【夢主の名前は『ナマエ』で表記します。まだデフォルトネーム決まってません。決めたい】
 保健室の備品整理は、大抵、月の終わりに行われる。
 日に日に数の変わる備品たちは、滅多に使わないものから順に数を数えられ、まずはメモで記録される。その後、パソコンを使ってデータ化。保健委員は私一人だけではないし、保健室の先生もいるわけだから、分担して行われる作業ではあるけれど、如何せんこの学校は広い上に人数も多い。だから、死ぬほど重労働なのだ。
 そんな月一の重労働も、とうとう下り坂を迎えた。と言っても、あくまでメモをする段階での話だ。データ化の仕事はまだ後ろに控えている。……気が重いなあ。
 たった一人の保健室で、私は首を回した。幸いにも、ボキボキと鳴ることはなかった。音が鳴るということは、首が太くなるということ。それは避けたい。
「あー……」
 特に意味もなく声を漏らして、窓の外を見る。月明かりに照らされている白いベッドが、異様なほどに魅力的に見える。寝たい。すっごい寝たい。でも、ダメだ。備品関係の報告書の提出期限は、すでに一週間を切っている。遅れてしまうと学園長に迷惑がかかってしまう。頑張ろう。
 ぐぅーっと伸びをして、先ほどまで開けていた引き出しの中を覗いたときだった。
 コンコン、とドアがノックされる。
「……」
 もう一度、ドアが鳴る。
「……」
 嫌な予感しかしない。というか、この時期のこんな時間の私に用がある人物は限られている。毎月恒例、例の商談を持ってくる彼だ。
 ドアを開けると、予想通り、アズールが立っていた。ニコニコと浮かべている人の良さそうな笑みは、商売人の笑み。第一印象を悪くしない、プロのセールスマンの顔だった。
「こんばんは、お疲れ様です」
「……どうも。あなたもこんな夜遅くまでお仕事?」
「ええ。毎月恒例の商談をお持ちしました」
「デスヨネー」
 この男、本当にあくどい。私が疲弊困憊している今を狙って保健室にやってくるのだから。その証拠に、私の顔色を見るや否や、うんと笑みが深くなった。
「……失礼しても?」
 小首を傾げるアズール。こいつが持ってきた『商談』の内容を、私は大体把握している。毎月そんなに変わらないから。
 ──つまり、駆け引きはもう始まっているのだ。
「嫌だと言ったら?」
「また後日、お伺いいたします」
「……」
 ケッ、食えないやつ。保健室のドアに寄りかかってとおせんぼをしながら私は思考を巡らせる。先ほども言ったが、私の頭はすでに疲れ切っているのだ。だから、普段通りの動きなんてできない。……それを狙ってやっているのは、もう、わかってるんだけど。
 何度も同じことに気が付いては、「んなもんわかってるよ」と自分で自分を叱咤する。それがまた自分を苛立たせる。そういう悪循環から抜け出そうと私は頑張って他の道を探すのだけれど、それが見つかる前に、アズールは口を開くのだ。
「ご都合が悪いのでしたら、明日参りましょうか?」
 明日来たところで結果は一緒でしょーが!! むしろ余計に苛立つわ!!
