足音が聞こえる。
一定のリズムで通路の内を反響する音の主は徐々に近づいてきていて、たった今横引きの扉を開いたところだった。
「よぉ、元気かー?」
「あ、はい。特に何もないです」
聞いているこちらが心配しそうなガラガラの声。狐色を更に焦がしたような色をしているハイライトのない瞳は真っ黒にすら見えた。濃い茶髪は毛先だけ褪せた金色を忍ばせている。あくまで仕事でしかないと言外に主張するような視線は俺ではないどこかを眺めていた。
「あ、そ。じゃ健康観察おしまい」
そう言ううなり彼はおもむろに窓へと手をかけ、小さな金属音と共にガラス製の仕切りを開放する。白いカーテンが風にあおられ視界を遮ってきた。
だいぶん赤みを増してきた斜陽に彼の褪せた金色の毛先がきらめく。ふと見えた耳朶には埋まりかけの小さな丸いへこみが見つかった。急いでいるわけでもないらしいので、一つ好奇心に従い問いかける。
「昔は結構遊んでたんですか?」
彼は自分の足元へ視線を移し、至極つまらなそうに目を伏せて返した。
「やってみなきゃ分かんねぇだろって言われてね。俺にはあいつらの言う楽しさなんて分かんなかったよ」
今じゃ黒歴史さ、と半ばから独り言のように吐き捨てつつ、彼は胸元のポケットを手で探る。目当ての箱を取り出した彼は少しだけ手のひらサイズの小箱を手の上で遊ばせた。
やがてそれにも飽きたのか、大人しく中の煙草を取り出し自ら肺を汚染する作業に没入する。自室にでも戻ってろ、と空いた手で払ってくる彼に、いつもはやらない揚げ足を取りたくなってきた。少し笑みを混ぜ込み指摘する。
「煙草やお酒は、楽しいんですか?」
俺の言葉を聞くなり彼は肩をすくめて紫煙を吐く。赤い風景の中で自在に揺れ動く白さはやけに際立って見えた。
「楽しいわけないだろ。タバコも酒も、まっずいしな」
片方の口角だけを上げ、わずかに漏れ出る煙を気にすることなく彼はぼやく。なら尚更どうしてと問いたくなったが、それを聞く前に彼が再度口を開き直した。
「もう大人になっちゃったから、こんなマズイもんでしか楽しめねえの」
嫌な大人になったもんだ。
くくっ、と喉を鳴らすように笑った彼は、その笑みを崩さないまま心底くだらなそうに白くなった息を吐く。勢いよく吐かれた煙は、彼から離れるにつれその境界線を曖昧にしている。
薄暗い病室の中、彼の真っ白な白衣だけが浮いているように思えて仕方がなかった。