第一章
喩えるならば、トーキョースプロールは美しい迷路だ。
整然さに支配された都市には、余分なものが一切ない。
この都市は整然さに支配されている。この都市の無機質な秩序を守っているのは、「マザー」によって制定された厳格な法とアンドロイドだ。
この都市は平和そのものだが、それは仮初の平和に過ぎない。平和という名の水槽のようなものだ。水槽の中にいる人々は安全安心かもしれないが、そこに真の意味での自由はない。人々はアンドロイドという名の秩序に支配された、奴隷に成り下がってしまっている。
中には仮初の平和に息苦しさを感じる人間もいる。少なくとも私は、そちら側の人間だ。そういった人間には、路地裏のような光の届かない場所はかえって心地がいい。大昔のフィクションに出てくるような、不良が屯していたりジャンクが投棄されていたりといった汚さはない。ものの、秩序の目の届きにくいこの場所は居心地がいい。一度入り込めばそれこそ迷路のように複雑だが、その分サイバーポリスも入りづらくよからぬことを企てるにはちょうどいい。
しかし、光が届かないというのは、必ずしもいい方向に働くとは限らない。私のような「反乱因子」が悪事を働くのに相応しい場所、ということは、彼女たちにとっても汚れ仕事をするのに適した場所ということなのだ。
現に今この瞬間、私は袋小路に追い詰められている。目の前にいるのは、一人の少女。
「もう逃げ場はありませんよ。おとなしく投降するか、あるいはこのレーザー銃の餌食になってください」
栗色の髪をツインテールに結った、あどけない見た目の少女。しかしあちらこちらから小さな光を発したメタリックな恰好、今しがたの言動、そして口元どころか眉一つ微動だにしない無機質な表情は、「少女」とはあまりにもかけ離れていた。
彼女は、人間ではない。アンドロイドだ。
「見ない顔ね。新顔は随分と可愛らしい姿をしているのね」
「新技術を搭載した最新型アンドロイドのプロトタイプ、それが私です。識別番号22、通称『セリカ型』。以後お見知りおきを」
そう告げながらも、彼女は視線の先も銃口の先も、表情も何一つ変えないままだ。少女のような見た目をしながらも、恐ろしいほどに隙が存在しない。
「そうね、覚えておくわ。ここから無事逃げおおせたら」
彼女には隙はない。最新型アンドロイドと言っていたが、事実性能も実力も既存のサイバーポリスとは桁違いだった。たった一人のアンドロイド相手に、袋小路まで追い詰められたのは初めてだった。
しかしこれで終わるようだったら、とっくの昔に斃れていたことだろう。ここで終わるような人間に、「レジスタンス」など立ち上げることは不可能だ。
「……な」
聞こえてきたのは、セリカの小さな声だった。最新型アンドロイドとはいえ、私が横の壁へと走り出すのはさすがに予想できなかったのだろう。壁目掛けて跳躍、勢いよく蹴り上げ、三角跳びの要領で壁を上っていく。咄嗟に飛んできたレーザーは、既に私の影のない壁を掠めて焦がしていく。
「話には聞いていましたが、これ程の身体能力とは」
「ごめんなさいね、可愛げがなくて。ここまでできないと、リーダーとして示しがつかないもの」
壁を伝って、セリカの背後へと回る。地面に着地した瞬間、彼女を置き去りにせんと一気に駆け出す。
「待ちなさい」
「レジスタンスのリーダーが、待てと言われておとなしく待つと思う?」
無慈悲にレーザー銃を構えながら、セリカが追いかけてくる。彼女が構えているのは捕捉用の武器、殺傷能力は低いが当たれば身体が麻痺してしばらくは動けないだろう。当たれば終わり、という点では凶器とさして変わりはない。
「キサラギチハヤ。貴方の行為はアンドロイド法第○○条第三項への抵触、すなわちトーキョースプロールの平和を脅かす行為です。今投降すれば数年の禁固刑で済みますが、これ以上続けるようであれば終身刑、最悪貴方を排除しなければならなくなる」
「平和」や「秩序」とは程遠い単語を並べながら、彼女は等間隔に足を走らせて迫ってくる。
「あなたもトーキョースプロールの市民の一人です。私たちも物騒な真似はできれば行いたくない。キサラギチハヤ、今すぐ投降してください」
後方を一瞥して確認した彼女の顔は、まるで凍ったみたいに固まっていた。彼女たちに本心など存在しない。あたかも私のことを心配するかのような先ほどの言葉にも、文言どおりの「感情」などありはしないのだろう。
「投降はしない。捕まえたいのなら捕まえてみなさい。その銃で、撃ってみなさい」
毅然と言い放ってみせるものの、余裕があるという状況でもなかった。距離が縮まっているわけでもないが、引き離せていないのも事実。拡張端末らしきものを表示して何度か確認している辺り、セリカも全ての道を把握しているわけではないのだろう。しかしそれは私とて同じで、入り組んだ路地裏の全てを把握できているわけではない。
表へ逃げ出すことも、彼女が許してくれる気配はない。このまま鼬ごっこが延々と続くのか、と思ったそのとき――
「こっちです」
右腕が、引っ張られた。