 そして結局、私は彼を迎え入れることになるのである。
 朝、学園内は騒然としていた。大勢の生徒たちがスマホを手にし、その画面を食い入るようにして見ている。全員に共通しているのは、マジカメを開いていること。そして、とあるアカウントのとある動画を見ているということだった。
 そしてその全員の中には、エースも混じっていて。
「おい! お前ら!」
 教室で突然大声を出したかと思えば、エースは大股でこちらに近づいてくる。デュースと監督生、そしてグリムが互いに顔を見合わせていると、その視線の交点にエースが自身のスマホの画面を突き付けた。
「見ろ、これ……!!」
 真珠の飾りがたくさんついた薄ピンク色のカーテンが、画面いっぱいに広がっていた。その奥に、三人分の影。二つはとても大きく、その間に一回り小さな影がちょこんと座っている。三人は長方形の台の上に座っているのだが、それがソファーなのかテーブルなのかは、影のせいでわからなかった。
 いくぞ、とエースが潜めた声で合図をしてから再生ボタンを押す。すると、ウィンドチャイムの音と共に、ピンク色のカーテンが開けられた。
 そして、影でしかなかった三人の姿が露わになる。
「ふなっ!?」
「んなっ!?」
 グリムとデュースが目を剥いた。監督生も「これは……」と口元に手を当てて唖然としている。
 薄ピンクのカーテンの奥にあったのは、重々しい紺色のカーテンで外の光を遮られた、深海のような部屋。その部屋の中心──薄ピンクのカーテンの奥にあった長方形──にあったのは、危ない香りのする紫色のベッドだった。
 そして、そこに座っていたのは、
『ハァーイ、こんにちはぁ』
 タレ目を細めるフロイドと、
『本日、『モストロ・ラウンジ』に、本日限定の特別ウェイトレスがやってまいります』
 紳士的な笑みを浮かべるジェイドと、
『……』
 薄紫色のベールをかぶった、ナマエだった。
「ナマエ先輩!?」
 一番に食いついたのはデュースだった。そんな様子を見て、エースは静かに口角を上げる。とはいえ、たとえ彼女にお熱であるデュースでなくても、この状況の彼女には驚きの声をあげてしまうだろう。
 彼女が頭から被っている薄紫色のベールはそこまで透明度が高くなく、目をよくよく凝らして、ようやく彼女の着ている服の形状がわかるのだった。まるで毛布にでもくるまるように顔だけを出しているナマエは、静かにその大きな瞳で画面の奥のエースたちを見つめていた。濃いめに引かれた紫色のアイラインが、彼女の目をよりくっきりとさせ、より大きく見せる。口紅も引かれているのだろう。きっと、グロスも。艶やかなサーモンピンクの唇はわずかに開いていて、見る者の、その奥を覗きたい衝動を煽った。
 彼女の右隣に座っていたフロイドが、ひらひらと手を振る。
『クリオネちゃんの衣装は、前のやつとは違うからね?』
 そう言って、頭にかかっているベールをフードを脱ぐみたいにして外す。耳の上で、濃い紫色のリボンと一緒に編み込まれている銀髪が露わになった。ゆれるリボンの先端を目で追いかけると、嫌でも真珠のピアスが目に留まった。
 ナマエの表情は変わらない。ただただ、静かに画面の奥の彼らを見つめている。なめらかな肌も相まって、彼女はまるで人形のようだった。
 彼女の左隣に座っていたジェイドが、そっとナマエの髪を掬い上げる。
『今日のために、特別な制服をご用意いたしました』
 そして、するりとベールを下ろした。デュースたちの視線が、露わになった首元に注がれる。真っ白な首に、真っ赤なチョーカーはよく映えた。その下はまだしばらく眩しいまでの雪肌が広がっていて、鎖骨の下にチョーカーと同じ色のフリルが見える。薄紫色のベールからも見えなくはないのだが、やはり所詮は色付きのベール、正しい色には見えていないのだろう。
 ──それにしても。デュースがゴクリと生唾を飲み込む。
 なんなんだ、この演出は。
 彼らが一言発する度に、彼女の纏うベールが脱がされていく。ゆっくり、ゆっくりと彼女の服装がわかってくるのがじれったい。早く先を見たい。つい、そう思ってしまう。
「(こんなの──)」
 まるで、ストリップじゃないか。
