その人を見た瞬間、ハリーの目はその人に吸い寄せられて動かなくなった。
「ねぇ、パーシー。あの黒い服の女の人は誰?」
「スネイプ先生だよ。魔法薬学の先生だ。ハリー、よくスネイプ先生が女性だって分かったね。みんな最初は男の人と間違えるのに」
「どこからどう見ても女性じゃない!!私あんな綺麗な女(ひと)見たの初めて…。わっ!パーシーどうしよう!!目があっちゃった!!」
ハリーがパーシーの袖を掴んでぶんぶん揺する。パーシーのとんがり帽子が滑り落ちそうに危なっかしく揺れた。
「わぁ…すっごく素敵……アイタッ!」
スネイプ先生を夢中で眺めていたハリーは、額の傷が痛んだことすらあまり気にはならなかった。
「スネイプ先生!授業のことで質問があるんです!!ベゾアール石はヤギの胃の中から採れるんですよね?そのヤギは魔法界特有のヤギなんですか?それともマグル界にいるヤギの胃にもあるんですか?そしたらマグル界でベゾアール石が薬に使われてないのはなぜ?魔法薬の毒にしか効かないの?」
セブルスは少女のキラキラの目を黙って見つめた。少女の名前はハリー・ポッター。巷で英雄と持て囃される十一歳の魔女だ。
セブルスは自分の命を懸けてこの少女を守ると誓っていた。とはいえ、その方法についてはセブルスに一任されている。教師と生徒という立場さえ守れば如何ように守ったっていい。ハリーの両親とその周りの人間に対する思い入れが深過ぎるセブルスは、彼女を突き放して影から守ると決めていた。決めていたのだが……。
セブルスはハリーの好奇心に輝く瞳から目を逸した。そして深く深くため息を付き、自分の計画が序盤において完全に破綻したことを認めざるを得なかった。
この目の輝きには見覚えがある。目だけはリリーとそっくりなのだ。見間違えるはずがない。リリーの好奇心と行動力は凄まじく、親友のセブルスでさえこの目をしたリリーは止められなかった。リリーは強く、明るく、正義感に燃え、誰よりも輝いていた。セブルスは彼女の親友で、しかし彼女に恋をした。
セブルスはリリーを愛していたが、リリーは元よりヘテロセクシャルでセブルスが受け入れられる余地はなかった。リリーはセブルスの天敵ジェームズ・ポッターと恋に落ち、結婚してハリーが生まれた。そしてセブルスの過失によりヴォルデモート卿に殺され帰らぬ人となってしまった。
セブルスはハリーに複雑な感情を抱いていたが、表面上はどうであれ、彼女に危険が振りかかればどんな手を使っても彼女を守り通すつもりだった。リリーと同じ美しい翠の瞳を持って、でもなんの因果かその他はジェームズ・ポッターにそっくりに生まれついた少女を。
「わかった」
セブルスは諦めて両手を上げた。この顔をしたこの子を突っぱねても無駄だ。何処までもしつこく追いかけてくるに違いない。違いないどころか、セブルスにはその確信があった。教室を見回して、彼女とその友達らしいグレンジャーしかいないことを確認する。またひとつため息をついてから、この十年間、自寮を含めどの生徒にも言ったことのない言葉を口にした。
「続きは研究室でだ。紅茶を入れよう」
「…っ!!はい!!」
喜びに輝く笑顔はジェームズ・ポッターよりリリーに似ていた。この笑顔に抗しきれる自信がセブルスには全くなかった。
ハリーはバッグを放り出してベッドにダイブすると、声にならない悲鳴を上げた。ブランケットをぎゅうっと抱き締めて足をジタバタする。ハーマイオニーが呆れ顔でバッグを拾ってくれた。
「ハーマイオニー、ねぇ見た?!スネイプ先生ってとっても素敵!!!!」
「そうかしら。とても厳格でお堅い先生って感じだったけど」
「そんなことないよ!!」
ハリーは思わず大きな声を出してしまう。しかしその目はすぐにとろりと溶け、夢見がちな瞳で空を見つめ出す。
「スネイプ先生はきっと、…優しくて、繊細で、あったかくて、生徒思いな人だよ…」
「そ……うかもしれないわね……?」
