫にケーキをしまってからまた夕食の準備に戻った。
少し冷めてしまったお湯を再び温めるためにコンロに火をつけた。勢いよく着火したそれは簡単に大きめの鍋の中のお湯を沸騰させた。少しだけ火を弱めてから多めに塩を入れた。そこに1人分のパスタの束をひねって入れると、ザザっと音を立てて等間隔にパスタが広がった。
早ゆでパスタを書いてある時間より短い時間でお湯から引きあげて、絡まらないように少しのオリーブオイルを回しかけてからお皿にいれてふんわりとラップをかける。
ソースを作ろうと生クリームや牛乳を準備する。まず先に少し厚めに切ったベーコンをほんのり焦げ目がつくまで炒めてから、その中に玉子や牛乳、生クリームを加えてカルボナーラのソースを作っていく。少しずつ味見しながら調整してから取り上げておいたパスタをフライパンに戻してソースと絡める。段々と美味しそうな匂いをさせ始めたそれが嬉しくて よし。と小さく呟いて心の中でちょっとだけガッツポーズをした。
3
「あ、今日の晩御飯はカルボナーラ?」
お風呂から上がった亮平くんはスンスンと鼻を鳴らしながら私に問いかける。
『うん。もうできるところだよ。』
パスタとソースを絡める手は止めずに返事だけした。
ある程度絡めてから白いパスタ用のお皿に盛り付けて、最後に黒胡椒を振りかけた。
パスタは落とさないようにお盆に乗っけて、あらかじめ作って置いたサラダに冷蔵庫から取り出したシーザードレッシングをよく振ってから回しかけた。サラダとパスタを2人がけのダイニングテーブルの上に置くと、見ていたテレビをパチリと消して亮平くんは座ってたソファーから私の向かいの席に座った。キッチンに戻って私用の麦茶と亮平くん用のお水を用意してまたダイニングテーブルに置く。さぁ晩御飯にしようと座ったテーブルの上には、亮平くんが開いた小さなノートパソコンと1人分の晩御飯。はたから見たら異様なはずのこの食卓も私たちの中では当たり前のもの。
『いただきます。』
きちんと言葉にしてしっかり手を合わせていただきますをした。くるくるとソースのよく絡んだパスタを巻いてゆっくりと口に運ぶ。その様子を亮平くんはしっかり見ながら、ブラインドタッチでぱちぱちとノートパソコンで文字を入力していく。
「どう?おいしい?」
まるで自分が作ったものかのように私の食べてる様子をマジマジとみながら感想を聞く亮平くんと目を合わせて、
『うん。ベーコンがカリカリでぷりぷりに茹で上がってるパスタと食感が違ってすごく楽しい感じ。今回ソースにね、隠し味でちょっとチーズ入れてみたから、だいぶ味にも深みがあって濃厚に仕上がってるよ。』
テレビ番組のような食レポをするのはこれが私に与えられた役目だから。
「へー。美味しそうだね。」
相槌を打ちながらもすごいスピードで動く手は止まらない。
ぱちぱちと鳴り続けるキーボードの音聞きながら そのあとも静かに食事を続けた。
「ねぇ、1口ちょうだい?」
ある程度食べ進めたところで声をかけてきた亮平くんは小さく身を乗り出してきてて、自分が食べようと巻いていた1口分のそれを亮平くんの口元に持っていった。亮平くんの口に入る前にちらりと確認したそれにはちゃんとベーコンも乗ってた。ぐわりと大きく開かれた口の端には帰ってきたときに付いてた赤黒い血はついてなくて、あぁお風呂入った時に歯磨きもしてきたんだなぁなんて小さく余所事を考えた。
ぱくっと一口で収まったパスタを亮平くんは不思議そうな顔で咀嚼する。ゆっくりと噛み締めるように味わったそれがごくんと嚥下されて、亮平くんはふぅと小さく息を吐いた。
「この前作ったときと違うのはチーズだけだよね?」
『うん。今日のカルボナーラはこの前のレシピと一緒でただチーズ入れたか入れてないかの違いだけだよ。』
亮平くんが抱いた疑問が解決する糸口になればと質問に答える。
「んー。なるほどねぇ…」
食べ終わったはずの口を小さく動かしながらパソコンに目を移した亮平くんはまたぱちぱちと文字を入力していく。
「ごめん。もう大丈夫。ありがとね。」
そう言ってから亮平くんは用意しておいたお水をぐびぐびと音を立てて飲み干した。
それを見てまた分かりきってるはずの事実を認識する瞬間が実は1番辛い。私たちのこの関係が生まれた理由でもあるそれは、私がこの関係を変えられない理由でもある。
真剣にパソコンと向き合う亮平くんにはこの気持ちは分からないんだろうなぁなんて考えながら、お皿の上に取り残された最後のベーコンをフォークで突き刺した。ぷすりと肉を裂いてフォークがずぷずぷと刺さっていく感触に少しだけ亮平くんに近づけた気がして喜びを感じた。
なれないものになりたいなんて、そんな欲張りなこといつまでも願い続けてたらいつかバチが当たるのかななんて考えながら、口内でじゅわりと油を広げるベーコンと それをおいしいと感じる自分に心底嫌悪した。
亮平くんと私の関係は一体なんて呼ばれるものなんだろう。何度も思考したことのあるそれは何度考えたところで答えになんてたどり着かない。だってこんなの普通ではないから、当てはまる言葉が無いのも当たり前。それでも何か明確に私の存在を定義する、そんな何かが欲しい。そんな不確かなものに縋ってしまいそうになるくらいに私は弱虫だ。
亮平くんはもう何冊も本を出してる小説家で、最近は担当さんとよく打ち合わせしてるから、たぶんまた新しいお話を出版するんだと思う。
していつもよりも少しだけ良く見える亮平くんの表情と肌とかの雰囲気。それから分かるのは亮平くんは外でご飯を食べてきたということ。それは私が関係することではなくて、亮平くんが亮平くんのタイミングで食べたい時に食べたいものをたべたらいいとは思うけど、毎回どんどんひどくなっていく女物の香水の匂いにめまいをかんじるように
阿部ちゃんは喰種で小説家。ヒット作も何個かある。【人間が喰種を飼う話とか。】
「先生、本当にリアルにお話書かれますよねぇ。まさか本当に喰種を飼ってたりしないですよね?」
「そんなわけないじゃないですか。喰種なんて見たこともないですよ…。全部集めた情報から想像しただけの作り物です。」
とか言いつつ自分が喰種なんだよね。しかも人間を飼ってるんだよね。
「先生のお話は本当に描写が細かくて素敵です!特に味とか匂いの表現の仕方がすごく好きです!」
阿部ちゃんは喰種で小説家。ヒット作も何個かある。【人間が喰種を飼う話とか。】
「先生、本当にリアルにお話書かれますよねぇ。まさか本当に喰種を飼ってたりしないですよね?」
「そんなわけないじゃないですか。喰種なんて見たこともないですよ…。全部集めた情報から想像しただけの作り物です。」
とか言いつつ自分が喰種なんだよね。しかも人間を飼ってるんだよね。
「先生のお話は本当に描写が細かくて素敵です!特に味とか匂いの表現の仕方がすごく好きです!」