 普段はあっちこっちに揶揄うような言葉を投げかけ、その様子を楽しむような、良く言えば活発、悪く言えば暴れん坊な彼女が、催眠術にでもかかっているかのように静かに、黙って、されるがままに薄紫色のベールを脱がされていく。しかもこの部屋の雰囲気や、双子の手付き、そしてナマエのぼんやりとした表情も相まって、魔性の色気が画面からあふれ出している。ふと監督生が辺りを見渡すと、すでに悩殺されている男子生徒が何人も見受けられた。
『では皆様のお越しをお待ちしております』
 画面の中のジェイドが、力強くベールを引っ張った。
 ──がしかし、ベールが完全に脱がされることはなかった。押さえていたのだ、ナマエが。恥ずかしそうに眉尻を下げ、頬を赤らめ、視線も下の方で迷わせながら。
 これは生放送ではなく、ただの動画である。だから、彼女の紅潮した頬は化粧でつくられた偽物である可能性も十分あるのだが、その考えを思い浮かべられるほどの余裕を、動画を見ている男子高校生たちは持っていなかった。それが本物かどうかもわからないまま、確かめようともしないまま、彼らは食い入るように動画の中の艶麗な天使を見つめて、扇情的な気持ちに駆られるしかなかったのである。
『お待ちしてまぁす』
 彼女の肩口に頭を乗せて、フロイドがへにゃぁと笑ったところで動画は終わった。随分と刺激的なプロモーションビデオであった。
「……行ってみる?」
 恐る恐る口にしたエースの言葉に、二人と一匹は頷くしかできなかった。
 モストロ・ラウンジは長蛇の列だった。それこそ、通常サイズのウツボが十匹繋がっていても足りないくらいには長い列だった。VIP待遇も、学年、寮、クラスなどの特別待遇も一切なく、全員が平等に並んでいた。
 列の隙間から建物の様子をうかがうが、すべての窓に厚手のカーテンがかかっており、中を覗きみることはできない。従業員としてのナマエの様子を見ることができたのは、あのプロモーションビデオのみであった。休み時間に彼女に話を聞いても「守秘義務なので……」の一点張りで、何の情報も得られなかったのである。
 スマホを弄りながら、エースが言った。「あのさあ」
「さっきからずーっとマジカメで先輩のこと調べてるんだけど、一切出てこないんだよね。誰か一人くらい写真を撮って、アップしてそうなのに。それこそ、ケイト先輩とか」
 確かに、とデュースたちは思案した。あの流行大好きな先輩が、この話題に乗ってこないわけがない。もしかして、彼もいま、自分たちのように並んでいるのではないか。並んでいて、まだ店の中に入っていないから写真を撮れていないのではないだろうか。
 そんな風に意見がまとまったとき、突然前に並んでいた男子生徒が振り返った。ハーツラビュル寮の二年生であった。
「いや、そんなんじゃねーよ。前回と同じように、写真撮影厳禁なんだろ」
「前回と同じように?」
 誰よりも早く相槌を打ったエースに、男子生徒は頷いた。「ああ」
「前にも彼女が一日従業員をした日があってな。そのときも、こんな風に沸き上がったもんだ。で、いざ店に足を踏み入れると、馬鹿でかい注意書きが書かれた看板が俺たちをお出迎えするのさ」
「注意書きって、どんな内容なんですか?」
「さっき言った『写真撮影厳禁』ってことと、あとは『従業員へのお触り禁止』だな。今年は増えてないといいけど」
 写真はともかく、後半は至極真っ当なものである。決して「そういう」サービスをするための特別従業員ではありません、ということだ。従業員を守る。雇用主としての義務を果たしているだけである。
「ちな……」
 デュースは言葉を切って、わざとらしく咳をした。
『ちなみに、前回の先輩はどんな格好だったんですか?』
 聞けるわけない。同じ寮の先輩に。エースたちもいる場所で。
 ところが、エースはこういうときばかり地獄耳で、ニヤァといやらしく口角を持ち上げると、ガバッと雑に肩を組んできた。逃がさないという強い意志を感じる。しかし、僕にだって強い意志があるのだ。言ってやるか、やるもんか!
「え~? なになにデュースくん。一体全体、なにを言いかけたんですかぁ~?」
「なにも言ってない!」
「でも、『ちな……』って言ったんだゾ」
「気のせいだ!」
「自分も聞こえた」
「監督生まで!」
 とにかく、僕はなにも言っていない! とデュースは腕を組んでそっぽを向いた。目も固く瞑られていて、ちょっとやそっとでは動かなそうだった。
 つまり、「ちょっとやそっと」でなければ動くのである。
「あ、先輩だ」
「なにっ!?」
