「プロデューサーちゃんって彼女いるの?」
酒精に赤らんだ頬を見せながらするめの一夜干しをかじりながら酒のグラスを片手に尋ねられた言葉に、私は思わずギョッとした。
その質問を投げてきた男性、山下次郎さん曰く、アイドルの仕事という上で必要な事項だからと現在および直近の交際関係を一方的に尋ねられたことが不服なため、私も同じ情報を開示すべきという主張だ。
言い分は理解できても、本日アイドルとして事務所と契約を終え、親睦を深める意味で酒の伴う夕食会を開いているこの場ではいささかプライバシーに踏み込みすぎた質問な気がする。いや、親睦を深めるという目的なわけだから、こうしてプライベートな情報も交換していくべきなのだろうか……?
「なに、プロデューサーちゃんって秘密主義?」
先ほどまで”プロデューサーさん”、と私のことを呼んでいた彼が、この酒の席で”プロデューサーちゃん”と呼ぶようになり、彼の中で私との距離が縮んだことを内心喜んでいたが、ここまで踏み込まれるとは予想外ではあった。
「……いえ、そういうわけでは無いのですが……」
「じゃあ、言いにくいことでもあるの」
「ええと、現在彼女はいない、です……というか、ここしばらく彼女はいませんから」
そこまで言って、手元のハイボールで唇を濡らす。どうにもこの人と話していると言わなくていいことまで言ってしまいそうだ。これが元教師の特色なのだろうか。
だが、長く親友にもまともに取り合ってもらえなかった心のしこりを、この人なら聞いてくれる気もする。
「プロデューサーちゃんモテそうなのに、もったいないねぇ」
「いえ、もてませんよ。付き合ってもすぐにことごとく振られてしまうんです」
「んん? なに、プロデューサーちゃんなんかやばい趣味でもあるの?」
少し声を潜めて不審げに尋ねてくる山下さんに慌てて否定をする。
「違いますよ! というか、私もよくわからないんですが……あの、昔の彼女たちがみんな同じこと言って別れていくんですよね……」
「自覚なくなんかやらかしちゃってるタイプ? 早く自分で気づかないと手遅れになっちゃうよ」
むずむずと唇を動かしてこっそり山下さんの表情を窺う。その顔にはからかいも呆れも見られず、出会ったばかりの私のことを案じる色が浮かんでいた。
「……実は、別れるときにみんな、もっと愛してほしかったとか言って別れていくんですよね」
「へぇ……」
そこまで告げて二人で同時にグラスを呷る。ここから先は本当に酒の力を頼らせてもらう。
「私としてはちゃんとお付き合いしている相手に対して愛情をもって接していたつもりですし、相手が不満に思うようなことは極力しないように努めているんですけど、必ず最後には愛情が感じられないと言われてフラれてしまうんです……」
「まあ、相手に伝わらない愛情だったのかもねぇ。二人の時間が足りなかったとか、愛情表現が足りなかったとか」
「それは、なかったと思ってるんですが……ちゃんと時間を作ってデートもしてましたし、二人きりで過ごす時間も大切にしていましたし……」
「ふうん。プロデューサーちゃんとしては心当たりがないんだ」
「心当たり、というか……以前が彼女からフラれたことを知った友人から言われたことはあるんですけど、自分としては腑に落ちてないので」
「うん? なあにそれ」
「えと、私は”貴公子”だからダメなんだって……」
言い淀みながらもなんとか告げた私の言葉に山下さんは思わずと言った様子で噴き出した。
「ふはっ、なにそれ。もしかして彼女をお姫さま扱いでもしてたの」
「お姫さま扱いというか……女性相手の基本的な配慮はしていましたよ。それくらい普通でしょう」
「基本的な配慮、ねえ」
山下さんが手元のウーロンハイのグラスを回しながら思案する。
「俺もプロデューサーちゃんのこと少ししか知らないけど、そうだねぇ、隙の無さ、かな」