ハーマイオニーはまだ、生徒思いならあんな難しい問題をマグル生まれに出すかしら??とブツブツ言っていたがハリーは聞き流した。それよりもスネイプ先生の神秘的な美しさで頭がいっぱいだった。
ああ、スネイプ先生ってなんて素敵な人なんだろう。ピンと伸びた背筋、ほっそりとしていて繊細に動く指先、透き通るように白くきめの細かい肌、物憂げな表情、長い睫毛、女であることを隠すような、回りくどくて少しだけ攻撃的な言い回し、整理整頓され几帳面にラベルが貼られた瓶が並ぶ研究室、にじみ出る知性、鋭いブラックユーモア、孤高の美しさ、肌を極限まで隠しているのに、ああスネイプ先生ってなんてセクシーなんだろう。
「ああほんと、理想すぎる。もう最高……」
ハリーは最高に素敵な女性に出会えたことを信じたことのない神に感謝した。そして彼女の寮に入らなかったことを少しだけ後悔した。
その日ハリーは、あのほっそりした腕に抱き寄せられて、優しく「ハリー」と呼ばれたらどんなに素敵だろうと想像しながら眠りに落ちた。
この時点でまだ、ハリーは自分の性的指向を自覚していなかった。
「ハリーは好きな男子、いる?」
「ええ…??男子??」
夜、寮室でルームメイトにそんなようなことを女子会のノリで尋ねられてハリーは狼狽した。そんなの考えたこともない。ダーズリー家ではちょっと女らしくしただけで色気づいていると殴られたし、学校でもイジメられて孤立していたから、好きになる人はもちろん、恋愛に割くエネルギーも精神的余裕もなかった。
「やだ、ハリーったら。一人ぐらいはカッコいいなって思う人いるでしょう?」
「そんな…いないよ!第一、好きっていうの、私よくわかんない」
「じゃあ、目が合ったらドキドキして、胸がぎゅーってして、触れたいなって思う人は誰?」
ハリーはしばらく考え込んだ。そして答えが見つかったことに安堵して、ホッと顔をほころばせた。
「スネイプ先生!目が合うとドキドキして、胸がぎゅーってして、触れたくなるのはスネイプ先生だよ」
ルームメイトたちは呆気にとられて顔を見合わせた。一人がおずおずと口を開く。
「……ねぇ、ハリー。スネイプ先生って、ずーーっと年上だし、第一女の人じゃない」
「でもすっごく素敵な人だよ?私あんなに綺麗な人初めて見た。私、先生といるとドキドキが止まらないの」
「綺麗って…。スネイプ先生はどちらかというと個性的な顔だと思うけど」
「スネイプ先生はね、雰囲気が美しいの。あんなに淑やかで、清廉で、孤高で、優しくて、格好良い人なんてどこにもいないよ!!もう全てが最高に最高で、もう私同じ屋根の下で過ごせるだけで幸せ!!!」
拳を握り、熱を込めて語るハリーを前に、友人達は困惑して目を見交す。
「あのスネイプ先生が?全然わかんないわ」
「私はそっちのほうが信じられない。あんなに素敵なのに…」
「ハリーって変わってるのね」
「そうかな?とにかく、私はスネイプ先生と仲良くなりたいから魔法薬学をがんばるんだ」
ハリーは決意に目を輝かせてこぶしを握った。
悲しいことに、ハリーにはこれっぽっちも両親の魔法薬学の才能が受け継がれなかったようだった。
「こんなのってないよ」
入室を許可した途端、研究室のソファに身を投げて泣きじゃくる少女にセブルスは内心狼狽した。今日、ハリーはおどろおどろしい色の魔法薬を生成して、セブルスは良心の呵責を覚えながらもグリフィンドールから三点を減点したのだ。泣いている少女を前に、どうするべきか迷いに迷って迷った結果、セブルスはハリーの隣に腰掛けて頭の上に手をポンと置いた。
「私…頑張ってるのに…」
「ああ、頑張ってるな」
ハリーが必死に魔法薬学を勉強していることはセブルスも知っていた。グレンジャーと一緒になって、図書館が閉まる時間まで勉強していると、風の噂で聞いた。
「全然うまくいかないの…」
緑の瞳から涙がポロポロと流れていて、セブルスの胸はきりきりと痛んだ。この子は悲しんでいるのに、この子を抱きしめてやる人は誰もいない。この幼げな少女はまだ母を必要としていたのに私が喪わせてしまった。母子のあたたかい触れ合いを、私が奪った。
