『好きだ』
恋人になりたい、と足しげく通ってくる青年を、そういうのストーカーって言うんだよ、と追い返したのは昨夜のこと。
本当のところ、ストーカーは自分の方だ。
深夜まで営業するのが基本のバーなどやっておきながら、毎朝八時にもならぬうちから、わざわざ大通りのカフェに足を運び、窓際の席でモーニングを注文する。
ゆっくりとブラックコーヒーを啜り、サラダをつつく。
窓から見えるバス停には次々と制服姿の学生達が集まってきてはバスに吸い込まれていなくなったかと思えばまた集まってくる。
その中に、一人の少女の姿を探す。
明るい色の、ワンサイドアップした髪に、シュシュ。
マスター。
藤丸立香。
――トロイア。
こうして一方的に毎日少女を見つめることが、ストーカーでなくてなんというのか。
その表情を注意深く窺う。
曇ってはいないか。硬く強張ってはいないか。
笑えて、いるか。
その笑顔は彼の知るものと似てはいるけれど、どこか異なる気がして、ヘクトールを案じさせる。
バスが来る。
生徒達が乗り込んでいく。
がらんとしたバス停。
マスターの去ったバス停を、ヘクトールはまたぼんやりと眺める。
一人、また一人と集まり始める生徒達の中に、今度は見覚えのある小柄な少女を見つけだす。
盾のサーヴァント。マシュ・キリエライト。
マスターとお揃いの制服に身を包んだ彼女はカルデアの制服を纏うよりは少しだけ大人びて見える。
すこし硬い生地で作られた制服のジャケットは、彼女の小柄だがグラマラスな身体を品よく包み込んでいて、そちらの方が目のやり場には困らないけれど。
あの子達が別々に同じ通学路を進むことに、ヘクトールはなんとも言えないやりきれなさを毎朝味わうことになるのだ。
あの子くらいは、一緒にいたいと駄々をこねたっていいだろうに、と。
おそらく、けれど間違いなくあの子達にはカルデアの記憶がないのだろう。確かめてはいない。臆病なことにヘクトールはいまだマスターとの直接接触を避け続けている。まだその時ではないと言い訳して。
バスが来る。マシュが乗り込む。
それを見届けて、ようやく目の前のとうに冷めてしまったトーストに口をつけた。
生徒達の群の中には、もっと多くの見覚えのある――共にマスターを護る味方として戦ってきたサーヴァントがいるけれど、彼/彼女らはもうヘクトールの気を引くことはなかった。
毎日、平日の朝は定時にこの窓際で、マスターである少女の無事な姿を見届けて、そうして一日の日課を終える。
偽りの平穏。
幻の日常。
眠るふりをして。
目覚めるふりをして。
そうして、バーテンダーとして与えられた、登場人物としての役割を忠実にこなすための夜がくる。
からん、と控えめな音でドアベルが鳴る。
入ってくる見慣れた姿に、ヘクトールは顰めそうになる眉を気合で押しとどめて、接客用の笑顔を張り付ける。
「いらっしゃいませ」
来るな。入るな。帰れ。
心の中でそう呟きつつ、慣れた動きでおしぼりを出し、注文を伺う。
「ハイボール」
まぁ若者としては妥当な注文だろう。
冷やしてあるグラスに氷をいっぱいに入れて、ウィスキーを注ぐ。一対四でソーダを注ぎ、マドラーで一回だけ混ぜて、木馬のモチーフが描かれたコースターを彼の前においてグラスを置く。
一杯目のそれは炭酸が逃げないうちに手早く飲み干される。
残念ながら彼の飲み方はきちんと心得たもののそれで、けちのつけようもない。
本当に。ただのバーテンダーと客だけの関係であるのなら、文句のつけようのない好青年だというのに。
残念なことだ。
再会を思い出す。
「なぁ、どこかで会ったことがあったか?」
「さぁ、お人違いでは?」
アキレウスは、自分の前ではそんな顔はしない。
カルデアに召喚されて、いくつもの戦いを味方として過ごしてなお。
「口説き文句としてはいただけない」
「そういうんじゃなくて」
お前とは初めて会った気がしない。
ただそれだけのシンプルで素直な想いさえも満足に伝わらないことにもどかしさを隠さない。
「またのお越しを」
社交辞令。営業スマイル。
二度と来るな。近づくな。
残念ながら半神のくせに読心力など欠片も持ち合わせていない男は、また来ると言って帰っていった。彼は有限実行の男だということをヘクトールは知っていたから。
たぶんきっと。いや必ず彼は来るのだろうと憂鬱な気持ちでその背を見送った。
彼の長身が去った店内は今までで一番がらんと広く感じられた。
「こんばんは」
花の魔術師の微笑みは、あいかわらず華やかにうさんくさく。
「夢の中、か。だとするとアンタの立ち位置ってのはどうなんだろう」
夢の中を歩くのが、マーリン本来の姿であるのか。
「冬木は聖杯戦争の始まりの地だから」
特異点F。冬木。
要となる場所ならば、決まっている。
円蔵山、柳洞寺。地下鍾乳洞。
「そこにいるのかい? 眠り姫」
眠り姫の王子を担うことになるだなんて、思ってもいなかったが。
そういうのが嫌というほど似合いそうサーヴァントだって、ごろごろいるというのに。
「そういや、オジサンも王子だったな」
「勝手にもっていかないで」
立香が、立香の腕をとる。
「切り捨てたわけじゃない」
いずれ終わる――さよならが来ることを理解していることも。
それを受け入れていることと。
ずっとこのまま一緒にいたいと思うこと。
矛盾するそれを。
「ずっと一緒にいたい。大好き。それは私の気持ちだから」
取らないで。
奪わないで。