「隙、ですか……?」
意外な言葉に首を捻る。私がフラれることを見てきた友人たちはからかうばかりで改善につながるヒントをくれたことは無かった。それが、出会ったばかりの山下さんから出てくる私に対する評価は興味深かった。
「プロデューサーちゃん、これまで付き合ってきた彼女たちのことどう思ってた?」
「彼女のこと、ですか……そりゃあ、付き合ってる女性ですから大切にしたいと思ってましたし、みんなそれぞれが綺麗で、一人ひとり大事にしたいと思っていましたよ」
「綺麗、ね。プロデューサーちゃん、他人のことを称賛するの上手だよねぇ。さすがアイドルのプロデューサーってところなのかな」
「え、そんな、私は思っていることを伝えているだけで……」
「世の中そんなに、素敵なことに素敵だって言葉をかけてあげられる人は少ないんだよ」
ふっと、寂しそうな瞳を見せた山下さんの言葉がうまく飲み込めない。
「私の付き合ってきた女性たちはみんな、それぞれが何か努力をしていて、それがとても綺麗で……ちゃんと、綺麗だって伝えることは必要でしょう?」
「うん、でもプロデューサーちゃんは彼女たちだけじゃなくて綺麗なもの、素敵なものにはみんなそうやって伝えるでしょう?」
「え、ええ……」
「過ぎた博愛は時に残酷だからね」
口元をゆがめて笑いを見せた山下さんがウーロンハイを飲み干す。
「それって、どういう……」
「すまない、山下くん少し酒量が多いのではないか」
言葉の真意を測りかねて尋ねようとしたところで、背後から硲さんに声をかけられた。
その腕にはすでにジャケットがかかっており、この酒宴もいつの間にかお開きの時間になっていたことに気づいた。
「はは、プロデューサーちゃんとのお話が楽しくて飲みすぎたかもしれません。帰れなくなる前に切り上げないとね」
掘りごたつの座卓から膝を上げた山下さんは近くの壁に手を付きながら立ち上がった。立ち上がった足元はふらついてもいない。
周りを見渡せば社長が店員さんからおつりと領収証を受け取っている所だった。
「プロデューサー、今日は親睦会を開催してくれてありがとう。まだまだ未熟な我々だが、これから励んでいくつもりなので見守ってくれているとありがたい」
「ああ、いえ、こちらこそ……」
先ほどまで山下さんがいた場所に硲さんが膝をついて話しかけてくれる。その間も、硲さんの背後でジャケットに袖を通す山下さんが気になって仕方なかった。
「ミスターやました! まだLast train出てないよね?」
「ええー、たまにはるいが調べてくれたっていいじゃない」
ジャケットのポケットから出したスマートフォンを舞田さんと並んで覗き込んでいる彼は、先ほどの言葉をどういうつもりで告げたのだろうか。
「さあ、みんなそろそろ店を出るぞ」
社長の一声で各々鞄を手に居酒屋を後にした。
「それでは、私はあちらの路線なので」
「俺とミスターやましたはあっちまで歩くんだ」
居酒屋を出て止めたタクシーに乗り込んだ社長を見送って、私とS.E.Mの皆さんで地下鉄の入り口がある通りまで歩く。聞けばそれぞれ違う路線での帰宅になるそうだ。
向かう方向が分かれる交差点で口々に別れの言葉を告げる。
私も少し上の空ではありながら、何とか礼儀を欠かない程度に挨拶を交わした。
居酒屋を出てからどうしても顔を見られなかった山下さんと、挨拶の時にようやく視線を合わせることができた。
私の視線に気づいた山下さんは、その上背と彫の深い顔、そして整えられた髭の似合う口元で、ふっ、と片頬を上げてみせた。
「じゃあ、またね。”貴公子”さん」
片手を上げてそれぞれが帰路へと向かう背中を、私は見送ることしかできなかった。
ただ、彼の最後の表情に、とても”綺麗”だと思うのと同時にどろりとした感情が腹の内で蠢いたことを感じて。