 エースの声に大袈裟すぎるくらいに反応したデュースを、エースとグリムがニヤニヤしながら見つめている。監督生は微笑ましそうにニコニコしているだけだった。デュースはそんなものには目もくれず、店の方に目をやるが、当然そこに想いを寄せている人の姿はなく。がくっと肩を落として冷静さを取り戻したところで、ようやく二人と一匹の表情に気が付くのだった。
 そんな後輩の様子を見ていた男子生徒は、からからと笑ってデュースの肩に手を置いた。その手の中にあったのは、激励なのか同情なのか。その真相は、わかりそうにない。
 店に足を踏み入れて最初に目にしたものは、かの男子生徒が言っていたように、でかでかとした注意書きだった。
「『写真撮影厳禁。従業員への必要以上のスキンシップは厳禁。清く正しい、品のあるお客様、ようこそいらっしゃいました』……。妙な書き方だな、これ」
「よく、トイレとかであるだろ。『いつもきれいに使っていただきありがとうございます』みたいな。あれと一緒じゃないか」
「飲食店と便所を一緒にする?」
 まあ、わからなくはないけどと、エースがデュースの言葉に呆れていると、いらっしゃいませ、と落ち着いた男性の声が彼らを呼んだ。寮服に身を包んだジェイドだった。
「お客様は三名と一匹でございますね。こちらの席へどうぞ」
 奥へと進んで辺りを見渡すと、人、人、人。どのテーブルも、どのカウンター席も人でいっぱいになっていて、その中を数名のオクタヴィネルの寮服を着た生徒が、ネズミのようにちょこまかと動いて働いている。
 一番隅の四人席に着いたとき、かの人は現れた。
「あ、先輩」
「わぁ……すごい格好なんだゾ」
「……」
「すごいね」
 四人がかの人に送っている視線を妨げるように、ジェイドが移動してメニューを手渡した。営業スマイルは完璧である。
「こちらがメニューになります。こちらの、本日限定のドリンクを頼まれました場合は、あちらの本日限定特別従業員が料理を運んで参ります。店にお入りになった際に目の前にございました、ルールの看板はご覧になられましたでしょうか?」
 四人は頷いた。ジェイドは満足そうに微笑むと、「お決まりの際はお声かけください」と一言残して、テーブルを離れていった。
「……」
「……」
「……」
「……」
 四人の視線は、ふたたびかの人へと注がれた。
 映像にあったのと同じ髪形、ピアス、チョーカー。そして、イチゴジャムのようなはっきりとした赤色のフリルは、大胆にも彼女の肩を囲うようにしてついていた。いわば、オフショルダー。それ以上に袖はなく、代わりに黒いロンググローブが彼女の腕を包み込んでいた。胸元を彩る、リボンと同じ紫色の石をはめ込んだブローチは天井の明かりを吸収して煌々と輝いており、彼女の存在感をより一層際立たせた。
 少し視線を下ろすと視界に飛び込んでくるのは、ナマエのキュッと締まった細いウエストと、尻の形を描く曲線。彼女が来ていたのは、真っ赤なマーメイドドレスだった。ドレスの裾は長く、堂々と床に付いて引きずってしまっているのだが、塵ひとつ付いていなかった。モストロ・ラウンジの清掃係の腕を褒める以外ない。
 海の底のような、青や紺、黒といった暗めの内装において、彼女の燃えるような赤色は少し浮いて見える。だからこそ、目に留まる。目に、焼き付いてしまう。
 マーメイドドレスを見に纏い、目元をはっきりとさせる化粧を施したナマエは、実年齢よりもうんと大人っぽく、色っぽい。それでも下品ないやらしさは一切なく、ただただ惚けて「美しい」と零してしまうような魅力を放っていた。
 デュースが手元のメニューに目を落として呟いた。
「僕はこの本日限定ドリンクと……このショートケーキを頼むつもりだが」
 おまえたちはどうする?
「……」
「……」
「……」
 三人も彼女の魔力に飲み込まれて、限定ドリンクにプラス一品追加して注文してしまうのだった。
 オーダーを受けたジェイドが、それはそれは満足そうに微笑んだ。
「承りました。如何せん、本日は皆さま同じような注文をなさるので、少々時間がかかってしまいますが……それでもよろしいですか?」
 いくらルールを作ったとしても、「少しくらいなら……」と気を緩める輩は少なくない。
