「……何の真似だ」
耳を劈くような甲高く激しい剣戟の響きの後、バルティは重々しく口を開いた。彼女の繰り出した斬撃を、エルドゥールが戦斧の柄で受け止めたのだ。
「………………早く行け」
バルティの問いには答えず、エルドゥールは横目で自分の背後を窺う。そこには、彼が動かなければ間違いなく斬り殺されていたであろう魔族の子供がしゃがみ込んでいた。
「さっきお前が斬ったのは、<ソレ>の親だ。放っておけば、ソイツはいずれ報復にやって来るぞ」
鍔迫り合いに力が籠る。バルティの長剣が圧しはじめたかと思われたとき、エルドゥールの戦斧が<パチリと目を開いた>。
バルティの錯覚ではない。それまで閉じられていた、蝸牛を模した斧の刃の目の部分が、確かに開いたのである。そればかりか、それまでは鈍い光沢を放っていた黒い刃がにわかに仄明るく赤く光りはじめ、不可視の闘志とでもいうべきものが陽炎のようにユラユラと立ち昇りはじめた。
まるで眠っていた斧が目を覚まし、自らの意思で、持ち主に仇為す存在へ敵対しているかのようである。
「………………早く行けと言っているだろう!」
エルドゥールが声をあげるのと、戦斧が長剣を弾くのと。そして魔族の子供が逃げだすのと、それらはほとんど同時だった。
◇ ◇ ◇
「………………怒っているのか」
エルドゥールの発した問いへ、バルティは呆れ気味に答える。
「第三者から見たら、どちらが怒っているように見えると思う?」
間の抜けたアヒルの被り物が相対する呪われし騎士は、親戚一同まとめて焼き討ちにでもあったかのような険しい表情をしていた。
「………………む……」
呆れついでに、バルティは静かに被り物を脱ぐ。
「……!」
パサリ、と軽い音をたて、桃色の髪が解き放たれた。意志の強そうな蒼い瞳を縁取る睫毛は長く、その上の眉は理知的な弧を描いている。形良く整った鼻や口は秩序を重んじるかの如く完璧なまでに左右対称。そして、唯一露出していた手首から先と揃いの白い頬には、<退緋色>の古傷が走っていた。
「……この傷は、私が七つのときに受けた傷だ」
バルティが目を閉じる。その瞼の裏には、遠い昔の幻燈が映し出されているようだった。
「今でもよく覚えている。暑い夏の日で、日が落ちた後でも蝉が鳴いていた。何でもない、良くある一日だった――そのはずだった」
化粧っ気のない瞼に、皺が寄る。
「街に魔族がやってきて、日常は呆気なく奪われた。私は両親を失い、この傷を負った。……そうしてこの傷跡に仇討ちを誓い、奴らが街の人間を殺した十倍――いや、百倍の魔族を殺したよ」
バルティは目を伏せた。それは武勇伝を語る歴戦の騎士の目というより、罪を告白する科人の目であった。
「お前の逃した魔族の子供もやがて成長し、親の仇討ちで百倍の人間を殺すかもしれない。……私と同じようにな」
「………………それならば、」
翡翠色の瞳が、真っ直ぐにバルティを射貫く。
「………………それならば、それも止めるまでのことだ。尚の事お前に斬らせるわけにはいかない」
不幸の連鎖はここで終わらせる──確かに、エルドゥールはそう言った。何の捻りも衒いもない、あまりに真っ直ぐで単純な言葉は、数秒の間バルティに呼吸のし方を忘れさせた。
「……世迷言を。我が身へ降りかかる呪い一つにすら勝てない者が、何を言う」
「………………それこそ世迷言だ。一体いつ、オレが呪いに負けたという」
強がりでも、誇張でもない。どうやらエルドゥールが本気で言っているらしいことは、十二分にバルティへと伝わった。
ほんの僅か、張り詰めた空気が二人の間に流れる。しかしそれも、まもなくバルティの漏らした笑いで緩んで掻き消えた。
「……ああ、惜しいな。お前が私と同じ領の騎士だったなら、どんなに良かっただろう。今からでも移籍しないか?」
「………………きぐるみが格好悪いから断る」
「!? か、格好悪いとは余計だ! それにきぐるみを被っていれば目つきの悪さを気にされることもないし、子供たちも喜んで寄ってくるぞ?」
「………………ふむ、それは良いかもしれない……」
「……なんてな。きぐるみが有ろうと無かろうと、強き者には強き者が、正しき者には正しき者が集まってくる。お前なら大丈夫だろう」
バルティが再びアヒルのきぐるみを被る。もうそろそろ、ここを離れて他のきぐるみ騎士と合流せねばならない。
「生き残れよ」
「………………ああ」
別れの言葉を交わしながら、バルティには既に再会の予感がしていた。もしかすると、彼ならば本当にあの世迷言を実現するかもしれない──そんな期待と共に。