『侮っていた訳では無い。しかし訓練中にも感じた通りに、彼は俺なんかよりよっぽどヒーローだった。』
A組とB組対抗の戦闘訓練から数週間経った。ヒーロー科への転入が決まっている心操だが、一年次いっぱいは普通科に所属することとなった。当然の如く今までと同じ授業で時たま戦闘訓練に混ざることはあっても、その他の授業ではヒーロー科と関わることはほぼ無かった。その代わり、心操に待っていたのは放課後の特別講習だった。二年次からヒーロー科に転入する際に遅れが無いようにと相澤や特別講師の元行われる特別講習。
普通科とヒーロー科の兼任とも呼べるその数か月の講習は、心操にとって滅茶苦茶に辛いものであった。普通科の授業をこなした後に毎日二時間ほど行われる特別講習は、座学に重きを置いた講習・個性を伸ばす為の訓練・戦闘訓練など様々なものがあった。ヒーロー科に転入することが決まる前も心操は相澤に特訓をしてもらっていたが、その比ではない。何せ全国でもトップクラスの雄英高校のヒーロー科で過ごす三年間の、三分の一である一年次部分を数ヶ月で履修しなければならない。キツくて当たり前。以前ヒーロー科に転入する予定であった生徒が、転入試験に合格したにも関わらず、『普通科に戻してくれ』と泣いて縋ったという噂があるほどだ。嘘か真実か分からないその噂をぼんやりと信じるほど、今の心操は憔悴し切っていた。戦闘訓練で生傷は絶えず、特別講習の課題がある上に普通科の課題もこなさなければならない。帰ってからは今日の授業の復習に明日の授業の予習、ヒーローを目指す学生として日々の情報収集にも精を出さねばならない。追いつかなくてはならない。その一心であった。
睡眠時間は雄英高校を目指していた受験時と同じ、否、それよりも少ない程度になっていた。だが、これも当然自分の選んだ道。一度掴み損ね、それこそ血反吐を吐くような努力の結果掴んだ夢への片道切符だ。「俺は大丈夫」そう考えていた心操であったが、最近はどうも疲れがとれていないことに気が付いた。その証拠に、元々と少ない睡眠時間がさらに短く、浅くなっていることが分かった。隈が一層濃くなり、クライスメイトに「心操顔怖いよ?」と言われることも増えた。忙しい日々でも、ヒーローを目指す過程の上での布石であると頭では充分理解している為、焦燥だけが募る。精神的には全く辛くないのに体が悲鳴を上げていた。彼はまだ十六歳で、自分で思っているほどまだまだ成長途中の肉体は仕上がっていなかったのだ。
今日の放課後も特別講習をこなした。気が付けば夕暮れ時はとうに過ぎ、演習場γの更衣室から出る頃にはあたりは既に暗くなっていた。ぼう、と空を見ながら思う。「疲れた」、と。そんな心操に近づく影が一つ。
「心操!」
明るく投げかけられるその声に、はっと顔を上げた。更衣室から出た心操に寄ってきたのは暗くなる校舎の中でもその金髪が目立つ、――上鳴電気であった。
雄英高校1年A組所属、個性『帯電』、明るくクラスのムードメーカー的存在で、チャラめ。軽い。前々から特段注目していたわけではない。しかし、体育祭の騎馬戦で辺りを一掃する様子を見て、まさにヒーロー誂え向きの個性だと思った。派手な金髪と個性を主張するかの稲妻模様の特徴的な黒メッシュも生まれてきた時からヒーローになることを保証されている様で、羨ましかった。心操人使にとって上鳴電気はそのような存在であった。…数週間前までは。
『あ!いや!やっべ思いついた』
『俺だけ捕まるってどう!?』
心操を含めた戦闘訓練で、上鳴はそう提案した(提案するや否や実行に移さざるを得なかったが)。それは心操をきちんと戦闘要員として含めた上での発言であり、その前に発した『馴れ合う気ないとか言ってたけどさ、俺好きだぜ』『確りヒーロー志望だ。』、この言葉が建前ではなかったことを裏付ける。羨望で見ていたヒーロー科の生徒の一人にかけてもらったこの言葉は、心操の胸に響く。与えられた時は目を見開き、好意をストレートに伝えてみせた目の前の男から目が離せなかった。しかし訓練中であった為、その後のモーションを頭の中で反復させたり、蛙吹の作戦に耳を傾けたり、すぐにそれどころではなくなってしまう。その後の作戦は無事成功し訓練自体はA組の勝利で終わったものの、心操は教わったことの一割も実践出来なかった。相澤に総評をもらった後も肩を落とす心操に声をかけたのはやはり上鳴であった。