 テーブルの下でこっそりスマホを取り出す男がいた。まるで、授業中に先生にバレないようにスマホを弄るようにして、カメラアプリを起動させる。画面を傾けて、そこに目的の人──ナマエが映るように調整する。彼女の顔を含めた全身が画面内に収まったのを確認して、男は親指を──。
「お客様。写真撮影は禁止となっております」
 冷ややかな声が男子生徒の耳を凍えさせた。男が振り向くと、そこには眼鏡を氷のように反射させたアズールが立っていた。彼が目尻を引き締めて微笑むと、男は震えた声で謝罪してからスマホの電源を落とした。
「なにも電源をオフにしなくてもよろしかったのに。……お気をつけください」
 彼の制服の肩口に深い皺を刻んでから、アズールは店の玄関へつま先を向けた。
 この男子生徒以外にも、バレないだろう、と根拠もない自信に背を押されて、こっそりスマホを取り出す者がいた。
 ちょうど隣のテーブルに、ナマエがドリンクと軽食のサンドウィッチを持ってくる。彼女が後ろを向いている間がチャンスだ。男はこれまたテーブルの下からスマホを傾けて、ナマエの後ろ姿にピントを合わせると、親指をシャッターボタンに近づけた。
 その時、スマホの画面から彼女が消えた。
「ねー、クリオネちゃん」
「う、わぁッ!?」
 横からフロイドが、ナマエの肩を抱いて思い切り押したのである。ギロリと冷たい視線が、スマホの画面を通して男を睨みつける。「見えてんだよ」。そう低い声で言われている気分だった。
 ナマエの肩を抱いたフロイドは、人懐っこい笑みをニマニマと浮かべながら顔を近づけて押していく。ドリンクも食事も提供し終わった後だったため、零すなどの心配はないのだが、本日の主役と言っても差し支えない彼女にここまでグイグイと近づいて触れているとなると、当然店内の視線は彼らに集中するのだった。
「ングッ!」
「お、おい、デュース! オマエなんも飲んでないのに、なにむせてんだ!?」
 どこかから聞こえたそんな会話を右耳から左耳に流して、フロイドはその高く大きな体で彼女のあらゆる方向から隠した。長い両腕も大活躍である。
「あっ」
「チッ」
 これまたどこかから聞こえた悔しそうな声を、ジェイドの耳が拾い上げる。
「おや、お客様、どうかなさいましたか。スマホをテーブルの下に隠しておられますが……」
「い、いえっ、なんでもないです!」
 壁になっているフロイドと、それを見て明らかに歯噛みしたり舌打ちをする輩にそっと忍び寄り、声をかけるジェイドはよかった。
 問題は、壁に守られているナマエのメンタルだった。
「バッカ、おま、フロイド! 顔が近すぎ……!」
「えー? なんでぇ? いいじゃーん」
「よくない! あんた、もっと自分の顔の良さ自覚しろっ!」
「え、なに? クリオネちゃん、オレの顔、好きなの?」
「嬉しそうにすんなって……あーこらこら近づけるな!」
 高身長とそれに伴う長い腕からはなかなか逃れられない。明らかに楽しんでいるフロイドの頬を持っていたトレーで押し返しながら、ナマエは懸命に彼と距離を取ろうとした。
 すると、ここに悪戯好きがもう一人。フロイドとは逆の方向から、そっくりな身長とそっくりな顔立ちの男が音も無く近づいてきた。
「フロイドの顔が好きということは、僕の顔も好きということでしょうか?」
「わぁッ!? ジェイド……! あんたね……!」
 ナマエの反応を見て、ジェイドはふふふと微笑んだ。
「想像通りの反応をありがとうございます。……それで?」
「『それで?』」
 彼女が首を傾げると、ジェイドとフロイドが同じように口の端を持ち上げ、同じように目を細めた。
「オレたちの顔、好き?」
「僕たちの顔、好きですか?」
「──ッ! ノーコメントっ!!」
 ナマエはするりと彼らの腕をくぐって逃げると、そそくさと厨房の方へ引っ込んでしまった。
 満足そうなジェイドと、残念そうなフロイド。フロイドが口の横に手を添えて、厨房に向けて言葉を投げた。
「オレたち、なんか悪いことした~?」
 トレーに本日限定ドリンクを四人分置いたナマエが、トレーを口の前から避けて叫んだ。
「心臓に悪いことした!!」
 そして、ふいっと。
 ツンと澄ました王女様のように、ナマエはヒールを鳴らしてドリンクを運んでいた。
 彼女が持っているトレーに置かれた四人分のドリンクは、エースたちのテーブルへと運ばれた。
「お待たせしました。こちら、本日限定ドリンク『人魚の初恋』です」
