「家族、とはどういうものなのだろう」
青々と派の茂る夏木を眺めていた義勇は唐突に呟いた。
今朝がた珍しく一人で街に降り、王宮に戻ってからずっと物思いに耽っているので、体調でも悪いのかと思い慌てて黄医を呼ぼうとした心配を返してほしい。
「実弥は分かるか?」
やはり独りごとではなかったらしい。せっかく乗り始めていた筆を置き、実弥は溜息を吐いた。
「俺ァ生まれてこの方百年ちょっとずっと独身だ、聞く相手間違ってんだろォ」
「そういえば、蓬莱では夫婦の血が混じることで女親の胎から子供が出来るらしくてな、そのせいで親子の血は同じものが流れているらしい。炭治郎から聞いた話だから、正しいかは分からんが」
義勇は自分から実弥に尋ねておきながら好きなように話し続ける。自分が話したい事があるときは他人に話を振っても返事を聞かないのはこの麒麟の悪癖だ。実弥も既に慣れたもので、少なくなった墨を擦りながらへぇ、と適当な相槌を打つ。
「まぁ、それは良いんだが」
「いいのか」
しゃりしゃり、と墨を擦る音が心地よく響く。水の国で取れる良質な石材を原料にした硯は登極の祝いに水王から贈られたものだ。
かの女王は十を幾らも過ぎていないだろう若い姿だが、その治世は三百年を超える明君として知られている。国交の深い国ではない為、何度も会ったことがあるわけではないが、ふわふわと儚げで掴み所のない様子だけ見れば隣に控える麒麟の方が余程王の風格が漂っていた。
無心で墨を擦っていると窓辺からじっとりと湿度のある視線が刺さる。見ると、義勇は少し拗ねたように眉を寄せている。自分は人の話など聞かないくせに。実弥は仕方なく墨を置くと視線の方に向き直った。
「で、家族が何だって?」
義勇は小声でそうだった、と言って僅かに目を逸らす。
「家族。そう、家族だ。麒麟に親がいない話は昔しただろう?」
お前から聞いたんじゃなくて、例の女仙からだけどな、とは言わず、実弥は首肯した。親も無く、戸籍もなく、連れ合いもなく、子供もなく、死してはその遺体すらない、ないない尽くしと言われたことを思いだす。
「蓬莱の様に同じ血が流れていなくても、人であれば親がいる。だが俺達には親がいない。女怪や女仙が親代わりではあるが、代わりはあくまで代わり。女仙は麒麟より下に置かれるし、玄君は滅多に出てこない」
「だから家族がどんなものか分からない、と」
こくり、と義勇は頷いた。
家族と言われても、実弥自身家族がいたのなど遠い昔の事だ。元は兄弟の多い家だったが、貧しさで幼い弟達は次々と倒れていった。一番上の弟が一人だけ残ったが、その弟とも登極する時に縁を切った。最後に見たのは百年以上前、即位式の射儀で陶鵲を射る姿だ。その後は科挙を通ったとも、軍に仕官したとも聞かないので、おそらくは既に天寿を全うしたことだろう。加えて二十一で王となった時に独身であったからそれからずっと独り身で、妻がいないのだから勿論子もいない。今更家族について自分から教えてやれることなどあるだろうか。
「そもそも、なんでいきなり家族なんて」
そう問うと、義勇は何かに思いを馳せる様にふと目を伏せる。長い睫が影を落とし、白い頬に美しい陰影を作った。
「里木を見たんだ。人が多かったから、気になって」
実弥は暦を思い出す。今日は七日。成程、州都ほど人の多い場所の里木なら盛況だろう。人の卵果を願うのは月の七日目と九日目以降だが、昔から七日に願った子供は良い子に育つと言われている。
「今まで、家族がいないことも、所帯を持てぬことも、さして不便に思ったこともなかったが、今日は不思議と、なぜか……うらやましい、と、思ってしまった」
そう言われて、実弥は何も言葉が返せなかった。人の寿命を超える程長く共に過ごし、深い情で結ばれていても、王と麒麟では結婚できない。王として神籍に入った時点で正式な婚姻を結ぶことは出来なくなるし、そもそも麒麟はその戸籍すら存在しない。
「夫婦で細帯を結って、卵果が実るのを待つのはどんな気持ちなんだろうな……」
義勇は夢見るように言う。実弥は己の父母がどういう気持ちだったのか、そういえば聞いたことが無かったな、と思った。父に関して良い記憶は余りなく、幼いながらに父の事は触れてはいけないような気がして、母に尋ねることも出来ないまま二人とも死んでしまった。こんなことなら聞いておけばよかった。
実弥は考える。
例えば、自分が王ではなくて、義勇も麒麟ではなくて、普通に出会って籍を入れて、里木に子を願う。何を思うだろう。
「想像つかねェな」
「なら、路木は?実弥は路木に願う時、何を考えている?」
「何ってそりゃ、どういうものが欲しいのかなるべく詳細にだな」
むぅ、と義勇が不満げに唸った。どうやら気に入る答えではなかったらしい。
「んな顔されても、本当にそんな事しか考えてねェんだよ……後はそうだなァ……これが上手くいったら、民は喜んでくれっかな、とか……?」
義勇の顔を窺いつつ答えると、彼は俯きがちだった顔をぱっと上げた。薄い唇は小さく結ばれいるが、笑みをこらえているのか口の端がひくりと動いた。黒目がちの大きな青い目が窓から差し込む夏の日差しを映して輝いた。
「実弥、分かったような気がする」
「おう?」
「多分、里木に願う民も同じようなものなんだ」
彼は独りで勝手に納得したようで、満足そうに微笑んで頻りにこくこくと頷く。
「多分、彼らは子を願いながら幸せを願ってるんだな……家族が増えるのは、幸せが増えることなんだ」
そう言って、慈悲と仁愛の獣は笑った。
勝手に悩んで勝手に質問して勝手に結論を出して、勝手に楽しそうにしている愛人に、実弥は溜息を吐く。
「本当に、変な奴」
※その内支部に