「泣くな」
乱暴に引きずり起こして、彼女の顔を自分の胸に押し付けた。不格好な抱擁だ。仕方があるまい。私はもう何年も誰かと抱擁を交わしたことなどなかった。そう思った途端、急に顔が熱く火照った。少し力を入れただけで壊れてしまいそうなぐらい、恐ろしく華奢な子どもは腕の中でじっとしている。
新鮮な驚きだった。他者のあたたかさに触れることは、こんなにも心安らぐことだっただろうか。耳をすませばハリーの心臓が早鐘を打っている音が聞こえてくる。小さくて、柔らかくて、脆く、傷ついた生き物。腕の中の少女が不憫で、愛おしくて、セブルスは彼女を抱いたまま目を閉じ、ゆっくりと息を吐いた。
ハリーはもう、驚きで心臓が爆発しそうだった。あったかい、やわらかい、いい匂いがする。思えば、ダーズリー家では抱きしめられたことなんてなかった。なんという素晴らしい、心が温まる、素敵な行為なんだろう。自分で制御できないまま涙が溢れ出した。それはポロポロと目尻を伝ってスネイプ先生のふわふわの胸に染み込んでいく。スネイプ先生の体はやっぱりとってもほっそりしていて、素晴らしく柔らかかった。ああ、あのスネイプ先生に抱き締められてるなんて。
そうだよ。私を抱きしめてるのはスネイプ先生なんだ!そう認識した瞬間、ハリーの身体はカチンコチンに固まった。だって、ずっと先生に触れたいと思っていた。あの白くて華奢な手を握り、抱きついて黒衣の下の身体を感じ、服に顔をうずめて彼女が放つ芳香を感じたいと思っていた。それが叶って何という幸せ。クラクラと目眩がするよう。スネイプ先生と触れたところから燃えるような熱が生まれ、身体中に広がってハリーの中をぐるぐる回った。ああだめ。頭の中がショートしそう。おかしくなっちゃう。先生、好き好き好き好き!!!!
「ポッター…?」
しばらくして、あまりにも何も言わない彼女を不審に思ったセブルスが顔を上げさせてみると。
「はぇ……」
ぼんやりした目に涙をたたえ、身体は熱く、口を半開きにした彼女が、ほとんどのぼせたようにくてっとしていた。抱擁初心者のセブルスは、彼女の顔を自分の胸に押し付け過ぎて窒息させてしまったのかと大いに慌てふためいてしまった。
「スネイプ先生!!」
「……どうした」
「えーっと……」
廊下を追いかけてきた少女にローブの端を握りしめられる。目が泳いでいるところを見ると特段用もなく話し掛けたようだ。
「えっと、それ、持ちます!!」
大して量もない荷物を奪われた。発育不良の小さい身体が持つと、たかがトートバッグ一つがやけに大きく見える。頬と耳を真っ赤にして、私の歩調に早足でついてくる姿はいたく健気だ。抱き締めたあの日から、彼女は顔を赤らめ、しょっちゅう私にまとわりついてくるようになった。
他愛ないことを一生懸命話し掛けてくる少女が私に好意を抱いているのは明らかだった。暇さえあれば私の部屋を訪れ、不器用ながらも紅茶を淹れて、無表情に「ああ」としか言わない私に笑顔を向ける。この小さな子どもが私にありったけの信頼を寄せているのが分かる。
私のぶっきらぼうな反応一つ一つに喜び、私を思いやる少女に、愛おしさを覚えなかったといえば嘘になる。彼女の笑顔を守ってやりたいと思った。この感情が所謂母性というものなのだろうか。それでいて、私が彼女の母親の死の原因を作ったという事実は時折私の胸をチクチクと刺した。
彼女は驚くほど私に心を開いていて、いつのまにか私もそれを受け入れていた。生徒たちからどんな時も一線を画していた私からすれば、それは途方もなく大きな変化だった。その理由を、私はそれが彼女だったからとしか言えない。彼女でなければだめだった。彼女以外の誰が私の心を動かせたというのだろう。贔屓になるだとか、他寮だとか、そんなのは関係なかった。彼女が凍りついた私の心に、親愛の情と、真心と、献身と、見返りを求めない愛を思い出させた。