「お疲れ。」
あの時と同じ笑顔で上鳴は言う。本当に心操を心から労っているのだと伝わる。ほい、と投げてよこしたジュースを慌ててキャッチした。
「見てたぜ、今日も激しそうだったよなぁ。俺も隣で補習でさ!てか心操ここんとこ連日じゃね?」
「…何、これ。」
「俺のおすすめ。いいから飲んどけって!頑張ってる心操に俺からプレゼント。」
上鳴がいかにも好みそうな炭酸飲料を手渡され、一瞬たじろぐ。が、上鳴には他意はない。屈託のない笑顔で放られたジュースはただの好意でしかなかった。『あいつが洗脳の…』『ヴィランっぽい個性だよね、ちょっと怖くない?』そう言ってきた今までの奴らとはやはり何かが違う、と感じた心操は有り難くジュースを貰うことにした。演習場γのおすすめポイントはやっぱ自販機あるところだよな~。それに普通に自販機にない、コンビニとかに売ってるエナジードリンクがいっぱいあんだぜ!なんか、こういうところが雄英って感じだよなぁ。いろいろ味あんだけど、通い詰めた俺のおすすめはそのキイロのやつ!ほらさ、俺ってイメージカラーキイロにされやすいじゃん?聞いてもいないのに上鳴は話し続ける。プシュ、と心地よい音が二人しかいない演習場に響く。三月とは言え、少しまだ肌寒いが、講習を終え熱くなっていた身体に缶の冷たさがちょうど良かった。ごくりと一気に半分ほど飲めば、しゅわしゅわと泡立つ炭酸ののど越しが気持ち良い。ふと、うるさくなくなったかと思えば、口を閉ざしてじっとこちらを見つめる上鳴の視線に気づく。妙だ。それまでこちらが口を挟む暇も与えずに話していた癖に、と思いつつ突然与えられた沈黙に耐え切れず、「なに?」と尋ねる前に上鳴は口を開いた。
「やっぱさ、きついだろ。」
上鳴が出した言葉に心操はジュースを噴きそうになった。射貫くような視線が痛い。この男はやはり侮れない。
「何でそう思うの?」
「え、だって眠れてないって顔してるぜ。無自覚ならちょっとタチ悪ぃけど、心操は体調管理とかもちゃんとしてそうだな。」
大丈夫、俺がやったやつはノンカフェインのやつだから。先ほどのジュースのことにも触れられ、上鳴をただのチャラめの軽い男だと思っていた時期があることを心操は恐ろしく思った。どこまでわかってんだ。と、いうより。
「…よく見てるね。人のこと。」
そうだ。初めから思っていたのはこのことだった。上鳴は、よく人を見ている。いつの間にか懐に入っている。生まれ持ったコミュニケーション能力か、はたまた培ってきたものか。一見軽い物言いでも、捉える側としては耳に心地よかったりする。それに、上鳴の言葉は好意を隠さない。元の性格も起因してかこちらに直球を投げてくる。ただ単に、人が好きなのだ。人を思いやることが出来、心優しい言葉を投げかけることが出来るからこそ、上鳴の周りには人が集まるのだと心操は感じた。ところが上鳴が続けた言葉に心操は胸をすかれたような思いになった。
「うーん?見てるっつーか、それは当然じゃね?」
「だって、もうすぐクラスメイトになるんだし。友達のことなら気に掛けるだろ。」
心操は息を飲んだ。合同訓練のときに掛けられた言葉と同じで、じぃんと胸に響く。加えて、今日はその後の作戦遂行のための も、緊迫した雰囲気も、一切ない。だから、そのあとに言葉をぬぐうものは何もなくて、そのまま心操の心にじwじw
「俺なんかより、よっぽど」
ぽかん、とした上鳴の顔を見て心操は今自分がどんなことを言ってしまったのか理解した。柄じゃないことを言った、と自覚して「あ、いや…」と言葉を濁そうとした時にグシャグシャと髪を撫でられる。「ちょ、何して」「いーよ、いーよ!馴れ合うつもりはまだ無いんだろ!」9㎝の身長差は背伸びをすることで容易に縮まる。
「お前さぁ、めちゃくちゃ偉いよ。頑張ってる!」
「は、なに、」
「俺、お前のことしっかり好きになったかんな!もしA組に来たら覚悟しとけよ!」
じゃあ俺呼ばれてっから先に戻るな!そう言い職員室のほうへ駆けていく上鳴を、やはり、ぼう、と見つめる。でもさっきとは明らかに違う。空になった缶の容量はなくなったけれど、心操の心は何かで満たされていた。「何に覚悟するんだよ…」そう思いつつ、頬は弛んでいて。「やっぱB組でも覚悟しとけー!」と遠くから手を振る上鳴に、小さく手を振り返した。
きっともう、悲しくて冷たい春は来ない。今日はよく眠れる気がする。