 持ち手に彼女とお揃いのリボンが飾られた、細長いシャンパングラスだった。深海のような濃紺のジュースから始まり、それと同じ色のジュレを挟んで、彼女のドレスと同じ色の真っ赤なジュースが注がれている。見事なグラデーションに、監督生たちは目を輝かせた。グラスの縁に付いた細かい泡が、昇っては消え、昇っては消えを繰り返している。炭酸の飲み物のようだ。
「ケーキなどもすぐにお持ちしますね。少々お待ちください」
 ナマエは知り合いである監督生たちには目もくれず、真っ直ぐと厨房へ戻っていく。それに一抹の寂しさを四人が感じていたとき、ふたたび厨房から姿を現した彼女に、アズールが声をかけた。
「ナマエさん、サービスを忘れずに……」
「……」
 一瞬、ピクリと片眉を動かしたナマエだったが、すぐさま麗しい笑顔に戻ると、監督生たちの前にケーキを並べて、ちょこんと膝を折った。
 不意に近づいた距離に、壁際に座っていたデュースが思わず後退った。ガタン、と立ったそこそこ大きい音に、ナマエは一瞬目を丸くしてから、おかしそうに小さく笑う。デュースの頬に紅が差した。デュースが逃げるように視線をずらすと、俯いて肩を震わせているエースの姿があって、余計に顔が熱くなった。
 それで緊張がほぐれたのだろうか。ナマエはナイショの話でもするように声を潜めると、眉を下げて笑った。
「ごめんね。知り合いだからって、あまり贔屓にできないの」
 一人の従業員として、彼女はすべての客に平等に接しているようだった。それをイイことに、レオナさんとラギーは少しでもボロを出させようとちょっかいをかけてきた……と、彼女は忌々しそうに吐き捨てた。
「でもま、『サービス』は、他のお客様よりやる気だそっかな?」
 ナマエは悪戯っぽいウインクをひとつ飛ばして、すぐ手前にあったシャンパングラス──監督生のグラス──の持ち手についていたリボンをするりとほどいた。「それくらいなら許されるよね」
「監督生さん、左手、出して?」
 頭の上に疑問符を浮かべた監督生が、おずおずと左手を差し出した。ナマエは親指の付け根にくるりと紫のリボンを一回転させると、そのまま蝶々結びをした。
「エースくんも。グリムくんは……尻尾でいいかな?」
 二人にも同じようにリボンを結んでいく。監督生が結ばれたリボンをじっと見つめていると、あることに気が付いた。
「(左右のバランスが……)」
 親指に留まっていたのは、右の羽がやけに大きい不格好な蝶々だった。
「あっ、いけねっ」
 素で焦ったナマエの声がして視線を寄越してみると、グリムの尻尾の付け根には『おったて』になった蝶々結びがあった。ナマエはすぐさまリボンをほどいて結びなおしていた。
 気になって、エースの左手の親指にも視線を注ぐ。エースの蝶々は、上の左右のバランスは良いものの、下の左右のバランスが壊滅的だった。なんだか、下手な人が結んだネクタイを見ている気分になった。エースも気になっているようで、口をヘの字にしながら、目だけでこちらを見てきた。眉が大きく持ち上がる。うん、言いたいことはわかるよ。
「じゃあ、最後にデュースくん……」
 黒いロンググローブに包まれた指先が彼のグラスに触れる。布擦れの音が耳をくすぐった。ほどけたリボンの両端をナマエが摘まむ。この一連の所作は流れるようで、彼女の装いも相まって、とても優美だった。
 それを目で追い、グローブの奥に眠っているであろうミルクのような白く、なめらかな手を、デュースは惚けた顔で見ていた。そんなデュースを見て、グリムは思った。心、ここにあらず、なんだゾ。
 彼に疑問を持ったのは、ナマエも同じだった。一向に手を出してくれないデュースに首を傾げる。出してくれないと、結べないんだけどな。冷えたドリンクが入ったグラスは、徐々に徐々に曇っていく。ナマエはとうとう痺れを切らして、彼の名前を呼んでみた。
「……デュースくん?」
「うっ!? えっ、は、はい!」
 ガタン、と今度はテーブルが悲鳴を上げる。四人分のグラスの中のドリンクが揺れた。「うわっ!」とエースが眉をひそめてから、ドリンクが零れていないのを確認して、胸を撫で下ろす。
 ナマエはというと、数回まばたきを繰り返しながら、デュースを見つめるだけだった。
