夏が始まる。
 まるで炎を携えているような熱い風が街を駆け回る。城下の人々はそれでも汗を拭いながら、日々自分に与えられた仕事に精を出していた。メインストリートを進んだ先にある広場では、商人達の活気ある声が空高くまで響いている。キースはそれを城の窓から眺めながら、自分ももうひと頑張りだと気合いを入れ直した。机には減らない書類の山と、飲みかけの冷めたブラックコーヒー。年季の入った万年筆は最早相棒と言っても過言ではない。オフィスチェアに再び腰掛け、もう一度万年筆を手に取ったところで執事がやって来た。
「キース様、今晩の会食は十八時となっております」
「ああ、分かっている。それがどうした」
「……トロイメアの姫君もいらっしゃるそうですが」
「だから何だ」
 執事の下世話な笑顔をキースは睨みつける。彼は幼い頃からキースの傍に仕えているからこそ、時たま無礼な物言いをすることがあった。それもキースと親しい間柄故のことではあるが、キースにも触れられたくないことだってある。
「今夜はダンスパーティーも催される予定です。きっとトロイメアの姫君ならお相手に困ることはないでしょうなあ」
「姫は主催国の王子である俺と踊ると相場が決まっている」
 意地っ張りにキースが言えば、執事はふふと小さく笑う。
「そうでした、失礼致しました。しかしキース様もお仕事が片付かなければ会食に出席出来ないことをお忘れなきよう」
「だったらさっさと出ていけ!」
 本当は姫がキースと踊るとは決まっていない。あくまでもキースの願望だ。そもそもトロイメアの姫をオックスに招いたのはキースの強い希望であった。
 実のところ、キースと姫は恋仲である。
 誰にも知られないように二人で温めてきた恋は、今やっと花が咲こうかという頃合いだった。お互いまだまだ国の為にやらねばならないことは多々ある。個人的な恋慕だけでは一緒に居られない。だからこういった交流を目的とした会食や催しを口実にキースが姫を招くのは良くあることだった。そうでもしなければ愛しい恋人と会えないキースのせめてもの我儘なのだ。
   ***
 夏の夕方は長い。
 キースが再び万年筆を置いた時には間もなく十七時を迎えようとしていた。大きく背を伸ばして空になった書類ケースを見れば達成感が心を満たす。会食の時間が差し迫っていることを思い出して、キースは慌ててクローゼットを開いた。
 姫とは何時ぶりに会えるのだろうか。思案して思い出せないくらいには会っていないことに気付いて、それ以上考えるのをやめた。会食のドレスコードを侍女に確認して、それに沿った衣装を見繕う。クローゼットを眺めれば、その時に着ていた服で姫とのデートの思い出が蘇るようだ。
 もっと心のままに姫と会えたらどれほど幸せだろうか。でも自分が王子でなければ姫と出会うことも無ければ、知り合うことも無かったはずだ。運命とは実に面白く出来ているとキースは小さく笑みを浮かべた。
「キース様、トロイメアの姫様からお手紙で御座います」
 突然の侍女の言葉に、ついさっきまで浮かれていたキースの血の気が引く。こんな直近で手紙を寄越すなんて、まさか急遽来れなくなったとでも言うのだろうか。奪うように侍女から手紙を受け取ると、キースはペーパーナイフも使わずに雑に封を切った。
 結論から言って、姫は今夜の会食には来れないというものだった。酷く落胆するキースに、控えていた先の古い執事が声を掛ける。
「キース様、いかがされましたか」
「姫が……来ない……」
 その一言で全てを察した執事は、暗く落ち込むキースに掛ける言葉が見つからなかった。あまりにも気の毒に思った執事は、思いつく範囲でキースが喜びそうなものを言ってみるものの、キースには何の効き目も無い。
 本当に楽しみだった。
 大好きな姫に会えることが今のキースの原動力だった。
 たった一度会えないだけでこんなにも落ち込むなんて、今までの自分では有り得ない。だけど確かにキースの胸にはどうしようもない程に寂しさと虚無感が風穴を開けていた。
「この程度で感情を振り回されるなんて、俺もまだまだ未熟だな」
 そう自嘲するキースに、執事は頭を振る。
「姫様だってきっとキース様と同じくらい残念がっていると思いますよ」
「ありがとうな、お前のその言葉に救われるよ」
 キースの全てを諦めたような声色に、執事は酷く心を痛めた。キースのことは幼少の頃からずっと傍で見てきている。トトリやジークと喧嘩をした時も彼は何時だってキースのことを慰めた。何ならキースの初恋だって知っている。キースがしてきた色んな経験が彼を作ってきたことを、執事は誰よりも近くで見てきたと自負しているのだ。