私は彼女が好きだったし、彼女の助けになりたかった。私がどの寮の生徒からも特段好かれておらず訪ねてくる生徒がいないのをいいことに、私たちは二人きりの時を重ねた。まるで普通の母娘であるかのように。もし普段の私しか知らない者が見たら驚いただろう。私は恐らく、この上なく彼女に優しかった。私達だけで過ごす時間のことを彼女は口外しなかったから、常ならざる私の存在は私達だけの間に留め置かれた。
正しく虐待され、普通の女の子が知っていてしかるべきことを知らない私たちは、二人でそれを知っていった。彼女が持ってきた、女生徒に人気の雑誌を覗き込んで二人でヘアアレンジを試してみたこともあった。私たちは二人とも女性的な趣味趣向というものにとことん疎かったから、女性の言う『可愛い』とは何かについての研究から始める必要があった。私の私室には、可憐な調度品やインテリアが徐々に増えていった。彼女の私服も洗練されていって、瞳の美しさと可愛らしい顔立ちを際立たせた。
私の方が教わることも多々あった。彼女はペチュニアからほとんどやりすぎなぐらいマナーやら常識やらを叩き込まれている所為か几帳面な性格をしている。おかげで私は彼女から不摂生を窘められ、読書時の姿勢から風呂の入り方まで細かく指南される羽目になった。
頼れる大人という存在があまりいなかったのもあるだろう。彼女は私を心底信頼しているようで、彼女は頻繁に私を頼った。しょっちゅう私の部屋へ日常の細々した相談をしにやってきたし、何事かあれば真っ先に私に相談した。初経が訪れた彼女が涙目で駆け込んできた時に、慰め基礎知識を教えてやったことさえある。
私が気づかない間に、彼女は私の生活の中にするりと入り込んでいた。彼女がいない時の方が違和感を感じるほど。だからあれは、私にとって完全に青天の霹靂だったのだ。
「ハリー!!!!」
駆け込んだ医務室の、真っ白なベッドの上に彼女は寝かされていた。なんで、どうして。どうしてハリーがこんな目にあわなければいけないのか。そんなことばかりが頭の中をぐるぐると回る。もつれそうな足を必死に動かして、縋るように彼女の手を握った。いつもは熱い彼女の手が、今は私の手よりも温度が低い。彼女の顔は蒼白で、呼吸は浅い。目の下には濃い隈があった。
「ハリーはヴォルデモート卿と対決したのじゃ」
まるでこれっぽっちも予期していなかったとでも言うかのように、悲壮な顔をして告げる老人に殺意が湧いた。そして同じぐらい、彼女を守れなかった自分を殺してやりたくなる。
何故守れなかった。何故、何故。私は彼女を守らねばならなかった。彼女を守る責任があった。彼女を…守りたかった。傷ついた彼女を見るのは身を切られるように、いや、それよりずっとずっと辛かった。
どうして言ってくれなかった。私はお前を何より大切にしていたのに、お前には伝わっていなかったのか?何がお前に命を投げ出させたんだ。正義感?英雄気質?そんなもの、豚の餌にでもくれてやればいい。私はお前が無事で幸せでいてくれれば、他はもう何も望まないのに。私がすべてを投げ出しても、お前の身の安全を守ることにすらならないのか。
無言で涙を流し、時折慈しむように頬を撫ぜるセブルスを、ダンブルドアが静かに見つめていた。
ハリーは三日三晩目を覚まさなかった。学期はもう終わっていたから、セブルスはずっとハリーのそばにいた。ハリーが目を覚ました時、周りにはセブルスしかいなくて、彼女は月明かりの中でコクリコクリと船を漕いでいた。
セブルスの姿を見て、ハリーは心の底から安堵した。
漸く巡り会えた喜び
深く口づけて
強く抱きしめる
スネイプ先生
ハリーが目に涙を浮かべてセブルスの手を握った
来てくれて嬉しいです先生に会いたかった
キス
ごめんなさい、気持ち悪かったですよね
死んじゃうと思ったら、どうしても伝えたくて
霧が晴れたように鮮やかに
全部すり抜けていった
先生?
ああ、私が渇望していたのはこれだったのだ
先生、顔真っ赤
誰のせいだと…
気持ちに気づく
独占したい
師弟だけでは足りない