 消えかけていたデュースの顔の熱は、ただいまと言わんばかりにぶり返してくる。帰ってきた熱は脳へと走り、思考回路を馬鹿にしていく。なにをすればいいのかわからない。なにを言えばいいのかわからない。そもそもこの状況がよくわからない。脳内のいろんな考えが、駆け抜けていく熱い血液に流されて、体のどこかへ消えていく。とりあえず彼が理解していたのは、ナマエに見惚れてしまっていた自分がいたことと、それのせいでこの場の空気をおかしくしていることだった。
「……」
「……」
 沈黙が重い。だが、この沈黙の中でならどれだけナマエを見つめていても怒られない気がして、少しだけ得をした気分になる。この作り物でない、自然な驚いている顔を眺めていられることに幸せを感じていた。
 そして、自分がなにもせずにいれば、彼女の方からこの攻防戦に終止符を打ってくれると思っていた。
「……ふふっ」
 さすれば、彼女の表情の変化を一番に、かつ真正面から見られると思っていた。
「……す、すみません」
 一握りの羞恥と、両手じゃ足りないほどの幸福感と充足感。可憐に顔を綻ばせたナマエの姿を網膜に焼き付けて、そっと左手を差し出す。ナマエは「失礼します」と、やわらかな表情のままデュースの手を取ると、親指にリボンを結び始めた。
 形の良い、綺麗な紫の蝶が親指に留まった。
「あっ、うまくいった」
 小声で彼女が喜んだのが見えた。出来に満足したナマエはデュースからの左手を離す。デュースの手には温もりとリボンだけが残った。最後までナマエの手は、花から離れる蝶のように優美であった。
 従業員へと戻ったナマエは、「さて、お客様」と四人を呼ぶ。六つの目玉がこちらを向いたのを確認して、彼女は化粧の施された顔に幼さを残してはにかんだ。
「お店を出るまでは、とっちゃやーよ」
 艶めかしいウインクをひとつ。そして、あざとく口元に人差し指を運んできて、
「もう一品くらい頼んでくれるとうれしいな」
 と言い残し、手を小さく振ってテーブルを離れた。
 厨房から、ひょっこりとフロイドが顔を出した。
「あはは、バッカルコーン」
「お黙り」
 ナマエは厨房に足を踏み入れ、新たにドリンクを運ぶ。
「毎月恒例の……」
「商談……?」
 翌日、わざわざ昨日の話を掘り返してきた一年生たちにワケを話す。目の前にはエースくん、デュースくん、監督生さん、そしてグリムくん。四人ともおもしろいくらいに目をまんまるくしていて、今にも目玉が零れ落ちそうだ。
 昼休みの食堂は、当然のように人でごった返している。昨日のアレがあって、こちらに向く視線がちょいちょい痛い。後ろからも、横からも、彼らを通り越した前からも。目立つのはあまり好きではないんだけど、背に腹は代えられないのです。
「話せばちょーっと長くなるんだけどねえ……」
 私はフォークでミートソーススパゲッティを巻きながら、三日くらい前の夜を思い出す。そう、保健室で私が備品整理でひいひい言っているときの話だ。
 そもそも、毎月恒例の商談とはなにか、という話をしておかなければならない。毎月恒例の商談、それは、保健室で使う消毒液や絆創膏などの消耗品をアズールを通して買わないか、というものである。アズール曰く、自分が持っている独自のルートを使えば、その辺で買うよりもずっと安くなるらしい。初めてその話を持ち掛けられたときに、どのくらい安くなるのかを興味本位で聞いてみた。するとびっくり。学校を通して買う値段の七割ほどの値段で買えるではないか。
 さすがの私も揺らいだ。いくら学校の経費で落ちるものとはいえ、なるべく安く済ませたい気持ちはあった。もしここで予定よりも安く済めば、余ったお金を他の所に回すことができる。学園長も喜ぶに違いない──。
 アズールは続けてお代の話をした。それが、モストロ・ラウンジでウェイトレスとして一日働いてほしい、というものだった。実際は、衣装合わせやプロモーションビデオの撮影などで、もう二日三日ほど拘束されるのではあるが。
 ここで私の心をは曇った。「え、マジ?」と本気で疑ったし、本気で顔をしかめた。さすがにタダではないだろうと思っていたのだが、まさか一日働けと言われると思ってなかった。しかも、特別な衣装を着て。もう一度言う。特別な衣装を着て。
 オクタヴィネル寮の寮服であったなら、私はすぐに首を縦に振っただろう。しかし、ある種、私をメインの商品として売ろうとしているとなると話は別だ。先ほども言ったが、不用意に目立つのはあまり好きではない。
 でも、でも七割の値段かあ……!