「キース様、姫様に会いに行きませんか」
 突拍子もない執事の提案に、キースは思わず呆けた。
「お前、とうとう呆けたか」
「今年七十二になりますが、まだまだ私は現役ですとも」
「だったらさっきの発言はどうした」
「キース様、もう一度申し上げてもよろしいですか?」
「ああ、俺の聞き間違いかも知れないからな」
 すう、と呼吸を整えて執事は再び繰り返す。
「姫様に会いに行きませんか」
「寝言は寝てから言え」
「私は本気ですよ」
「トロイメアは気軽に行けるような国ではないのだぞ」
「だからこそです。そのトロイメアの長である姫様にお許しを頂けばいいだけの話です。恋人であるキース様を拒む理由を姫様が持っているとは思えません」
「おまっ、彼奴とのこと……気付いていたのか」
「城で知らない人はおりませんが」
 ええいと開き直ったキースはこの執事に隠し事をするのをやめた。姫との関係を知っているならもう何を隠しても無駄である。キースは少しずつ自分の心境を吐露することにした。
 本当は姫に会いたくて仕方のないこと。
 でもそんなこと格好悪くて誰にも言えなかったこと。
「時々思うのだ、会いたいと思うのは俺だけじゃないのかって」
 惚れたのは自分だけで、姫の本心はそうでもないのかも知れない。
「……だそうですよ、姫様」
 執事の言葉に、キースは目を見開いた。
「もう……キースさんのばか!」
 夢にまで見た愛しい恋人の声。
 振り返れば、今夜のドレスコードであるブラックのドレスを纏った姫がいる。キースは二、三度目を瞬かせてこれが現実であるのか確認するものの、どうしてもこれが現実とは思えない。
「お前……何故此処にいる? あの手紙はどういうことだ」
「ごめんなさい、ほんの少しのいたずらです」
「随分と趣味の悪い悪戯だな」
 会いたいなんて、やっぱり言いたくない。
 好きな女の前では何時だって格好つけていたい。
 それがキースのプライドでもあった。
「今日、私はキースさんと会えるのを楽しみにしてました。だけどキースさんはどうなのかなって……でも似た者同士だったみたいですね」
「おい、お前全て知っていたのか」
 キースがじろりと脇の執事を睨みつける。
 言わなくたって良かったことを言わされた。しかもそれを一番聞かれたくない人に聞かれてしまった。これ以上の恥があるだろうか。
「では、あとはお二人でよろしくどうぞ」
 逃げるように部屋を出て行った執事に、キースは盛大なため息を吐く。本音を言った後なんて、どういう顔をして姫と向き合ったらいいかキースは分からなかった。
 空いた間を誤魔化すように壁掛け時計を見れば、会食の始まる十八時がすぐそこまで差し迫っていた。
「今日のキースさんも素敵ですね」
「はぐらかすな、俺は許してないぞ」
「キースさんってばいつも本心を教えてくれないんですもの」
「言わなくたって分かっていると思っていた」
 姫の小悪魔な笑顔は、いつだってキースの胸を高鳴らせる。こうやって振り回されることさえも本気で嫌だとは思えないのだから、自分も相当焼きが回っているのだと思う。きっと姫にはこれからも何度だって振り回されて、その度に怒って許して彼女への愛を再確認するのだろう。
 静かに太陽が今日の役目を終えて、今まさに眠りに就こうとしている。橙と濃紺が夜の淵を色付け始めた頃、十八時からの会食の始まりを告げる様にオックス城側の大聖堂から鐘が鳴る。
「あっ、そうだキースさんっ」
「なんだ」
「トロイメア、いつか必ず招待させてくださいね」
 キースの手を力強く握って、姫は笑う。
「いつかでは困るのだ。お前を娶る時には挨拶に行かねばならんからな」
 将来を見据えたキースの言葉に、姫は無言で頬を染める。からかいとは思えないキースのその声が、姫の心にひどく優しく響いた。
おわり
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向き
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夢lOOキース主短編SS
初公開日: 2020年04月10日
最終更新日: 2020年04月16日
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コメント
誤字脱字はデフォです。
間が開いてるときは考えてるかトイレ行ってます。
暇で暇で死にそうな人だけ見てね!
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