 そんな心の揺らぎを、アズールは見逃さなかった。
『経費が浮けば、学園長はさぞかしお喜びになるでしょうね』
『うぐっ……』
『加えて、モストロ・ラウンジは、売り上げの一割を学園に納めるという契約を結んでいます。あなたが頑張って稼げば稼ぐほど、学園長にお渡しする金額も増えるのです』
『んんんんん』
 結果はわかっているだろう。私は折れた。勝ち誇ったようなアズールの憎らしい笑顔を、今でも絵に描けるくらいには鮮明に覚えている。
 そしてこの男、本当にやり手だった。プロモーションビデオの評判は店の客足の多さを見れば一目瞭然で、初めて仕事をした日の閉店時、集客数と売り上げの紙を見て、アズールがそれはそれは嬉しそうに頬を緩めていた。私は詳しい数字は知らないのだけれど、かなりの数字だったんじゃあないだろうか。だって、ジェイドが「あそこまでご機嫌なアズールを見るのは珍しいですね」って言っていたし。
 私というウェイトレスの効果に味を占めたアズールは、次の月も同じ時間帯に保健室にやってきた。条件は一緒だった。しかし、備品の数を確認したら思ったよりも減っていなかったので、その月は商談を断った。当然、その月は特別従業員はやってこなかった。
「そんな感じで、私がモストロ・ラウンジの特別従業員として働くのは不定期になってたの」
 ところが、アズールはこれを悪く見ることはしなかった。むしろ好機だと考えたのだ。
 エースくんが首を傾げた。「好機?」
 私は答える。「だってそうでしょう」
「頻繁にやってくる店員と、次はいつやってくるかわからない店員。どっちの方がレアだと思う?」
 客の『じゃあ、来月で行けばいいや』を無くせるのは──。
「『次はいつやってくるかわからない店員』……!」
「エースくん、ご名答」
 登場する回数が少なければ少ないほど、その商品の価値は上がっていく。やり手アズールは、商品としての私の価値をつり上げることに心血を注いだ。それが、『毎回変わる衣装』『姿を露わにしないプロモーションビデオ』『カーテンの閉められた店』『写真撮影厳禁』である。
 うわ、とエースくんがドン引いた声を漏らした。デュースくんも、グリムくんも、そして監督生さんも、アズールの徹底っぷりに目を剥いていた。同時に、その発想にも。
「アズールが言ってたよ。『元々あなたは唯一の女子生徒として、学園内で名を轟かせているのですから。ちょっと手を加えるだけでも、十分な効果が得られます』って」
「コワいんだゾ……」
「ほんとそれな」
 グリムくんに賛同して、私はパスタを口に運んだ。トマトの酸味とうまみが、口いっぱいに広がる。お肉の香りがあとを引いて、私は幸せいっぱいになった。
 水を飲んで口の中をすっきりさせてから、私は話を続けた。「それにね」
「アズールのズルいところは……」
 デュースくんが「まだあるんですか!?」と食いついた。……おおっと、これはアズールの狡賢いところを疑っている目だな? 違うんだよなあ。……いや、違くないかも。
「アズールのズルいところはね、受注した品が届いたときに、オマケをつけてくれるところなの。購買部で売ってるくらいの小さなメッセージカードにね、『想定外の売り上げでしたので、お礼の品として薬草を三つほど追加してあります。ほんのお礼です』みたいなことを書いて、一緒にダンボールの中に入れておくんだよ。しかもしかも、ちゃっかり『ありがとうございました』の一言まで添えてあるんだよ!」
 私は、ふう、と息を吐いて、食事中にもかかわらず頬杖をついて、窓の外に目をやる。
「……そーゆーことされると、次もやってあげてもいいかな~なんて思っちゃうんだよねぇ……」
 四人は押し黙って、互いに顔を見合わせた。
「……」
「……」
「……」
 ぼそりとグリムくんが呟いた。
「策士にも程があるんだゾ……」
「……」
 目を閉じて、グリムくんの言葉を何度も反芻する。うんうん、そうなんだよ。
 私は気付いている。自分が、彼の手の上で躍らされていることを。そして、なんだかんだカモられていることを。それでも、私にとっての利益は十分にあるし、学園にも、ひいては学園長にも利益がいくのなら……と、私は何度も彼の商談に親指を立てている。
 特別な担保は特にない。というのも、単純に私がサボれば受注してくれないというだけの話だから。
 裏までしっかり理解した甘い商談に、私はあと何度首を縦に振るのだろう。溜め息で温かいパスタを冷まして、品物が届くのはいつ頃かな、と日数を指折り数えるのだった。
~完~
【このお話は、一度見直して修正などを加えてから画像化して、後程Twitterの夢垢の方でアップします。閲覧くださった方々、ありがとうございました】
カット
Latest / 369:43
カットモードOFF
文字サイズ
向き
チャットコメント通知
ウェイトレス回(完結済み)
初公開日: 2020年04月05日
最終更新日: 2020年04月07日
ブックマーク
スキ!
コメント
Twitterで話してたウェイトレス回。test夢(一応♠)なので注意。
いつでも席を立つし、ゲームのイベントは途中で回り出すし、調べ物はするしで、とにかく自由にやります。
t
セベクポリスメン
twst夢。詳しいことはチャンネルの説明欄を見てね。あと「一人なんだから単数形だろ」っていうマジレス…
芦葉
t
短いお話を予定。大体の説明はチャンネルの説明欄を見てください。
芦葉